第91話 八方野岩、なおぞ立つ
グルーが閉じ込められた円蓋は、他のものより一回り大きなものだった。
周囲を見回すグルーに焦りはなく、ただこちらへ歩いてくる一人に視線を注いでいた。
「これならよ、最初から一騎打ちでやろうって言えば良かったんじゃねえか?」
「人数が合わない……それに、ナディちゃんはそこまで考えていない……」
答えたのは、プレートアーマーの兜から青い目を覗かせる女性だ。
身の丈を遥かに超える巨大なランスをズルズルと引きずり、地面に溝を作っている。
「俺はグルー。そっちは?」
「……チャル・シラー・ハスペル。覚える必要はない。すぐに倒すし、もう会うこともない」
「冷めてんなあ……成り行きで始まった決闘だけどよ、せっかくなら楽しもうぜ」
チャルはそれ以上言葉を返すこともなく、巨大なランスを無造作に落とした。
(常人にあれを振り回すのは無理だな。身体強化か、それとも操る能力か……)
チャルのランスは、柄だけでも一メートルはくだらない。
穂先は丸く、貫くことよりも押し潰し砕くためだけに頑丈に作られていた。
グルーは胸の高鳴りを抑えられず、大剣を構える。
「さあ、やろうぜッ!」
「……『五体巌躯』」
淡々《たんたん》としたチャルの宣言。
直後、地鳴りと共に地面がめくり上がり、ガラガラとぶつかり合う音が轟く。
待ち構えるグルーの目が見開かれ、顔の笑みは深まる。
落ちていたランスが、巨大な手に握りしめられた。
「なるほどな! そう使うのか!」
「……ベリアルの障壁も万能ではない。怪我をしたくないなら降参を勧める」
グルーの見上げる先には、聳え立つ七メートルを超す影。
周囲の岩石を引き寄せ身に纏い、チャルは岩の巨人と化していた。
身の丈を超えていたランスも、今はおあつらえ向きの武器になっている。
地響きを立てて、巨体が動き出した。
「おおッ!?」
巨体からは想像もつかない機敏さで、巨岩の腕がランスを繰り出してくる。
正面から受け止めるなど想像もできない、グルーは身を翻して躱す。
ランスが突き刺さった地面は爆ぜ、土砂が降り注いだ。
(こ、こいつはやべえ! 一発でもまともに喰らったら障壁が砕けちまうな)
巨大なランスが振り回されるたびに、地面が抉られ風が吹き荒れる。
グルーは逃げ回るしかなかった。
しかしそれは恐れているわけでも、逃げているわけでも、諦めたわけでもない。
機会をうかがう狩りの動きだ。
(チャルは巨体のてっぺん、頭に埋まってやがるな。体勢を崩すか、バルみてえに跳ばなきゃ攻撃は届かねえか)
模擬戦大会で、バルが巨人相手に空を駆けた姿は記憶に新しい。
だがあれは自分には真似できない芸当、ならば体勢を崩すしかない。
意を決したグルーは、反撃に打って出る。
「残響傷『鉄拳』!」
ランスを突き出してきた巨岩の右腕にタイミングを合わせ、能力を発動する。
巨岩に見劣りしない緑の巨拳が、唸りを上げて叩きつけられた。
ドガッ!!
自らの十八番と言える能力。
叩きつけた所から土ぼこりが舞うのを見ながら、グルーは砕け散った巨腕を想像する。
「驚異的な威力……だけど私には通用しない」
耳に届いた凛とした声が、グルーを現実へ引き戻す。
巨岩の腕は健在だった。
凹み亀裂が入ってはいるものの、打ち砕けてはいない。
巨岩は再び動き出し、グルーは再び逃げ惑う。
(嘘だろ!? 普通の岩ならぶち壊せる、能力で強く固めてやがんのか! これ以上となると、鉄拳と大剣の合わせ技だが……)
あれは大きく構えなければならず、溜めも隙も大きい。
攻撃を躱しざまに、ましてや七メートル上空の相手に叩き込めるものではない。
岩の体に毒や酸が効くとは思えず、グルーは必死に策を練る。
(くそッ! わざわざ鍛えてもらったってのに、このザマかよ……情けねえぜ)
決闘までの三日間、チーヤーに対人戦の手ほどきを受け、さらに魄力の制御訓練も行った。
チーム内ではグルーが一番魄力の制御が拙い。
この三日間、自分が特に手を煩わせたはずだ。
鍛錬の合間を縫って付き合ってくれた仲間達のため、そして口悪くも指導してくれたチーヤーの教えを無駄にしないため、グルーは再び動いた。
「残響傷『鉄拳』!」
再び具現化する巨拳。
しかしそれは攻撃のためではなく、煙幕を作るためのものだった。
放たれた複数の巨拳が次々と地面を叩き、水壁の中は土煙で満たされていく。
