第97話 悠然の風、志ぞ立てり
クルが虚空に剣を振るい、レギンは水壁内を駆け回る。
傍から見れば妙な光景だが、当人達は真剣そのものだ。
野の草は断ち切られ、地面と水壁には無数の切断面が刻まれていた。
(風切り音のみで攻撃が見えぬな。【凩の飛牙】と呼んでいたか、これは魔道武具の機能だな。しかし……)
クルが剣を振るうたび、不可視の攻撃が飛び交う。
風の刃を飛ばす魔道武具、すでにレギンは看破していたが、問題はその性能の良さだった。
(街の武具屋で買えるような代物ではない。この域の性能は、一族の家宝や高位冒険者が所持する水準の物だ。金に物を言わせて手に入れたか? ……いや違うな)
クルが【凩の飛牙】を使ったのは、自ら血を武具に付着させてから。
なぜわざわざ手を切りつけ、血を塗りたくったのか。
クル家の儀式、覚悟を示すため、示威行為、どれもレギンには腑に落ちない。
(我は思い違いをしていたな。ただの身体強化と考えていたが、クルの能力はおそらく……自身の血が付着したものの強化)
レギンの推測は当たっている。
クルの能力『碧血無窮』は、自身の血を媒介とした強化能力。
血が流れる肉体はもちろん、血を付着させれば他者や物体さえも強化できる。
【凩の飛牙】は高品質な魔道武具ではあるが、本来はそこまで逸脱した性能ではない。
威力、速度、射程のすべてが中途半端で、牽制や妨害程度の性能にしかならないものだ。
(だが私の『碧血無窮』で性能を引き上げれば、すべてが高次元の魔道武具と化す。だというのに……なぜいまだ勝てない!)
不可視の刃が乱れ飛ぶものの、直撃したのは最初の一撃のみ。
あと一太刀さえ当てられればレギンの障壁は砕けるが、届かない。
必勝を自負する魔道武具、家名を名乗った戦い、誇りと泥を塗りなくない焦りからクルの攻撃は苛烈さを増していく。
「我が咆哮は『吠猿』ッ!」
先日完成した、レギンの新しい型。
大きな喉袋を震わせ、数キロ先まで遠吠えを轟かせるという異郷の猿。
レギンは文献で知るのみだったが、村でタカトの咆哮を体験したことで想像力を補強し、形にできた技だ。
耳を劈く咆哮に不意を突かれ、クルは一瞬だけ隙を晒す。
「我は『大剣振るいし大蟻』!」
瞬時に間合いを詰め、振り下ろされたレギン必殺の一撃。
大剣の重量と人外の膂力は、障壁など紙のように切り裂くかに思われた。
ガギンィッ!!
躱されたことはあっても、受け止められたことなど一度もない一撃。
大きな亀裂が入ったものの、障壁は破れなかった。
クルの反撃より早く、レギンは即座に後方へ飛び退く。
(これはどういうことだ? 今回の障壁はそこまで強固ではないと……いやそうか、障壁すら強化しておるのか!)
『碧血無窮』は、血が付着するものならすべて強化できる。
本来なら耐えきれなかったレギンの一撃を、強化された障壁は崩壊寸前で耐えきってみせた。
これでお互いにあと一撃。
先手必勝、機先を制したのはクルだ。
「【凩の飛牙】!」
クルはレギンに当てるのを諦め、地面を標的にして目くらましを狙う。
斜めに放たれた空気の刃が、土砂を巻き上げた。
『魄力』を身体強化のみに注ぎ込み、とどめの一振りを放つクル。
だがレギンはどこまでも落ち着き払っていた。
土砂にもクルにも動じず、ただ悠然と細剣を構える。
「我が跳躍は『鷹』!」
わずかな踏み込みでクルを飛び越え、空中で体を捻り細剣を振り抜く。
レギンは音もなく着地し、遅れてクルの障壁が砕け散った。
「馬鹿な……クル家の剣術が、『碧血無窮』と【凩の飛牙】が敗れるなど……!」
クルは膝から崩れ落ち、敗北を受け入れられない様子で項垂れた。
「どうやって……どうやってそれほどの実力を得た!? その剣技は誰に学んだ!」
二人の間には、高い実力の壁がある。
剣技、能力運用、戦闘の駆け引き、すべて自分は劣っていたとクルは感じていた。
声を荒らげるクルに、レギンは澄まし顔で答える。
「クルよ、一つだけ助言を授けておこう。誇りを持つのはいいことだが……重要なのは、その誇りを抱いて何を目指すかだ。志しなき誇りなど、見栄に過ぎん」
チャキ、とかすかな音を立てレギンが細剣を鞘に納めた。
水壁の外へ歩き出そうとすると、クルが追いかけるように声をかける。
「お前……いや、君は一体どんな志しを抱いているというんだ……!」
「ふむ、高潔なる貴族、語り継がれる冒険者、龍狩りの英雄……欲張りでな、色々ある。だが──今は仲間を勝たせたい、ただそれだけさ」
そう言い残し、レギンは悠然と立ち去る。
残されたクルは、「ふ……足元にも及ばぬわけだ」と自嘲しながらも清々しい表情を浮かべていた。
(今のは決まったな! これは手記に書き留めておかねば。きっと後世の吟遊詩人が詠うに違いない!)
バル達がこのことを知れば、こういうところがなければ手放しで称賛するのにと呆れるだろう。
レギンは心を弾ませながら、水壁の外を目指すのだった。




