第56話 危機の先触れ
昼下がりの国都。
俺は動きやすい服装で石畳の道を駆け抜けている。
日課となっている走り込みだ。
レギンは実家へ戻り、ラロはエマ達の宿で浄化に専念。
グルーは模擬戦大会に向けた秘密の特訓とどこかへ消えた。
そのため最近は一人での特訓が増えている。
熱い空気を吸い込み、呼吸のリズムだけに意識を向けて走る。
その最中、視界に入った物に足が止まった。
路地の物陰。
そこに周囲を警戒しながら何かを覗き込む、不自然な人影があった。
(不審者か……?)
俺は意識を日常から戦闘へと切り替え、気配を殺して背後から忍び寄る。
「あの……」
声をかけるとその影はビクリと肩を跳ね上げ、素早くこちらを振り返った。
肩まで届く切り揃えられた金髪に、切れ長で紫の瞳。
すらりとしたしなやかな体型。
その顔に、俺は見覚えがあった。
「たしか……バビ、さん?」
「私のことを知っている……いったい何者?」
その警戒に満ちた声を聞いて確信に変わった。
一年前の学園模擬戦大会。
俺が完敗した相手、バビ・カル・シュヤパースだ。
どうやら、向こうは俺のことを覚えていないらしい。
「バルです。前に模擬戦で戦ったの覚えていませんか?」
「……覚えているような? 同級生なのね。ごめんなさい、私物忘れが激しくて……」
バビさんはどこか他人事のように答え、視線を俺へと向けた。
じっと、品定めをするように俺を凝視して何やら考えている。
沈黙が続き俺が困惑し始めた頃、彼女はようやく重い口を開いた。
「うん……あなたを巻き込んだ方が、成功率は高そう。あのお店を見て」
バビさんが指した先には、洒落た外装の美容室があった。
流行に敏感そうな若い女性たちが出入りしている。
とくに変わった点のない、平和な光景だ。
「あのお店の店員の一人に、近いうち避けれない危険が迫っているの」
「……え?」
唐突な言葉に、俺は驚いて固まってしまう。
「私と戦ったのなら、少しは予想できたかもしれないけど。私の能力は『未来を予測すること』」
「その能力で、事件の予兆を捉えたってことですか?」
バビさんは肯定するように、小さく頷いた。
「その通り。でもね、対象が私自身じゃないと詳細は分からないの。いつ危機が訪れるのか、それがどんな災厄なのかも分からない。ただ水溜まりで転ぶだけかもしれない。けれど……誰かに殺されるのかもしれない。それを防ぐためにここで監視を続けていたの」
淡々とした口調、その言葉に嘘はないように思える。
そもそも、こんな嘘を吐くメリットが彼女にはない。
能力の詐称や犯罪利用は重罪。
学園に籍を置いて、あれほどの実力を持つ彼女がそんな危険を冒す理由がない。
(信じても良さそうだ……そのために、手の内である能力まで明かしたんだろうしな)
俺は考えを整理し、一つだけ残った疑問を投げかけた。
「どうしてその本人に危機を伝えないんですか? 直接教えたほうが早いと思うんですが」
「バルくん。君は見ず知らずの他人が急に「危機が迫ってるから、私の能力で守ってあげる」なんて言ってきたら、どう思う?」
「……詐欺か、頭のおかしい奴だと疑いますね」
「そういうこと。だから事件が起こるまではこっそり守るの」
俺は納得し、バビさんからさらに詳しい状況を聞き出すことにした。
平和に見える国都の片隅で、重大事件が起きようとしている。
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「──私が掴めた情報はこれくらいかな。あとは近づいて聞き込みするしかないね」
バビさんの知っていた情報は少なかった。
危機が迫っている女性の名は、スカーナ・ライヤ。
いま国都で人気のある美容師らしい。
家はこの近辺にあり事件が起きるのは生活圏内だろう、ということ。
