第50話 不信同行
安全地帯を追い出されたシードゥ達を待っていたのは、冷たい岩肌と無数のアントの足音だった。
「捨てないなら出て行け! ここにまでアントが来るだろうが!」
「こんな事態を引き起こしやがって。お前らの自殺に付き合ってられるかよ!」
背中に浴びせられた冒険者達の罵声が、頭の中にいつまでも残り続ける。
彼らが正しい。
そんなことは俺達が一番分かっていた。
このバックパックに詰めた女王の死骸が、迷宮中の蟻を狂わせている元凶なのだと。
(だけど……これを捨てれば、あいつの足は一生あの腐肉のままだ!)
「ハァハァ……シードゥ、あっちだ。 少しでも低いところを移動して、フェロモンの拡散を抑えよう」
「ああ、分かった……!」
疲弊しきった仲間の肩を支え、傾斜のきつい岩場を下る。
その時。
ビリッ、という不吉な音が聞こえた。
限界を迎えたバッグパックが、ついに破れたのだ。
「──っ! くそ、待て!」
ガラガラと音を立てて、命よりも重い女王の殻が岩場を転がる。
シードゥは仲間の制止も聞かず、それを追って傾斜を滑り落ちた。
尖った石が手を裂き、爪の間に砂が食い込むのも構わず、必死に虹色の殻をかき集める。
「シードゥもういい! 早くしないとアントがすぐそこまで……!」
仲間の警告と悲鳴。
見上げれば、岩場の影から鎌のよう顎をガチガチと鳴らして数十のアントが溢れ出した。
(──ああ、もう……無理だ……)
その場にへたり込み、殻を強く抱きしめる。
結局、俺は何もなせずに死ぬのか。
あの腐敗した貴族に未来も仲間も奪われ、最後は蟻の餌になって消えるのか。
すべてを諦め、深い憎悪と共に目を閉じた、その時だった。
「───投げろ!」
後方から空気を切り裂く音が鳴る。
俺に飛びかかろうとしていた蟻の眉間をナイフが貫き、投石が殻を砕き、足には重りのついた革紐が絡みついた。
「……は?」
唖然として振り返ると、そこには四人の冒険者が立っていた。
「──『己力投写』!」
黒い剣閃が目の前のアントを両断した。
俺の前に立つのは、昨日俺が「お前らとは仲良くできない」と突き放した、あの学園の生徒だ。
「ば、バル……? な、なんでお前が……」
「話は後にしよう。死にたくなきゃ、その大事な物抱えてさっさと立て!」
バルの鋭い声が、止まりかけていた鼓動を強引に叩き起こした。
---------
俺達は、迫りくるアントの群れを退け、出口への進路を確保した。
破れた彼らのバッグパックの代わりに、俺達のバッグへ女王の素材を詰め込み、それを抱えるシードゥ達を囲むようにして迷宮を走る。
「おい……バル」
荒い息を吐きながら、シードゥが俺の背中に向かって声を絞り出した。
「なんで俺達を助けた。昨日あんな風に突き放した相手だぞ。アントを引き寄せる俺達に同行するなんて、リスクしかないはずだ。……偽善か? それとも哀れみか?」
俺は視線を後ろに向けず、淡々と答えた。
「勘違いするな。お前らがここで死んで、そのフェロモンまみれの素材を放置されるのが一番迷惑なんだよ。そうなってみろ、五階層は閉鎖、俺達の迷宮攻略も中止だ。……さっさとそれを外に運び出してもらうのが、俺達の攻略に必要なんだ。それだけだよ」
俺の素っ気ない物言いに、シードゥは一瞬呆気にとられたようだったが、やがて短く鼻で笑った。
冒険者としては納得しやすかったのだろう。
「……救助代なんて、銀貨一枚も出せねえぞ」
「いらないよ。その代わりに、次の小休止の時に事情を聞かせろ。俺達が首を突っ込む価値があるかどうか判断したい」
