第109話 空恐ろし荒き獣、芯に血脈宿りて
沼地の一角が丸く削り取られている。
泥も水も、茂っていた草木すらも吹き飛び、すり鉢状になった底が剥き出しになっていた。
円形に盛り上がった泥土が堰となり、周りの泥水を止めている。
その縁には倒れ伏す冒険者達。
フェンの矢は確かに沼大蛇の頭を貫いたが、脳からはわずかに外れていた。
巨体と魔物の生命力、たった一箇所の点攻撃では命を奪うに至らなかったのだ。
パールの締め付けを解いたのは、筋肉の収縮を解放するため。
締め付けと防御のため、限界まで圧縮された筋肉の解放。
鞭、嵐、爆発、噴火、沼大蛇は破壊の渦と化し、全方位へ体を解き放った。
シュー、と小さな声と舌を出す沼大蛇。
それは勝利の雄叫びか、それとも新たな獲物を探すためか。
残るは空の奴らだけだと、沼大蛇は上空を見上げる。
「『重荷涌出』ッ!!」
沼大蛇の足元で叫びが上がった。
パールが立ち上がり、再び沼大蛇の巨体を背負い投げる。
締め上げた瀕死の獲物が立ち上がり、己を投げ飛ばす、沼大蛇の脳は二度目となる驚愕に染まった。
「オオォォッ!!」
投げ飛ばされ、無防備になった沼大蛇へ拳が振るわれる。
剣と盾は壊され、板金鎧が歪んだせいで錆び付いたような動きだが、パールは動いていた。
瀕死のパールを回復したのは、リウの『癒尽治縛』。
『癒尽治縛』は対象が完治するまで解除されない能力、リウが気絶していようと『魄力』を吸い続けて治癒を行っていた。
そして収縮の解放時、パールは渦の中心に居たため攻撃を免れていた。
「ぐぅッ!」
しかし能力で強化されていようと、パールの殴打に沼大蛇が堪えるはずもない。
鬱陶しい虫を払うように、尾撃が彼女を吹き飛ばす。
なおも立ち向かおうとしたパールだが、眼前の光景に足が止まる。
「……あぁ」
暗く狭く、大きな闇。
鋭い牙が立ち並ぶ大口が開かれていた。
締めても叩いても駄目ならこれだと、沼大蛇が顎を開け迫る。
食われるという原始的恐怖、逃げろと叫ぶ脳に反して足は動かない。
絶望を前にパールは一人で竦み、一人ではなかった。
「『亥進励活』!!」
「『旺強賦活』ッ!」
シードゥが沼大蛇の大口へ剣を投げつけ、ニムが体を切り裂く。
全身が血で染まっているが、動きは敏捷そのもの。
沼大蛇は三度目の混乱に陥る、なぜ自身の必殺の一撃を喰らい立ち上がれるのかと。
「シードゥ! パールを連れて引いてください!」
「了解だ! 死ぬんじゃねえぞ!」
怪我は回復したとはいえ、もはや限界のパールを背負いシードゥは離脱する。
沼大蛇は混乱を激昂で塗りつぶし、敵を屠るべく牙を剥き出し沼地を這う。
対峙するニム、一瞬たりとも目を逸らせない状況。
だが次の瞬間、沼地に轟いた声に空を見上げる。
「──ラロッ!! 頼む!!」
バルの叫び、その二言だけだ。
意図を理解できるはずがない、そもそも聞こえているのか、意識はあるのか、客観的に見ればそう思える言動。
だが彼女が、仲間が応えないはずがない。
「ぜ──『是正宣光』ッ!!」
泥に倒れ血を吐きながらも、折れた腕で杖を掲げ、あらん限りの『魄力』が込められて発動された。
『是正宣光』が注がれたのはバル。
バルの体から光が放たれ、沼地を白く染め上げる。
ラロはそれを確認し、意識を手放した。
「────ッ!?」
沼大蛇が声にならない絶叫を上げる。
その巨体には何十本もの槍が、黒槍鷺達が突き刺さっていた。
バルが一直線に獲物を引きつけ、地上の沼大蛇へ駆け出した瞬間、放たれた光が黒槍鷺達の方向感覚を狂わせた。
結果、沼大蛇は全身を突き刺され、激突したことで首の折れた黒槍鷺達。
だが全てが思惑通りではない──
「ぐぅッ……!!」
限界まで敵を引きつけ、閃光で自身の視界も奪われたバル。
地面に衝突しなかったことは運が良かったが、右足を黒槍鷺が貫いていた。
ほとんど皮一枚、ちぎれる寸前の右足を引きずりながら這いずるバル。
間近では、血みどろになった沼大蛇がのたうち回っている。
(まずい、早く距離を取らないと……! 押し潰されたら、俺じゃ耐えきれない……!)
