第60話 届かぬ蕾
キファルメ家・邸宅
俺は二度目となるその豪邸の廊下を歩いている。
前には執事、隣にはバビさん。
そして緊張のあまり歩き方がぎこちなく、今にも転びそうなスカーナが並んでいる。
公爵という存在は市民にとって雲の上の存在だ。
不興を買えば投獄すらあり得る。
今回の騒動は貴族の不正が原因であったのだから、スカーナがこの場所に怯えるは当然のことだ。
一方のバビさんは肝が据わっているのか慣れているのか、いつもの涼しい顔で歩いている。
「……バビさん。少しは緊張感を持ってくださいよ」
「……? 公爵様は温厚そうな人だって助手くん言ってたじゃない」
普通それだけで緊張しなくなるだろうか……
やがて豪華な装飾の扉に着き、執事の手によってノックされた。
「旦那様、御三方をお連れいたしました」
中からは低く太い声で「通せ」とだけ短い返答。
開けられた部屋の中にはキファルメ公とレギンが座っていた。
だがキファルメ公に、以前にレギンの恩人として招かれた時の柔らかな印象は微塵もない。
死線をくぐってきた俺ですら気圧される強烈な威圧感を放っている。
眼光は鋭く、全てを見透かしているようだった。
その圧力に俺達は自然と片膝をつく。
(前とはまるで別人だな。これが国を支える大貴族としての本当の姿か……)
「よくぞ参った。そう畏まらずともよい、顔を上げよ」
一度目の促しでは誰も顔を上げない。
執事から事前に「一度は謙譲を」と教えられた作法に従う。
二度目の要望でようやく俺とバビは顔を上げたが、スカーナだけは俯いたままだった。
体は震えて額からは汗が垂れている。
俺が声をかけるより早く、キファルメ公の言葉が彼女の震えを止めた。
「スカーナよ顔を上げるのだ。其方が抱えた恐怖、そして犯した過ちのすべては聞き及んでいる」
厳格だがどこか温かみのある声。
スカーナがおそるおそる顔を上げた。
「案ずるな。青燈会の残党掃討が終わるまで、其方の平穏は我がキファルメ家が確保しよう」
「あ……ありがとうございます。ですが……」
スカーナは声を震わせながら絞り出すように言葉を繋いだ。
「私は……欲に目が眩んで罪を犯しました。公爵様のように高貴なお方からそこまでの厚情に預かるわけには……」
「ふむ。この国の膿を出す切っ掛けとなったのは其方のその行いだ。功罪はすでに清算されたと私は判断しているが……賞罰を明らかにせねば自身を許せぬか」
キファルメ公は顎に手を当てて少しの間思案した。
「たしか、スカーナ殿は巷で評判の美容師であると聞いたが?」
「評判だったのは、私ではなくお店でございます……」
「ならばこうしよう。残党の掃討が終わるまでの間、其方には我が屋敷の使用人並びに領民に対して無償でその腕を振るってもらいたい」
キファルメ公はわずかに口角を上げて続けた。
「其方の技術で領地の者達にささやかな彩りを与えてほしいのだ。その社会奉仕を以て罪の償いとするのはどうかね?」
「わっ、私で良ければぜひ! 精一杯務めさせていただきます!」
スカーナにようやく生気が戻った。
ただ保護されるだけではなく、自分で返せるものを提示されたことが救いになったのだろう。
「よろしい。……さてバル殿、バビ殿。其方らの功績についても後日しかるべき褒美を用意させよう」
報酬のために動いたわけではなかったが、出されるものを断る理由もない。
俺とバビの視線が合い、笑顔と共に深く頭を下げた。
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スカーナはしばらくの間、キファルメ邸に住み込みだ。
自宅から身の回りの物を運び出したり、生活用品を買い揃えたりする間、俺とバビとカリーは彼女の護衛をしていた。
買い物を終えてキファルメ邸への道すがら、俺達はとり留めのない話を交わす。
「しかし、奉仕活動とはいえ公爵家御用達なんて大出世だなスカーナ」
