閑話 ムンゴの研鑽記・三
「マリオット盲点」と呼ばれるものがある。
眼球の奥には視細胞が存在せず、物理的に光を感知できない領域が存在する。
普段それに気がつかないのは、もう片方の目が視界を補うか、脳が周囲の景色から地続きに光景を補完しているからだ。
この異常個体の能力はそれに近い。
視界、聴覚、嗅覚、あるいは生命を感知するなどの能力。
そこに何かがいると知覚するための感覚を惑わせ、脳にただの背景を描かせることで、対象から己の姿を消し去る。
至近距離まで接近するか、こちらが攻撃するまで察知されることはない。
生まれながらの巨躯、強者として生を受けたため己を強化する必要は無い。
獲物に気がつかれず、安全に仕留めるための能力。
これさえあれば、縄張り争いも雌の略奪も狩りも、ただの一度として不覚をとったことなどなかった。
先ほどは転がされ、火炎には少々驚いたがなんてことは無い。
見下ろす先では、自分に比べてあまりにも小さい獲物がガタガタと怯えている。
やはりこいつらも他の有象無象と同じ、己の腹を満たすためだけの餌に過ぎなかった。
魔熊はそう結論づけ、強者ゆえの傲慢さから動きは元の緩慢なものへと戻っていった。
小さく悲鳴をあげる獲物の絶望を長く楽しむために、わざとのそのそと距離を縮めていく。
いままさに、自身を脅かす策を練られているとも知らずに────
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「マーハさん! 火槍はあと何発撃てますか!?」
「一発よ! でも動きを止めてくれなきゃ当てられないし、撃ったら体力が無くなって私は倒れちゃうわ!」
『劫火焼天』は威力のみを追求した能力だ。
直撃を狙うのであれば隙を作る必要がある。
「ウバさん! あいつの足止めは可能ですか!?」
「出力を最大まで上げりゃあ……足止めくらいできっかもな。だけど俺も、それをやっちまえばエネルギーが切れてデクの坊になっちまうぜ」
『貯力出強』に日頃から蓄えてきたエネルギーを、惜しげもなく使用すれば、魔熊とすら正面からの戦闘が可能だろう。
しかし、使い切った途端にウバは常人に戻ってしまう。
「よし……これならいける……!」
手札を確認したムンゴは、作戦を簡潔に伝えた。
「……なるほどな。その策に賭けるしかねえか。わかったぜ、足止めは任せな!」
「ムンゴ……あんたを信じるからね! 失敗して死んだら恨むから!」
「わ、私は……気を引けたら逃げちゃっていいんだよね?」
他に案などなく、じっとしていても食われるだけの状況。
三人はムンゴの作戦に賭けることにした。
「もし失敗したとしても……僕が皆さんを逃がす殿を務めます。では行きましょう!」
作戦遂行のため、全員が一斉に動き出す。
ムンゴとルルス、マーハの三人は、木々が生い茂る場所へ向かい。
その間ウバが魔熊の足止めだ。
「うおおぉぉッ! 『貯力出強』!!」
これまで地道に貯蓄してきたエネルギーを湯水のように消費し、ウバの全身が光に包まれる。
このまま自分一人であの怪物を倒せるのではないか。
そう思うほどの、全能感が体の底から湧き上がる。
「いくぜぇッ!!」
目にも留まらぬ速度での肉薄。
最大出力で振り抜かれた剣は、抵抗を感じることなく『ウンガリーベア』の横腹を切り裂いた。
「ガァァッ!?」
弱小な獲物だと侮っていた人間からの、想定外の重い反撃。
魔熊が驚愕と激痛に声を上げる。
ウバは追撃を繰り出そうとしたが、『ウンガリーベア』の姿がまたしても消失してしまう。
「ちっ! どこにいやがる!?」
ウバは辺りを手当たり次第に切りつけるが、手応えはない。
そして背後に突如として魔熊が出現する。
「ぐあっ!!」
背後から叩きつけられた爪の一振りが、ウバを吹き飛ばす。
無傷ではあったものの、衝撃によって剣を落としてしまった。
武器を失ったウバへ、激怒した魔熊が迫る。
「グアァァァッ!!」
「おおおぉぉ!!」
迫り来る巨大な腕を迎え撃ち、手四つの力比べ。
常人あれば一瞬で叩き潰される膂力を前に、ウバは拮抗していた。
それどころかわずかに魔熊を押し返してさえいる。
このまま投げ飛ばして拳を叩き込めば勝てる、そう考えたウバだったが、現実はそう甘くはなかった。
ウバの体を包んでいた輝きが、みるみるうち減少していく。
(うそだろ!? あんなにあったのに、もう燃料切れかよッ!)
