第59話 夜半に揺らぐ一線
深夜。
国都は裏通りで起こる小規模な争いで騒がしくなっていた。
俺が先日流した、取引記録の所在と貴族による組織の切り捨てという偽情報。
証拠隠滅を急ぐ貴族の私兵と、裏切られると思い込んだ裏組織が衝突して争っている。
バビさんが伝手を使って解読した暗号から浮上した名前。
カチュラ伯爵。
俺は今その邸宅の庭に一人で忍び込んでいる。
誰にも相談はしなかった。
これからしようとしていることは法を無視した一線を踏み越える行為だからだ。
窓から中の様子を覗く。
兵の多くは証拠隠滅や外の騒動に割かれているのだろう。
屋敷内には数えるほどしかない。
(……これならいける)
俺は覚悟を決めた。
窓を蹴破り、甘ったるい匂いのする室内へと突入する。
椅子にふんぞり返っていたカチュラ伯爵へ向けて、黒剣を引き抜く。
「なっ、何奴だ!? 衛兵! 誰か助けを!」
カチュラ伯爵は肥えた体を震わせて椅子から転げ落ちる。
俺は駆け寄る兵達を牽制するように、鋭い切っ先を伯爵の喉元に突きつけた。
懐から数枚の紙を取り出し放り投げる。
「取引記録の複製だ。原本はすでに他の貴族に送った。複製品も街の数カ所に隠してある」
「なっ、貴様何のつもりだ! 金かっ、金が欲しいのか!」
「明日、憲兵局へ行って自首するんだ。取引の内容も裏組織のこともすべてだ。断るなら……あんたの命をここで奪う」
嘘ではない。
原本はキファルメ公へ、複製品はバビさんに託してある。
そして、俺は奪う覚悟を固めてここに来た。
俺に本気の殺意を感じたのか、伯爵は顔を引き攣らせて言い訳を始めた。
「わ、私も家と領地を守るためにやっていたのだよ! 領地運営に金がかかるのは平民でも分かろう? それに、他貴族からの圧力もあって──」
「自首をするのかしないのか。それだけを答えろ」
伯爵は口を閉じた。
自首をすれば裏組織に消されるのが分かっているのだ。
こいつが生き残る道は一つしかない。
俺達を消し、記録を闇に葬ることだ。
そのためならこいつは何でもやるだろう。
だからこそ、守りきれなくなる前に俺は一人で決着をつけに来た。
(すまない皆……俺には、踏みにじられる人を黙って見過ごすなんて出来ない!)
外から騒がしい足音が近づいてくる。
手に負えない数の増援が来る前に、ここで──
殺意を手に剣を振るおうとしたその時。
「そこまでだ! 全員動くなっ!!」
聞き慣れた声と共に扉が吹き飛んだ。
振り返るとそこにはレギンとバビさん、そしてキファルメ家の紋章を付けた兵達の姿があった。
「レギン!? ……どうしてここに」
「父上と不正貴族の調査をしていたら、バビ殿が『助手くんが暴走しそうだから、手を貸して』と報告に来てな! 全く、我の不在中に面白いことをしおって!」
「タイミングばっちりだったね。助手くん、取引相手が判明した途端すごく怖い顔してたもん。私を出し抜こうなんて百年たっても無理なんだから」
状況に付いていけてない伯爵を置いて、俺は剣を鞘に収める。
レギンは前に出ると伯爵を冷たく見下ろした。
「カチュラ・カロータ伯爵。貴様が裏組織と通じ、密輸や違法取引に手を染めていた証拠はすでに上がっている。……観念するのだな。公爵家の名において、貴様を拘束する!」
崩れ落ち、兵士達に引きずられていく伯爵。
張り詰めていた精神が緩み、俺の指は震えていた。
バビさんが隣に来て俺の肩にぽんと手を置く。
「助手くん。自分一人で手を汚そうとしなくていいんだよ。私が巻き込んだんだから、ちゃんと頼ってよね」
「……すみません。法的措置を待っていたら間に合わないと思って……」
「はっはっは! 終わり良ければすべて良しだ! そのスカーナという女性も、裏組織を潰すまで我が家で責任を持って保護しよう!」
「何から何まですまないなレギン」
「気にするな! 我も、父に言われ貴族としての箔をつけるために来たに過ぎん。それに……このカチュラは元々我が家が追っていた者でな!」
シードゥ達の変異種素材を不当に横取りした件。
そして迷宮でレギンに殺し屋を差し向けた件。
その二つの黒幕が、目の前で無様に抵抗しているこの男だったようだ。
「クズはどこまでもクズということだ。正直シードゥ達の証言だけでは詰めが弱かったのだ。今回の件は我が公爵家にとっても大金星。礼を言うのは我の方だバルよ!」
いくら犯罪行為に手を染めていたとはいえ貴族。
邸宅に侵入して殺人未遂など、一生牢か逃亡生活だったろう。
レギンが俺を公爵家の非公式な実行部隊として処理してくれたおかげで罪に問われることはなくなった。
スカーナの安全、そして俺達の日常。
すべてが最高の形で守られたのだ。