「ええ。普通ならコネか相当な経歴がなきゃだものね。でも……もし手元が狂って耳でも傷つけてしまったら、私は絞首刑になるのかしら……」
雑談のつもりで出した話題だったが、スカーナは青い顔をして震え始めてしまった。
「スカーナちゃんは後ろ向きに考えすぎだよ。気楽にやればいいのさ。あんたの腕なら黙ってても客が並ぶんだから」
「私の能力でも、もう危機の予兆は感じられないから大丈夫。いつも通りに仕事をすれば絶対に成功するよ!」
カリーとバビの言葉にスカーナは少しだけ緊張を解いた。
この三人は寮で一緒に過ごすうちにすっかり打ち解けていた。
そのせいで、女子会をするからと言って俺が自分の部屋から追い出されることもあったのだが……
その甲斐あってかスカーナの顔にも明るさが戻っている。
「そうね……こんなチャンス、一生に一度あるかないかだもの。私頑張ってみるわ!」
キファルメ邸の正門が見えてきた。
俺達の護衛任務もここまでだ。
門を潜ろうとして、スカーナが名残惜しそうに足を止める。
「バル……バビも。騒動が落ち着いたら、また散髪しに来てね。カリーさんには鱗のオイルマッサージをしてあげるわ」
「もちろん行かせてもらうよ。この髪型、結構気に入ってるんだ」
「私も。スカーナに貰ったヘアオイルすごく香りが良くてお気に入りなんだもん」
「私に毛は無いけど、鱗の艶が良くなりそうだねえ。楽しみにしてるよ」
俺達の返事にスカーナは笑顔を見せる。
だがそのあと、彼女は俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「どうかしたのか?」
「これ、使って。……髪が土で汚れてたら女の子に嫌われちゃうわよ」
差し出されたのは木櫛と石鹸だった。
「いいのか? 悪いな、ありがたく貰うよ」
「今渡せる物、これくらいしか無いから……櫛は必ず優しく解いていってね。それから石鹸はお湯でしっかり泡立てて、面倒がらずにちゃんと流すの。あとは……」
「お、俺の髪はそんなに汚れてたか……?」
「え? そ、そういう訳じゃないの。ただ……」
スカーナは何かを言いかけて口を噤んだ。
少し間を置き、微笑んで俺を見る。
「……なんでもないわ。じゃあまたね! バビ、荷物運ぶの手伝ってくれる?」
「うん、いいよ」
俺も手伝おうとしたのだが、なぜかスカーナに止められてしまった。
女同士で話すことでもあるのだろう。
俺は二人の背中を見送り寮への帰路に着いた。
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キファルメ邸の一角に用意された客間。
荷物を下ろしたスカーナは静かに口を開いた。
「ねえバビ。……バルって彼女はいるのかしら」
「助手くんと仲良くなったのは最近だから知らない。でもそんな気配はこれっぽっちも無いし、今は居ないんじゃないかな?」
「……そう。じゃあ私が彼に告白してたら……成功した?」
バビの手が止まる。
沈黙の後スカーナを見つめた。
「ごめんスカーナ。私の能力でも分からないことがあるんだ」
「そっか……バビは優しいわね。でも嘘つくの下手すぎるわ」
バビは驚いたように目を丸くし、まるで叱られた子供のようにしょんぼりと肩を落とした。
スカーナは窓の外、歩くバルを眺めながら自嘲気味に笑う。
「……いいのよ。あんな風に助けられたら、勘違いしたくもなるでしょ? ……今は公爵様を満足させる仕事をするわ。それが彼へのお礼になるもの」
部屋を出たバビは、スカーナの表情を思い出す。
「……これは予知できなかったな」
スカーナを救う未来は手繰り寄せることができた。
けれどその過程で彼女の心に大きなしこりを残してしまったのかもしれない。
予知の届かない人の心にバビは溜息をつく。
「……明日は、助手くんに思いっきり意地悪してやろうかな」
バビは寮への道を足早に歩き出した。




