8-4 ジャンとジョセフィーヌ
× × ×
目覚めた時には身体が動かせなくなっていた。太股が焼けるように痛い。喉が渇いている。
視界がぼやけていた。
草の匂いから納屋の床に倒れたままなのはわかる。痛い。止血しようにも身震いするばかりで何も出来ない。人形になった気分だ。
助けを求めようにも声が出ない。どうしたものか。僕はここで死んでしまうらしい。
死んだら次はどんな異世界に飛ばされるのだろう。もっと過去の世界なのか。ドラゴンやモンスターが出てくるような世界なのか。あるいは「無」に帰すことになるのか。ついに天に召されるのか。
手足が痺れてきている。耐えがたい。叫ぼうにも叫べない。
ドータン将軍。おそらく「気絶魔法」をかけてくれたのは彼なりの情けなのだろうが。
きっちり死に至るまでかけてくれないと余計に苦しむだけだ。
仕返しを望みたいが今のままでは機会を得られそうにない。僕は死ぬ。死んでしまう。
「ジャン様」
あの子の姿を思い浮かべる。ジーナにはお世話になった。本当に感謝している。心から愛している。
もう彼女に会えない。そんなことがあっていいのか。
僕はまだ彼女に伝えたいことが山ほどある。結婚の件も出産の件も。中途半端に何も決められないまま故郷に戻ってきてしまった。
戦場で家族の役に立つことが出来れば、両親を説得できる材料になると考えていた。
戦場で死ぬことになるとは少しも思わなかった。以前からジーナには常々『君子危うきに近づかず』と諭されていたのに。悔やんでも悔やみきれない。誰と結婚するとか、そんなの自分で勝手に決めたら良かったじゃないか。僕は元々日本の現代人だったのだから。
痛い。痛覚だけが機能している。それも少しずつ痺れに変わっていく。恐ろしくてたまらない。
ここにジーナが居てくれたら痛みから逃れる術を教えてくれたかもしれない。生理痛が酷い時だけ男に戻るなんて卑怯ですね、と笑っていた彼女なら──その手があった。
僕は葛藤を覚える。
今ここで女性化魔法を使ってしまえば、もう二度と男には戻れなくなるのではないか。
ジャンとジョセフィーヌは別の肉体だ。
ジャンの怪我はジョセフィーヌの身体に引き継がれず、ジョセフィーヌの生理痛はジャンには感じられない。繋がりが無い。ジャンの時に紙片で指先を切っても、ジョセフィーヌになれば治っている。ジャンに戻れば、傷口も戻る。
おそらく女性化魔法は魔法使いの肉体を変質させるものではなく、女性として生まれていた場合の肉体に差し替える技術なのだろう。
だから変身魔法の『変身中は常に魔力を消費し続ける』というデメリットが、女性化魔法には存在しない。僕は一週間でも一ヶ月でもジョセフィーヌとして生活できる。なぜなら本質的に別の身体だから。
魔法の原則は栄養素を対価に現実の理を捻じ曲げることにある。
基礎魔法ではない女性化魔法には未知の部分が多いが。僕の推測が正しいのなら。
今ここでジョセフィーヌになり、バストン連合王国に逃げ延びたとしても。もう僕はジャンには戻れない。
元に戻った瞬間、死体になる。
これから一生を女性として生きていくことになる。
死ぬよりはマシだが。愛する人と子を為せないことには未練を感じた。
それでも訃報で終わるよりは、あの子にとっても予後が良いはずだ。
僕は背中に生えた七本目の架空の腕で、自分の尻を何度も引っ叩く。想像する。痛みが消える。ああ。助かった。
× × ×
納屋の出入口に夕陽が差し込んでいた。
僕は立ち上がる。足元に広がる血だまりに驚愕する。我ながらよく死なずに済んだものだ。
身体が小さくなった分、衣服の大きさに余裕が生まれていた。彼シャツのようにダボついている。歩きづらい。
僕はズボンのベルトを持ち上げる。リネンのシャツの袖を折り返し、血まみれの外套に再び袖を通す。サイズの合わないジレは納屋の奥に放り投げる。あれを着たままだと微妙に乳首が擦れる。今さらだが、ジョセフィーヌ用の柔らかい肌着を持ってくるべきだった。
「……ラファエル兄さん」
納屋の外に兄さんの遺体が転がっていた。