それっきり会話は途絶えた。
聞こえるのは俺達の荒い呼吸音だけだ。
---------
出口まで残り半分。
俺達は巨大な岩陰へと避難し、張り詰めた体を緩めた。
「ラロ、頼む」
「うん! 『是正宣光』……」
ラロの光が虹色の殻を包み込み、フェロモンを一時的に消し去る。
だがラロの能力は、静止状態でしか十分な効果を発揮できない。
移動を始めれば、再びアントを引き寄せるフェロモンが漏れ出すだろう。
俺は革袋から灰を出し、手持ちの油と混ぜ合わせた。
「よし……これを殻に塗りたくるぞ。臭いを吸着して、油の膜で封じ込める」
虹色の光沢を放つ殻が、黒い泥に塗りつぶされていく。
「あ……ありがとうございます。こんな方法、僕らじゃ考えつきませんでした……」
シードゥのチームの一人、フェンという男が消えそうな声でお礼を言った。
「いい工夫だな……。お前みたいな奴が、あの時俺らのリーダーだったら、こんなことにはならなかったかもしれねえ」
シードゥが岩に背を預けて力なく呟いた。
「俺達も二年前までは、お前らと同じ学園の生徒だったんだぜ? 輝かしい未来があるって信じてた。……あの貴族の嘘に、全てを壊されるまではな」
シードゥのチームが一様に顔を伏せる。
沈黙の中で彼は独白を続けた。
「ある日、森を探索してたら助けを呼ぶ声が聞こえてな。現場に駆けつけると、見たこともねえ魔物に襲われてる、豪華な装備の集団がいた。……俺達は迷わず助けに入ったよ。死に物狂いで戦って、そいつを仕留めた。……その代償に、仲間の一人が片足を失ったがな」
シードゥが天を仰ぐ。
その瞳には強い憎悪が宿っていた。
「足を生やせるほどの治癒師を雇うには大金がいる。だがよ、その変異種の素材さえ売れば、工面できるはずだったんだ」
そこでシードゥは、周囲を警戒していたレギンを睨みつけた。
「おい公爵家の坊ちゃん。あんたには信じられねえだろうが……人が命を懸けて掴み取った物を奪い、平気な顔で英雄を気取る高貴な連中もいるんだぜ」
レギンが驚愕に目を見開く。
シードゥの語る話は、吐き気がするほど腐敗に満ちていた。
助けられたはずの貴族は、金で偽の証人を雇い、自分達が魔物を討伐したのだと虚偽の申告をした。
ギルドの査定官さえもが金に転び、学園の汚職教師は「功績を盗もうとした」という嘘の罪状でシードゥ達を退学処分に追い込んだのだ。
「それ以上抗えば、今頃は牢の中だったろうな。……だから俺達は、死ぬ気でこの女王を狩るしかなかったんだ。仲間の足を取り戻すためによ」
シードゥの仲間には、すすり泣く者さえいる。
「分かったろ、俺達が学園と貴族を嫌う理由が。お前らだっていつそうなるか分からねえ。……正直、今でもあんた達が女王を奪う機会を狙ってるんじゃないかって、疑ってるんだぜ」
シードゥは自嘲気味に笑い、俺達の顔を一人ずつ見据えた。
「……話は分かったよ、シードゥ」
俺はあえて、淡々と言った。
「俺達が責任を持って、お前らを外まで送り届ける。ただこれは無償の善意じゃない。貸しにさせてもらうからな」
「……何?」
「お前達を無事に送り届けて、その腐った貴族と教師の名前を聞き出す必要がある。俺らが背中を刺されないためにな。……これは俺らの身を守るためだよ。文句ないだろ?」
シードゥは毒気を抜かれたように目を見開いた。
やがて彼は「……ふん、勝手にしろ」と言い顔を背ける。
俺達は再び立ち上がり、迷宮の出口へと向かって歩き始めた。




