9-1 君の知らない物語
× × ×
浜辺を歩くと白服の兵士たちに声をかけられた。どうやら商売女だと勘違いされているらしい。
司令部のテントはどこですかと尋ねたら、そんなことより一緒に飲もうと言われた。彼らは「酒の空き瓶で要塞を作るんだ」「追いかけてきた革命派をビックリさせてやろう」と笑っていた。
彼らの手を振り解き、僕は早足で炊事場に向かう。敗残兵の集まりであっても人間等しく腹は減るものだ。駐屯地では必ずどこかで煙が立っている。
「ジャン様!」
ジーナは炊事場には居なかった。炊事場の傍らで台帳を片手に物資の選別を任されていた。
大砲や美術品など、バストンまで持ち帰る価値があるものにチョークで印を付けていたようだ。足元の物資集積場はさながら盗品市場の様相を見せている。実際ほとんど盗品なのだろう。
彼女はこちらの外套にも丸を描いてくる。
「よくぞ戻られました。ずいぶん遅かったですね。偵察任務ですか?」
「色々あってさ」
「どうしてジョセフィーヌの姿なの?」
「それを話すと長くなるんだけど……ああ、ごめん。あんまり良い話はできそうにないや」
「……司令部に行きましょうか」
彼女はそれ以降何も言わず、歩きながらこちらの背中をさすってくれた。
こういう時は年上のお姉さんなのだと感じられる。生意気な従者だったり、真面目な家庭教師だったり。愛すべき女性であったり。彼女には色んな顔がある。
彼女がラファエル兄さんに対して見せていた険悪ながらも気安い態度の顔は、もう見ることが無さそうだ。
「寂しいなあ」
「ジャン様。元のジャン様に戻ったほうがよろしいのでは?」
「その件も長くなるんだよね……」
「魔力切れでしたら、後で適当に食事を用意しますよ」
「ありがとうジーナ」
そうしているうちに王党派の司令部のテントに差し掛かる。
薄暗い内部にはマングスター伯爵家のルイス卿の姿が見えた。バストン貴族らしく優雅に茉莉花茶を飲んでいらっしゃる。敗軍の将ながら元気そうだ。
ジーナがスカートをまとめて、彼の前で丁寧に跪く。
「ルイス卿。我が家のジャンが戻りました」
「おおっ。ジャンの兄者は健在であられましたか。ところで自分の目にはとても可愛らしい乙女が見えておるのですが! どなたですかな!?」
ルイス卿の視線がこちらに向かう。
品定めされているようで気持ちの良いものではない。
僕は早々に正体を明かすことにする。
「ご息災で何よりです。ルイス卿。自分はジャンです。色々と事情があり、こんな姿ではありますが」
「なんと!」
「父上に会いたいのですが、司令部には居ないようですね」
「うっ」
こちらの言葉にルイス卿は気まずそうに目線を逸らしてくる。
ここでも何かあったようだ。
「ルイス卿、どうされました」
「ええと……ファニョン伯は……その……」
「まさか病気ですか?」
「申し訳ございません。兄者。自分には止められませんでした」
ルイス卿は卓上の地図を指差す。
ブランシュ州の中央部。ファニョン伯爵家の城館がある辺りに印が付けられていた。
現在は革命派の拠点となっているはずだ。
「ファニョン伯は……兄者とラファエル殿が捕虜になったと考えられ、身代金を払いに向かうと言って聞かず……わずかな郎党を率いて、ここに……」
「敵陣に向かったのですか!?」
「兄者もご存知のとおり貴族同士は殺し合いを避けるものです。必ずどこかで血の繋がりがありますから。しかし相手は革命派……庶民に同じ道理が通用するとは自分にはとても……」
ルイス卿は申し訳なさそうに紅茶をすすった。
奥州にはどこぞの島国のように敵将の首を取る文化が無い。敵の指揮官を捕らえたとしても相手の地位に敬意を払い、敵方から身代金が支払われるまで丁重に扱うものだ。
それは過去の戦争が王侯同士の争いだったから成り立っていた作法だった。
「それでは父上は生死不明、なのですか」
「自分には何とも言えませぬ。お許しください兄者」
マングスター伯爵家の嫡男に頭を下げられる。
僕は何も言えない。
父上は故郷で死にたがっている。そんなラファエル兄さんの言葉が脳内に去来する。
僕たちは理由に使われたのだろうか。
「ジャン様。いい加減、何があったのか教えていただけませんか」
ジーナが背後からこちらの両肩を掴んできた。酔うから前後に揺らさないでほしい。
僕はこれまでの顛末を語る。
ラファエル兄さんが王党派の残存部隊を北に逃がすために会戦を仕掛けたこと。見事に革命派の送り狼を追い払ったこと。
その際、敵の魔法使い・ドータン将軍に兄さんが殺されてしまったこと。
そして自分の身体が元には戻らないことを洗いざらい報告した。
ルイス卿はとても渋い顔をしていた。
「つまり……ファニョン伯は行方不明、ラファエル殿は戦死され、兄者がその姿に……」
