第108話 纏べ纏く肉叢、吹き荒ぶ浮沼
琥珀の鱗、泥濘を覆ひ
大なる御身、沼底に伏す
百の牙、命を尽くす
微睡む沼の主ぞ
泥に伏せる沼の主ぞ
その御目を見し者、逃るることなし
その御身に抱かれし者、生くることなし
その御口に呑まれし者、帰ることなし
抗ふことなかれ
騒ぐことなかれ
ただ命を委ねよ
沼は彼がもの
命を喰らひ、喰らひて
泥を枕に、身を横たへ
眠れる主を、起こすことなかれ
影は沼を覆ふ
逃るる道なし
抗ふ術なし
此処に在るは、此の地の主
泥濘に微睡む、死滅の蟒蛇ぞ
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沼大蛇の頭上、空中に留まる俺は腰から投げナイフを引き抜く。
上空の俺が気を引けば、地上の仲間達が動きやすくなるはずだ。
狙うは奴の目、眼球から脳まで貫いてみせる。
「『己力投──」
「バル坊! 危ないよッ!」
カリーの声に虚空を踏み込み、空中で回避行動をとる、槍のような影が俺を掠めていった。
翼を畳み、鋭利な嘴を矛として飛来してきた黒槍鷺『バグラティキーナー』。
無駄を削ぎ落とした細身の体は一本の槍となり、空中に浮く俺を標的にしていた。
四方八方から飛び交い、黒い線が空に描かれていく。
「バル!? 今そいつらを撃ち落とす! できるだけ動かないでくれよ!」
フェンが矢をつがえ、黒槍鷺達に狙いを定める。
回避を誤れば串刺しになる状況で、俺はフェンを止めた。
「俺はいい! フェンは沼大蛇に集中してくれ!」
「なに!? ……いや、分かった。頼むから死ぬなよ!」
フェンは思うところがあるようだが、俺を信じて指示に従ってくれた。
空中にぶら下げられた餌同然の俺、殺到する黒槍鷺達。
俺がいま閃いた策は、打開の一手か墓穴を掘ることになるか。
冷や汗を流しながらも、俺は黒槍鷺達を睨みつけた。
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未だに全力を出していない沼大蛇『ムキヤバダサルパ』。
しかし寝ぼけまなこも覚めてきたか、徐々に動きが素早くなっていく。
沼地を抉り、巨木を薙ぎ倒し、激しく水しぶきが上がる中で冒険者達は駆けていた。
「バルさんは手一杯のようです! 私が指示を出しますよ!」
過去の反省から指揮系統を明確にして混乱を防ぐニム。
彼女は剣を片手に、水面から出た木の根や倒木の上を跳ね、沼地とは思えない速さで駆けていく。
その身のこなしは、誰が見ても身体強化能力だと考えるだろう。
「我は『大盾たる大蟻』!! グヌゥッ!!」
再び繰り出された尾撃をレギンが受け止め、轟音が沼地に響く。
踏ん張りの利かない泥の中、レギンは渾身の力で離されまいと沼大蛇にしがみついた。
「よくやった、離すんじゃないよ!」
レギンが沼大蛇を全力で持ち上げ、できた僅かな隙間へと潜り込むパール。
沼大蛇の巨体、パールを押し潰そうとする重量が力を湧き出させる。
「『重荷涌出』ッ!!」
ズズッ、と沼大蛇の巨体が動き始める。
ここに来て初めて沼大蛇は感情を表に出した、その色は驚愕。
小さな人間が、沼大蛇の巨体を背負い投げる。
波打つ沼地、理解できない様子の沼大蛇。
蛙、魚、鳥、虫、そして人間、誰もが自分を見て逃げ出した。
攻撃を受けたことはあっても、投げ飛ばされるという未知の体験に脳は混乱し、大きな隙を晒してしまう。
そこへ迫る冒険者達。
「今です! 『旺強賦活』!」
「残響傷『鉄拳』!!」
「『亥進励活』ッ!!」
ニムは鱗の隙間を縫うように剣を差し込み、沼大蛇を穿つ。
グルーは大上段から振り下ろす大剣を『鉄拳《鉄拳》』で加速させ、沼大蛇を鱗ごと引き裂いた。
シードゥは貯めきった『亥進励活』の力を解放し、沼大蛇の体を駆けながら切り刻んでいく。
侮っていた相手からの手痛い猛攻撃。
鮮血が吹き出し傷が疼く中、沼大蛇は眼前の生物を排除すべき脅威だと認識した。
「ぎゅぐぅッ!?」
沼大蛇をもう一度投げ飛ばそうとしたパールが苦悶の声を上げる。
締め付け。
常識的な大きさの蛇の力ですら、獲物の血流を止め、肺の空気を押し出し、骨をへし折る。
魔石の力で強化された筋力による圧力は、パールの板金鎧を歪ませ、隙間から血が噴き出し始めた。
獲物の鼓動が止まるまで、解かれることはない──
「パール! 『癒尽治縛』ッ!!」
「『是正宣光』!」
リウとラロの治癒能力が飛びパールを癒すが、それは命を繋ぎはするが解決にはならない。
恨みか怒りか本能か、沼大蛇の締め付けはさらに力が込められていく。
身体強化されているとはいえ、死が訪れるまで一刻の猶予もないだろう。
「『震脈無潜』……解放!」
締め付けで動きの止まった沼大蛇にキシコが手をつき、蓄えた振動を解放した。
自らの能力で自滅し、足手まといになるのを避けるため、解放する振動を絞り込む。
それでもキシコの腕を裂き、骨を粉砕するほどの超振動。
沼大蛇の巨体に響く苦痛、締め付けがわずかに緩むが、尾先がキシコを襲う。
「キシコッ! 『癒尽──」
「パールに集中しろッ! 俺を回復する必要はないッ……!」
吹き飛ばされ沼地を転がり、血反吐を吐くキシコ。
体に無事なところなどないが、彼は自らの苦痛より仲間を優先した。
沼大蛇はパールを絞め続け、もはや声にならない呻きが漏れている。
「残響傷『鉄拳』ッ!!」
「我は『大剣振るいし大蟻』!!」
「『旺強賦活』!」
三者の全身全霊の一撃が放たれた。
しかし先ほど痛手を与えた攻撃は、肉に食い止められてしまう。
遊びをやめた沼大蛇は、その身が一回り小さくなるほど筋肉を収縮させていた。
強固な大鱗と全力で固められた筋肉。
三人は剣を振り続けるが、締め付けを解かせるほどの負傷を与えられずにいる。
「これでは駄目です! もっと、もっと一点に集中した攻撃でなくては……!」
切迫した状況下でニムが焦りの声を上げる。
それに応えるように、フェンが叫んだ。
「『千散射・重畳放』!」
この戦いで弾かれ続けていた射撃。
すでに何百という鏃を弾いていた沼大蛇は、フェンが放った矢を見ようともしなかった。
だがそれは油断を誘うための布石。
乾坤一擲の矢は、一条の光となってフェンと沼大蛇の頭を結ぶ。
「沼大蛇、お前は侮りすぎたんだ。射手を……人間の攻撃をな」
倍々に増殖する矢、それを同じ箇所へ重ねて放つフェンの新技。
数百の矢が集約された一撃は、沼大蛇の頭を貫いた。
ズルリ、と締め付けが解かれる。
中からは瀕死になりながらも、確かに息のあるパールが現れた。
安堵し、勝利の笑みを浮かべる冒険者達。
あとは黒槍鷺だけだと空を見上げ──
地上が吹き飛んだ。