身体強化でも、高重量を持ち上げる能力でもないバルに、もがく沼大蛇の巨体が覆いかぶされば骨が砕けるだろう。
重傷すぎるゆえに麻痺していた痛み、徐々に激痛を感じ始める。
バルは泥に溝を作りながら這いずる。
「ざ、残響傷……『鉄拳』──ッ!」
グルーは手足が折れて動かなくなった体を、『鉄拳』で強引に押し飛ばした。
移動とは呼べない、沼地を転がり跳ねるだけの行動。
しかし確かに、沼大蛇へは近づく。
「残響傷──『毒蔓』!」
グルーの体から伸びる毒蔓。
その向かう先はレギン。
毒も棘も構うことなく、レギンはその蔓を握りしめる。
「頼んだぜ、レギンッ! 残響傷『鉄拳』!」
鉄拳が蔓を引き上げ、掴んでいたレギンを上空へ放り投げた。
折れた足から血を撒き散らしながら、空へ高く舞い上がるレギン。
その体が、黄金の輝きを放ち始める。
「我は──『敵を穿つ大槍の鷹』!!」
その身を黄金の大槍と化し、鷹のように空を飛翔し急降下する。
流星の如く、沼地に星が降る。
「ヌゥッ!!」
沼大蛇の巨体を、レギンの一撃が穿つ。
もはや何度目か分からない混乱の中、沼大蛇はただ痛みから逃れようと、さらに激しくのたうち回る。
その力にレギンは弾き飛ばされた。
(何をやってるんだ俺は! 押し潰される? 逆だ、その重さを利用するんだ!)
死力を尽くす仲間達。
バルは距離を取るのを止め、沼大蛇に向かって体を押し出す。
泥に塗れて転がり、仰向けになりながら黒剣を構えた。
もがき狂う沼大蛇が、バルへと覆い被さる。
「『己力──投写』ッ!!」
圧し掛かる重量、押し返す『己力投写』、バルの全身全霊。
銘も刻まれず、無名で能力も持たぬ、武骨な黒剣はされど裏切らず。
大鱗を、肉を骨を、剣として作られた使命を全うするように、沼大蛇を斬り裂いた。
貫かれ、裂かれ、穿たれ、斬られ、沼大蛇は恐怖を感じていた。
そして理解した、今まで弄び腹に収めてきた獲物達の表情の意味を。
沼地に血の川を作り、逃げようと這いずる沼大蛇。
その前へ歩み寄るニム。
「弱肉強食は世の摂理、今回は私達が強者でした。……私が弱者となった日に、またお会いしましょう」
沼大蛇は重傷とはいえ、まだ暴れる余力は残っていた。
だがニムの目に、向けられたことのない感情に、動きが止まってしまう。
ズシャッ、とニムの手が沼大蛇の頭の傷へ突きたてられた。
「『腐朽牙壊』……」
先ほどまでの『旺強賦活』とは別の宣言、淀んだ禍々しい赤黒い光が放たれる。
沼大蛇の傷が裂け広がり、急速に化膿し、残っていた生命力が静かに刈り取られた。
熾烈な激闘と閑静な決着。
沼地の勝者は、冒険者達だった。
しかし勝鬨は上がらず、泥に横たわり迷宮の偽りの空を仰ぐ。
静まり返った中で、自身の鼓動だけが聞こえていた。