「そういうことです、ルイス卿」
「お家は、ファニョン伯爵家はどうされるのですか」
「それは……バストンにいる母上がお決めになることかと……」
「クレイグ兄様のことは?」
そういえばルイス卿は僕の義理の兄にあたる人だった。
クレア・マングスターとの婚約。今の自分たちには家同士の繋がりをもたらす目的は果たせない。
僕は自分の胸を抑える。
「すみません。この身体ではクレア嬢を幸せに出来る自信はありません」
「であれば……兄者……」
「婚約の話は破棄していただいて結構です。責めは自分が負います」
「いや。お待ちくだされ。今の兄者なら自分、抱けます」
ルイス卿に手を握られる。
僕の全身に鳥肌が立つ。脳細胞が理解を拒んでいる。
僕の鎖骨に触れるジーナの指先も震えていた。喉の奥を鳴らす音が聞こえる。この女、この状況で笑ってやがる。
「抱かせてください。そして長男をマングスター家、次男をファニョン家の跡取りに致しましょう! これで万事解決です!」
ルイス卿は真剣な目をしていた。
凄まじい。映画でも見たことがないような最悪のプロポーズだった。下心がそのまま飛び出してきている。
たしかにライム王国では条件付きだが女性の爵位相続が認められている。僕が産んだ子供にはファニョン伯を受け継ぐ権利がある。
問題は産みたくないというところだ。絶対に嫌だ。そこに至るまでの行為すら想像したくない。
自分はジーナを孕ませておいて何だが。
僕は根本的に男性なのだ。ジーナに言わせれば、女の楽しい部分だけをつまみ食いしてきただけの男に過ぎない。
「お戯れを。ルイス卿。そんなバカな話はありません」
「ありませんか……」
男にションボリされても困る。
僕は馬鹿らしくなり笑ってしまう。お互いに辛い話ばかりしているのに。おかしいなあ。
不意に涙が出てきたのは僕自身の感情が弛緩したからだろうか。ジーナが手拭いを手渡してくれる。ありがとう。
「兄者。今後、何かあれば自分をお頼りください。力になります」
「ありがとうございます。ルイス卿。今回の出兵でも大いに力添えいただき、感謝しております」
「……それについては、むしろ自分は恨まれてもおかしくない立場だと感じております」
ルイス卿は地図の上に置いていた茉莉花茶のカップを拾い上げた。
乳白色のティーカップにはマングスター伯爵家の家紋が絵付けされていた。石造りの古城を抽象的に描いたデザインだ。
彼は湯気のない茶をすすってから、連合王国の北部にある領地を人差し指で叩く。
「自分の父は地方領主であり政治家です。父はライムから逃げてきた亡命貴族の生活費を外務省の予算枠内にねじ込んでいました。兄者のご家族を含め、王党派の方々を野垂れ死にさせるわけには参りませんからね」
「ええと、とてもありがたいことのように思えるのですが」
「しかし現在の連合王国は財政危機に陥っております。近年、税収の柱を失ったことが大きいようです」
「ニューバストン植民地のことですか」
往年のバストン連合王国は植民地に重税を課していた。重税に耐えかねた新大陸の人々が立ち上がったのは記憶に新しい。
僕の言葉に、ルイス卿は頷いてくれる。
「仰るとおりです。もはや自分たちの国には金銭的な余裕がありません。しかし亡命者を困窮させては王室の威信に傷が付きます。そこで父は今回の上陸作戦を思いつきました」
「お金が無いのに戦争をするのですか?」
「逆です。兄者。お金が無いから戦争をするのです。今回の作戦は体の良い『口減らし』なのですよ」
ルイス卿が申し訳なさそうに頭を下げてきた。
つまるところ。マングスター伯としてはライム系の亡命貴族を戦死させることで外務省の支出額を抑えようとしていたらしい。
明らかに無理筋の作戦の裏にはそんな打算が含まれていたわけだ。
王弟トッキ公は知ってか知らずかマングスター伯の誘いに乗り、僕の父親を含めた王党派は死地に向かうことになった。
僕自身、連合王国としては父親たちが死んでも口減らしになるだろうな、とは予想していたが。
まさか口減らしを目的とした作戦だったとは思わなかった。手段と目的が逆転していた。
「自分は許せませんでした。我が家の私設連隊を作戦に参加させたのは、せめてもの罪滅ぼしのつもりでした」
「ルイス卿……」
「おそらくここに自分が居なければ、王国海軍の救援が来ることはなく。皆さんは捨て石にされたことでしょう。しかし兄者に感謝される謂れなどありません。僕は情けない男です!」
青年の背中に哀愁が漂っている。
先ほどの唐突な求婚も、彼なりの罪滅ぼしだったのかもしれない。
僕はジーナにお願いして、新しい茉莉花茶を淹れてきてもらう。