「これじゃあ何も分かりませんね……」
「うん、そうなの。だからバル君、君がお客さんとして近づいて彼女を口説いてきてよ」
「……はい?」
「はいこれ。耳の穴に入れて」
理解が追いつかない俺を置き去りにして、バビさんが耳栓のような物を差し出してくる。
「これはね、私がよく使っている魔道具。離れていてもお喋りができるんだよ。バル君は今日から私の助手だから貸してあげる」
「バビさんが客として行けばいいんじゃないですか?」
正直、女性ばかりの店に一人で入るのは気が進まない。
ましてや口説くなんて、やり方すら分からない。
「私は外から能力を使って、周囲を警戒してなきゃいけないんだもん。話を聞いてくるだけでいいから、早くつけて」
バビさんの中ではすでに決定事項らしい。
俺はしぶしぶ、その魔道具を耳に押し込んだ。
するとバビさんの声が重なって聞こえてくる。
「凄いですね、これ。うちのチームでも使おうかな」
「でしょ? じゃあ助手くん、期待してるよ。いってらっしゃい」
背中を押されて店へ歩き出す。
白を基調とした清潔感のある外装。
大きなガラス窓は日光を店内に取り込み、中の賑わいを外へ伝えている。
大きなガラスを多用できるのは、それだけ繁盛している証拠だろう。
扉を開けると、外とは別の空気に包まれた。
花油や香料が混ざり合った、どこか落ち着く香り。
壁には磨き抜かれた金属板が並び光を反射している。
「いらっしゃいませ!」
声のした方を見ると、そこに彼女はいた。
スカーナ・ライヤ。
客を見る目は鋭いが、浮かべる微笑みは柔らかい。
「初めてのお客様ですね。今日はどうなさいますか?」
「ええっと……スカーナさんに髪を整えて欲しくて」
「私ですね。承知いたしました。あちらの椅子に座ってお待ちください」
俺は出入り口付近の椅子に腰を下ろし、作業中の彼女を観察した。
髪を後ろで一つにまとめ、迷いない手つきでハサミを動かしている。
その所作は職人のそれだった。
人気が出るのも頷ける。
傍の台には、手入れの行き届いたハサミ、鋼の剃刀、骨製の櫛。
どれも高級品だろう。
(もし店内で事件が起きれば、あれらは凶器になるな。他の店員が首謀者の可能性も……)
警戒を解かずに待つこと数十分、俺は席へ案内された。
椅子に腰を下ろすと、彼女は無駄のない動きで布を俺の首元に巻く。
「お客様、冒険者か学園の生徒さんでしょう?」
「どうして分かったんですか?」
櫛で俺の髪を梳かしながら、彼女はクスリと笑った。
「毎日何人も見ていると、自然に分かるようになるんですよ。鍛えられた体に、髪には汗と土が混じっている。整えるだけじゃなくて洗髪もしていきますか?」
「……お願いします」
自分では清潔にしていたつもりだったが、プロの目から見れば汚れていたらしい。
鋭い刃が、俺の余分な髪を落としていく。
目の前の大きな鏡に映る自分の姿は鮮明だった。
「私を指名されましたが、どなたかの紹介ですか?」
「ええ、友達に勧められて。腕がいいと聞いたので試しに」
当たり障りのない会話、まずは客としての距離を守るべきだ。
耳の魔道具から「助手くん、もっとグイグイいかないと!」とバビの催促が飛んでくる。
いつから助手にされたのだろうか……。
俺は会話を続ける中、何気ない調子で切り出した。
「そういえば、この辺りは最近物騒だと聞きましたが」
その瞬間、彼女の手が一瞬だけ硬直した。
すぐに作業は再開されたが、その反応は俺が違和感を覚えるには十分なものだった。
「……ええ。あまり遅くまでは出歩かない方がいいですよ」
スカーナの返答は短かった。
何か明確な心当たりがある、水溜まりで転ぶ程度の話ではない。
俺の中で、彼女が危機に晒されているという確信が一気に強まった。