(身を潜められた……でも問題はない。表情を見れば分かる、先ほどの攻撃が彼の最大威力のはず)
急速に視界は悪化していくが、チャルに焦りはなかった。
自身の能力への自信と、グルーの攻撃では巨岩を砕けなかったという事実。
直撃しても壊せなかった時の唖然とした表情を見る限り、あれ以上の攻撃手段があるとは思えなかった。
(仮にあったとしても問題はない。まずは水壁を背にして攻撃方向を絞る。あとは土煙が収まるまで、無差別に前方を薙ぎ続ければ──)
「残響傷『熱液』!」
土煙の奥から声が響き、煌々《こうこう》と光る赤い粘液が飛び出してきた。
だが速度は大したことがない、チャルは余裕をもって巨岩の腕で受け止める。
「残響傷『熱液』! 『熱液』!」
矢継ぎ早に射出された高温の粘液が、巨岩の手足にべっとりと張り付いていく。
移動しながら放っているらしく、あちこちから飛来するが、チャルは小首を傾げる。
(……これは一体? 破壊力はない、粘着質だが動きを阻害されるほどではない……)
顔以外を岩石で覆っているため、チャルに熱は伝わらない。
それゆえ粘液の意図が掴めなかった。
土煙も徐々《じょじょ》に薄れてきており、じきにグルーの姿も捉えられるだろう。
そうなれば、次は消耗を気にせず全力で巨岩を稼働させて仕留めるだけだ。
(時間稼ぎは無駄。五体巌躯の重量と力なら、この程度の粘液で転倒することもない。私の勝──なに?)
チャルは異変に気がつく、どこからか奇妙な音が響いてくるからだ。
ピシピシと、何かが割れる音が次第に大きくなっていく。
そして──
「……え!?」
普段は冷静沈着なチャルが驚愕する。
パァンッ!
大きな破裂音とともに、自身を包む岩石が次々と爆ぜ飛ぶ。
熱液を受け止めていた左腕と、とりわけ多く粘液が張り付いていた右足が崩れていく。
支えを失った巨人は、片膝と片手を地面へついたのだった。
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種は熱膨張と水蒸気爆発だ。
岩は熱液が触れたことで表面だけが急激に熱せられ、膨張しようとする。
だが内部は固まったままのため、強力なせん断応力が発生する。
さらにチャルの能力は、周囲にある岩石を集めて巨体を構築するもの。
堆積岩や火山岩、そうした自然の石には微細な隙間が存在し、内部には水分が染み込んでいる。
それが熱液によって加熱され、気化に伴い体積が約千七百倍へと膨張して岩石を内側から破壊する。
これが、鉄拳では破壊できなかった巨岩を破砕できた理由。
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(前に焚き火で肉を焼こうとした時、使った石が破裂したことがあったからな。いけるんじゃねえかと思ったが、大成功だぜ!)
冒険の最中、グルーは肉を焼こうとして石を破裂させ、台無しになったことを覚えていた。
「おおぉッ! 残響傷『鉄拳』!!」
具現化された三つの巨拳。
魄力の制御訓練を経たことで、複数具現を行っても一つ一つが十分な威力を維持している。
膝をつく巨体の体勢をさらに崩すと、グルーは大剣を振りかぶり渾身の力を込めて握りしめた。
(一撃で障壁を砕く! もっと速く能力を発動させるんだ、俺ならできる!)
「残響傷『鉄拳』ッ!!」
「『五体巌躯・棄岩』」
乾坤一擲、叫ぶグルー。
泰然自若、呟くチャル。
次の瞬間に地に背をつけていたのは──
グルーの方だった。
チャルを覆っていた岩石が一斉に射出され、噴火のごとく周囲へ飛び散ったのだ。
グルーは岩石の礫を正面から浴び、後ろへ吹き飛ばされた。
「……棄岩は本来、岩石の体を脱ぎ去るだけのもの。攻撃用ではないけれど、障壁くらい砕けるはずだった……あなたの障壁はまだ残っている」
チャルは悠然と佇み、転がる岩の上からグルーを見下ろした。
グルーは咄嗟に大剣と鉄拳を盾にして致命傷は免れたものの、障壁は亀裂だらけで今にも崩壊しそうだ。
「あなたの評価を訂正しなければならない……いえ、あなたではなく、あなた達ね。だけど──」
『五体巌躯』再びチャルが呟くと、周囲の岩石が吸い寄せられ、空を覆い地を踏みしめる岩の巨人が再誕した。
「勝敗は変わらない……怪我をしたくないなら降参を勧める」
「はは……マジかよ……」
見上げるグルーはただ苦笑するしかなかった。




