第107話 朽縄覚む、黒千鳥纏はる、葦は生けり
中級迷宮・第十三階層
蛇に睨まれた蛙、鷹の前の雀、圧倒的な巨体と捕食者の覇気の前に、俺達は金縛りにあったように動けなくなっていた。
今すぐ踵を返して逃げ出したいところだが、何が刺激になって襲いかかってくるか分からない。
こちらに主導権はなく、沼大蛇『ムキヤバダサルパ』は辺りをキョロキョロと見回すと、再び大きなあくびをした。
俺は可能な限り声を落とし、指示を出す。
「前衛が時間を稼ぐ。フェン、グルー、キシコはラロとリウを連れて近くの安全地帯へ逃げてくれ……!」
沼地でも素早く動ける者が残り、他の者を先に逃がす、それが最適だと判断した。
だがこの崖っぷちの状況、さらなる危機が重なってしまう。
バサリ、と大きな羽音が耳に入り、音のした方向へ目を向ける。
そこには、長く鋭利な嘴を携えた漆黒の怪鳥、黒槍鷺『バグラティキーナー』が樹上に数十羽止まっていた。
「おいおい……バルどうする、あれじゃ脱出は無理だぜ……」
黒槍鷺達は遠くからこちらを眺めるだけで、動く気配はない。
狙っているのだ、俺達が逃げ出すのを、沼大蛇のおこぼれを。
一羽一羽は大した敵ではないが、後衛達だけでは格好の的にされてしまう、もはや仲間を先に逃がすことはできなくなった。
「バルさん、すでに手は一つしかありません。総力を挙げて、沼大蛇を打倒しましょう……!」
「……ああ、もうそれしかないか。全員覚悟を決めてくれ! あいつを倒して、今日は豪華な宴会にするぞ!」
「はは! そりゃいいな、やる気出てきたぜ!」
もはや声を落としはしない。
武器を手に声を張り上げ、俺達は覚悟と共に踏み出した。
----------
俺達が陣形を組むため動き出しても、沼大蛇は意に介さなかった。
チロチロと舌を動かすだけで、こちらを警戒する様子すら窺えない。
しかし強大だからこそ、驕り高ぶり油断してくれるからこそ、矮小な人間にもその命に手が届くのだ。
「『千散射』!」
小手調べにフェンが先制の矢を放つ。
小手調べと言っても、倍々に増殖していく矢の雨は凄まじい猛攻だ。
天に放物線を描き、数百の矢が沼大蛇へ降り注ぐが──
「くッ、また矢が刺さらない敵か……!」
沼大蛇の琥珀のような大鱗は鏃を弾き滑らせ、その身に一本たりとも矢を通さなかった。
奴にとってはにわか雨程度の攻撃だったのだろうが、小虫に牙を向けられたことが癪に障ったらしい。
沼地を波立たせ、木をなぎ倒し、ついに沼大蛇が動き出す。
「後衛は距離を取り続けろ! パール、レギン! 壁役は頼んだぞ!」
「任せな! 隙は作ってみせるよ!」
「本業ではないが、受け止めようではないか!」
蛇とは筋肉の塊だ、体の大部分が筋肉と骨で占められている。
そして沼大蛇は自重で潰れかねない巨体を、体内の魔石で強化した骨肉で支え動かしているのだ。
人間が足元の小石を蹴り飛ばすように、沼大蛇は巨体をうねらせて尾先を薙ぎ払った。
「我は『大盾たる大蟻』!!」
「オオォッ! 『重荷涌出』!!」
レギンがその身に大盾の強度と人外の膂力を宿す。
パールはその身にかかる重量が増すほど強化される能力『重荷涌出』を解放し、大盾を構えた。
ドゴォンッ!!
尾撃が、構えるレギンとパールに衝突した。
衝撃は受け止めた二人だったが、沼大蛇の桁違いな筋力によって吹き飛ばされる。
好機を無駄にするわけにはいかない、二人の安否は気にかかるが飲み込み、俺達は駆け出す。
「『己力投写』!」
「『亥進励活』!」
距離の近かった俺とシードゥが沼大蛇に斬りかかった。
『己力投写』を乗せた黒剣を振るうが、浅い。
硬く弾力のある鱗、切りつけた感触から生半可な攻撃では致命傷を与えられないと認識する。
それはシードゥも同じだったようだ、鱗に阻まれ、剣が皮まで届いていない。
動き続けるほど強化される『亥進励活』、足を取られる沼地では本領を発揮しきれないようだ。
(くそッ! 負傷を恐れず全力でいくべきだった……!)
せっかくの好機だというのに、反動による怪我を気にして出し惜しみしたことを猛省した。
俺は沼大蛇の頭上へ跳び上がって距離を取り、シードゥも沼地を駆けて離脱する。
上空から俯瞰する景色の中に、レギンとパールが起き上がるのが見えた。
「レギン、パール! 動けるか!」
「問題ないよ! すっ転んだだけで怪我はない!」
「我もだ! 次は飛ばされなどしない、踏ん張ってみせよう!」
泥だらけになりながらも立ち上がる二人の姿に、俺は安堵する。
沼大蛇は先ほどの攻撃すら気に留めておらず、目覚めの朝食を選ぶように二股の舌を動かして様子を伺っているだけだ。
「シードゥ、あなたは限界まで力を貯めてください! 前衛は私とバルさんとグルーさんで行きましょう!」
「リウは俺の回復を頼む! 腕が折れたらすぐに治してくれ! ラロは光での妨害を!」
ニムさんと俺の指示が飛び、沼大蛇を打倒するために再び動き出す。
沼大蛇、黒槍鷺、俺達。
食うか食われるかの領域、生き残る権利はただ一つだけ。
沼の腐臭が立ち込める弱肉強食の檻で、戦いが始まる。