徐々に力が抜け、今度はウバが押され始める。
焦りを隠せないウバの耳に、待ちに望んだ合図が聞こえた。
「ウバさん! 準備が出来ました! 早くこちらへ!」
木々の奥から響いたムンゴの合図に、ウバは反転して走り出した。
残ったエネルギーを絞り出し、すべてを脚力へと回しての逃走。
ウバはムンゴ達の潜む林へ、転がり込むようにして飛び込んだ。
それを追い『ウンガリーベア』が地響きを立てて迫っていた。
「ルルスさん! お願いします!」
「ひ、『飛礫雨弾』!」
射出された数十の石礫が、木々の合間を縫って魔熊へ殺到する。
痛痒すら与えられない威力ではあるが、顔を叩く石の雨は魔熊の神経を逆撫でた。
激昂した『ウンガリーベア』は、ウバから標的をルルスへと替える。
自らを意識から消し去り、影もなく接近する。
「ひ、ひっ……! もういや!」
姿の見えない化け物が、次の瞬間には目の前に現れるかもしれないという極限の恐怖。
ルルスは震えを止められず、その場に頭を抱えてうずくまってしまった。
ベキリ、と彼女の正面の枝が目に見えぬ巨体にへし折られようとした時────
「洞同体『鉄・鉄』!!」
ガギッ!!
金属のような音が森に木霊する。
小さな獲物を引き裂こうと爪を振るった魔熊の動きが、枝に引っかかり停止していた。
今まで木の幹であろうとも叩き折ってきたはずなのに、ただの木の枝が折れない。
それどころか周囲の枝葉が肉に刺さり、身動きが取れずにいた。
予期せぬ事態に困惑し、もがく『ウンガリーベア』だったが、更なる焦燥を抱くことになる
「『劫火焼天』ッ!!」
森の樹上に太陽のごとき火炎が出現した。
あまりの超高温に周囲の木々が発火して燃え上がるが、その炎すらも飲み込み熱量を高めていく。
大火炎が一本の槍へと凝縮され、放たれようとしていた。
「ガアァァ!!」
本能的に危機を察知し、その場から逃げ出そうとする魔熊。
だが四方八方の枝を折ることができず、その場から身動きが取れない。
「死ねぇぇッ!!」
すべてを貫き、すべてを灰塵へと化す劫火の槍が解き放たれた──
「二人とも、無事か!?」
うずくまっていたルルスを引きずり、安全圏へと退避していたウバが状況を確認する。
煙が晴れたそこには、上半身を吹き飛ばされた『ウンガリーベア』と燃え盛る木々。
そして気絶したマーハを背負ったムンゴの姿があった。
「やったんだな……!」
「は、はい……なんとか……」
返事をするムンゴの声は掠れていて、疲労困憊だった。
能力の新しい使用方法を練習もなしに使ったため、体力の消費が尋常ではなかったのだ。
ムンゴの閃いた作戦、それは木々を硬質化して魔熊の動きを封じるというもの。
『洞同体』を使用すると、自身だけではなく衣服や武器も同質化する。
それなら直接触れている物であれば、同じように能力を伝播させられるのではないか?
そう考えたムンゴは木々に触れ、それらを鋼鉄の二倍の強度を持つ『鉄・鉄』で硬質化させていたのだ。
「ルルスさんには危険な役目を押し付けてしまい、本当に申し訳ありませんでした……!」
「き、気にしなくてもいいですよ……あのまま戦っていたら、全員殺されてましたでしょうし……」
ルルスを囮にすれば、どこにいるか分からなくても、どこに来るのかは分かる。
相手は五メートルを超える巨体だ、森の中で枝を無視して動くのは不可能。
ルルスの手前にある木々に触れて待ち構え、魔熊が来た瞬間に硬質化すれば鋼鉄の檻が完成する。
「しかし、これだけ命がけで苦労したってのに、大赤字だぜ……俺のエネルギーはゼロ。マーハのやつが吹き飛ばしちまったから魔石も素材も回収できねえ……」
「ちょっと……! 人のせいにしないでよ!」
ちょうど目を覚ましたマーハが、ウバに向かって抗議する。
やがてレタと、救助の冒険者達が到着した。
彼らは異常個体を討ち取ったことに驚愕し、森が火事になりかけていることに大慌てして、辺りの冒険者達総出での消火活動が始まった。
帰路につく頃には、ムンゴはヘトヘトになっていた。
夕暮れに染まる国都、今にも倒れそうな足取りで学園寮を目指す。
その時、後ろから馴染みのある賑やかな声がかけられた。
「ムンゴ! 奇遇だな、お前も冒険から帰ったところか?」
「ふ、フラフラだけど大丈夫……?」
「おめえもいい冒険をしてきたみてえだな!」
「私達は今から打ち上げに行くんだ。ムンゴ坊も一緒に来な」
「互いの今日の武勇を語り合おうではないか!」
自分と同じように丸一日の冒険を終えて帰ってきたばかりだというのに、いつもと変わらず活発で楽しそうにしている。
あまり眩しく頼もしい彼らの姿を目にしたら、不思議なことにムンゴの疲労感が消えていくのを感じた。
自分もいつか……この人達の領域へ。
「皆さん聞いてくださいよ! 今日、近隣の森を探索してきたのですが──」