殺害に使用された魔法は何だったのだろうか。唇の端から血が垂れている。これだけでは予想がつかない。少なくとも即死だったことはわかるのだが。人間を殺せる魔法は多い。
シャルル・ド・ドータン。いつか必ず同じ目に遭わせてやる。
僕は両手を合わせてから、兄さんの軍服を漁った。火打石式の拳銃と小刀をもらっておく。
これらは形見であり、これから長い旅路を歩む上での相棒でもある。
今の僕はただの若い女性に過ぎない。体内の魔力はほとんど残っておらず、空を飛ぶこともままならない状態だ。
ひとまず北海岸の港町に向かい、ジーナたちと合流したいところだが。それまでに自分が落ち武者狩りに巻き込まれたら目も当てられない。
今の自分はお世辞抜きに可愛いのだから。むざむざ自分の操をその辺の村人に捧げてたまるものか。武器は必要だ。
「…………兄さん」
僕は遺体の軍服を整え直しつつ、頬に軽く口づけした。じきにマルシュル元帥の本隊が迫ってくる。埋葬できる時間は無い。
南の盆地を望遠鏡で覗いてみれば、伯爵家の城館付近で火事が起きていた。プルニア准旅団の生き残りが食糧を現地調達しているのだろう。村が燃やされている。
心残りは尽きないが。
僕は生者の居ない草原を後にする。
× × ×
地図を片手に北へ向かう。空が明るいうちは歩き続ける。暗くなったら寝床を探す。
幸いにして眠る場所には困らなかった。
現在のブランシュ州は廃村だらけだった。九年前の革命勃発以来、村落の間でも革命派と王党派による抗争が頻発していた。彼らはそれぞれの対立派閥に属する村を焼き討ちして回った。
州内の械闘は地域全体を荒廃させていた。
僕は寺院の焼け跡に身を隠し、暗闇の中で眠りについた。柔らかいベッドが恋しかった。動物の足音で飛び起きる夜は不快そのものだった。熟睡できない。
朝には小川の水で身を清め、お腹が空いたらパンの残りを口にする。
兄さんが『雷魔法』使用のために集めてくれた兵糧の大麦パンが、僕の手元にいくつか残っていた。
あの人のおかげで生き延びられた。このパンが無ければ、どこかの街で盗みに走るところだった。ありがたいことだ。
プルニア准旅団との会戦から三日後。
潮の匂いがする丘に、焼け焦げた廃墟が佇んでいた。地図によるとアルスナル侯爵の邸宅跡だった。革命前に州の太守を務めていた御仁だ。
革命後は派遣議員に歯向かわずに所領で息を潜めていると聞いていたのだが。いつの間にか焼き討ちを受けたようだ。室内には価値のありそうなものは何も残っていない。
邸宅の周囲には荒廃したリンゴ畑が広がっていた。リンゴ酒の醸造所も破壊されていた。
今のブランシュ州はどこを歩いても気分が滅入る。
現代から異世界に転生してきた者として。市民革命の重要性は理解している。
曲がりなりにも個人の権利が尊重される時代になった。法制度が整えられ、以前より平等な裁判が行われるようになった。法の下の平等が指向された。どれも近代社会の基礎となる仕組みだ。
もはや我々は人権を手放すことなど出来ない。門地により差別されることを許容できない。
しかしながら。新時代の価値観が、社会的な軋轢を生んだこともまた事実だった。
後世に生まれた僕たちは、市民革命による世相の混乱を「産みの苦しみ」の六文字で飲み込んでしまいがちだが。
実際に被害状況を目にしてしまうと複雑な気分になる。
無論、後知恵に過ぎない。
七夕革命もフランス革命も、誰が舵取りしても軟着陸は難しかったはずだ。そもそも社会とは自然であり、舵取りできるものではないのかもしれない。舵取りを志した時点で社会から切り離された存在となり、いずれは荒波に飲まれていく──我ながら目の前の海から着想を得たことが丸わかりすぎる。自分に社会批評は荷が重い。
「やっと着いた……」
僕は丘の上から北海岸を見渡す。浜辺では王党派の梯団旗が潮風に揺られていた。白服の将兵が砂浜で露営している。
直線的な海岸線の向こうには青い海が広がる。沖合には大型の帆船が見えた。バストン連合王国の救援艦隊なのだろう。僕の望遠鏡のレンズには白地に『百足十字』の海軍旗が映っていた。
さて……ジーナと父上にどうやって今の状況を説明したものか。
僕は鎖骨の下の膨らみにため息をつく。