熱々のお茶を注いだカップをルイス卿に手渡す。きっとバストン人には一番の栄養剤だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます。兄者とジーナさんもどうぞ。我が連隊の茶葉は一級品を揃えておりますぞ」
ルイス卿のお言葉に甘える形で、僕たちも茉莉花茶をいただく。
芳しい匂いのお茶だった。ルイス卿の話では発酵させた茶葉にジャスミンの香りを含ませたものらしい。
「実は兄者には我が連隊の魔法将校のポストが用意されております」
「もしや僕とクレア嬢を婚約させたのはそのためですか」
「お察しのとおりです。魔法使いを永久雇用できるなら安いものだ、と父は笑っておりました」
「策士だなあ」
「はい。自分も父を尊敬しておりました」
彼は寂しげに目を細める。
尊敬の念。僕も父親を尊敬していた。旧王家から禁色のローブを下賜された学識だけではない。己の信念を貫き、王家に忠を尽くしてきた在り方には敬意を抱いてきたつもりだ。
僕はあの人の息子を演れていただろうか。今さらながら、そんなことを考えてしまう。
もちろん父親は行方不明というだけで、まだ死んだと決まったわけではないのだが。
× × ×
翌日。沖合の帆船から迎えの小船が浜辺に送られてきた。
王党派の敗残兵たちが次々と分乗していく。マングスター連隊の赤服も混じっている。
「ジャン様。少しよろしいですか」
波打ち際で背後からジーナが耳打ちしてくる。
烏色の髪が、こちらの首筋に触れた。
「なんだい?」
「はっきり申し上げて、もうここにいる意味はありません」
「わかってるよ。ジーナ。これからバストン海軍の船に乗るんだから」
「そういうことではなくて」
「どういうことさ」
ジーナの右手がこちらの側頭部を撫でてくる。
ジョセフィーヌの栗色の髪が、彼女の指の間を通り抜けていく。心地良い。
遠くでルイス卿が羨ましそうに指を咥えている。彼の目には女同士の仲睦まじい触れ合いに見えるようだ。実際にはジーナの口調は厳しいのだが。
「ジャン様はいい加減、家族から独り立ちなさるべきです。あたしたちにはやるべきことがあるんでしょう」
「母上を見捨てろって言いたいの? 父上と兄さんが居ないのに、そういうわけには……」
「そうやって周りに良い顔をしようとするから、今まであっちこっちで良いように使われてきたんでしょうが。おまけに危うく死にかけることになって」
彼女の指先が枝毛を引きちぎる。地味に痛い。抜けた毛は海風に飛ばされていった。なおも彼女はこちらの頭を撫でてくる。
まるでペットを愛するような手つきだ。
「理事長、先生、雇い主、全権大使、大統領、姻族、父親。あんたは小心者で、周りの顔を窺いすぎるのよ」
「僕が流されやすいのはわかってるけど。社会は持ちつ持たれつなんだから仕方ないじゃないか」
「流されているうちに『破滅』の時が来たらどうするんですか」
「それは……まだ兆候があるわけでもないし……」
僕が言い淀むと、背中で彼女の胸が小さく跳ねた。
きっと笑われたのだろう。彼女は再び耳打ちしてくる。
「こんなどうしようもない世界がどうなろうと構わないけれど、いつ死ぬのかビクビクしながら生きていくのは気持ちの良いものではないわ」
「ジーナ、とりあえず母上のところに戻ろう」
「一緒に『仮面』を追いましょう、ジョセフィーヌ」
彼女にその名を呼ばれたことは僕の心を大いに動揺させた。
彼女は背後からこちらの両肩を掴んでくる。まるで内心の動揺を抑えにかかるかのように。
誰かに触れられると今の身体の小ささを実感する。
以前の僕はもっと肩幅があった。
「ふふふ。こんなに華奢な身体。もうジャン様とは呼べませんね」
「いや。僕はジャン・ド・ファニョンだよ」
「あたしが仕えた男は消えちゃって、あたしが仕えた家だって滅んだようなものじゃない」
彼女にファニョン家のジャンであることを否定された。
僕は言い返す言葉を見つけられない。相応しい言葉なら経典の中にたくさんあるはずだ。探し出そう。
不意に彼女に抱き締められる。
「そっか。そういうの全部消えちゃったら、あたしたち、ちゃんと友達になれるのかもしれないわね」
「狐は死ぬ時に故郷の丘に首を向けるものだよ……えっ? 友達?」
「冗談冗談。さあジャン様。どうされますか?」
彼女は僕の外套の懐から勝手に地図を取り出してきた。
目の前に世界地図が広がる。これからどこに向かうべきなのか。従者の彼女から指示を求められている。
バストン連合王国に戻り、母上に家族の死を伝えるべきか。
新大陸に戻り、双子と一緒に国立飛空士学校の設立に携わるべきか。
魔法学校に戻り、理事長にセガン先生の出奔の経緯を報告するべきか。
それとも王都に向かい、マルシュル元帥の傍にいるであろう『仮面』の動向を探るべきか。




