8-1 また逢う日まで
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仮面の女を追うべきです。
三月下旬。中央平原から北部ブランシュ州・王党派の野営地まで遠路はるばる戻ってきた主君に対し、ジーナは引き返すように迫ってきた。
彼女はこちらに焼きたての大麦パンを差し出しながら滔々《とうとう》と語る。
「その仮面、マルシュル・オードヴィーの側近にして『破滅』の鍵を握る要注意人物なのでしょう。あたしなら絶対に後を追いかけ回します。仮面の下に何を隠しているのか、知りたいじゃないですか」
「こっちの様子も不安だったんだよ。母上には家族を守るように厳命されているわけだし」
「いざとなれば、あたしはマングスター伯爵家の首脳陣にお願いしてバストンに逃がしてもらうわよ」
「父上とラファエル兄さんのことだよ」
僕の言葉にジーナが少し不満そうに目を細める。
訂正しておこう。
「あの二人は敗軍の将になるより故郷で死ぬことを選びそうだろ。ジーナは僕が担いで帰るから」
「……じゃあ、燃料切れで海に落ちないようにもっと食べて」
彼女は手提げ袋の中から大麦パンを追加してきた。
僕が不在の間は野営地でパン焼き係を任されていたらしく、腰にエプロンを巻いている。
麗しい黒髪を頭巾でまとめた姿はいかにも家庭的だった。これでは味方の男どもから声がかからない日は無いだろう。僕は少し不安になる。
「それにしてもマルシュル元帥は人材に恵まれていますね。釣り針の役を見事に務めたダルデンヌ将軍、自軍の山岳突破を成し遂げた魔法部隊……歴史学の『リンゴの木の下には自然と道が出来る』の逸話を思い出すわ」
「なんだっけ、それ」
「良き将には良き兵が集まるのね」
「さっきも話したけど。僕の上位互換みたいな魔法使いから仕官を求められてさ。思わず蹴飛ばしちゃったよ」
「……なんでその人についていかなかったんですか?」
ジーナの双眸には冗談の色が含まれていなかった。
たしかにあの時、シャルル・ド・ドータン将軍の誘いを受けていたら。僕は革命派の内部で『仮面』に接触できた可能性がある。
もし彼女が本当に魔法学校の禁書棚に潜入した犯人だと確定すれば、理事長に連絡して「対応」をお願いすることもできた。
僕だけの力では共和国軍の魔法部隊には敵わないと思うが。
魔法学校の教師陣なら、間違いなく相手方の魔法戦力を圧倒できるはずだ。
そして「破滅」の陰謀は打ち砕かれ、世界には安寧が──。
「今からでもドータン将軍に頭を下げようかな」
「まあ。そんなことしたら裏切り者の親類としてファニョン伯爵家は世間から非難されるでしょうけど」
「世界と世間体の二者択一かあ」
「あたしが魔法使いだったらついていけたんですけどねえ」
「ジーナと会えなくなるのはイヤだなあ」
「……あたしが魔法使いだったら、なあ」
ジーナの目つきには悔しさがこもっていた。
そこにあるのは主君である自分を支えられないもどかしさなのか。
あるいは……己の境遇に対する嘆きなのか。
人生は無いものねだりだ。
容姿に恵まれた人間でも他者の才能に嫉妬する。完璧に見える天才が意外なコンプレックスを抱いていたりする。
残念ながら。平民のジーナは生まれるのが二百年早かった。
二百年後の世界なら。二十世紀以降なら。きっと彼女の才智は思うままに活かされたことだろう。より学識を深める機会を得られただろう。
もしも彼女が魔法使いだったら。
おそらく僕に付き従う必要は無かっただろう。
僕は彼女に手の平を見せる。追加の大麦パンを要求する。
「言ってても仕方ないよ。今は目の前の苦境を乗りきろう」
「そうですね。ジャン様。このままだとお父様が討ち死にしてしまいます」
僕たちは南の戦場に目を向ける。
断続的に鳴り響く銃声。足音が徐々に近づいてくる。
王党派の野営地に敵が迫ってきていた。
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ブランシュ州・旧ファニョン伯爵家の城館。
先日訪れた際には地元の役所として使われていた建物が、現在は王党派の野戦司令部として使われている。
我が父ファニョン伯は、取り戻したばかりの城館の居間で頭を抱えていた。
彼の前にあるのは地図だ。
地の利は王党派にあった。運河と土塁を組み合わせた即席の陣地は、革命派の攻勢を退け続けている。
地元の地形を知り尽くしたファニョン伯と一族郎党たち、王党派の将兵は善戦していた。だからこそ逃げ出すという選択を選べなかったようだ。
「父上」
「ジャン。ようやく戻ってきたか。中央はどうなった」
「マルシュル元帥が勝ちました」
「であれば、今後も敵の数は増えるだろうな」
ファニョン伯は地図上の駒を叩く。
辺境のブランシュ州を落とすことで革命派の部隊を引きつける。マルシュルの手札を減らす。
父上が意図した作戦は成功していた。
父上の狙いどおり、革命派は二個の准旅団をブランシュ方面へ送り込んできた。これにより王都を守る革命派の戦力は削がれたはずだった。
しかし肝心の反乱分子たちは中央平原に散ってしまった。王都へ突き進む槍は永久に失われた。
王都を守りきったマルシュル元帥と共和国政府に、もはや敵は居ない。
元帥は国内統一の総仕上げとして全力をもってブランシュ州に攻め込んでくるだろう。その兵力は十万を超えているはずだ。
もっとも。盤面を見るかぎり、元帥本人が来るより前に王党派のほうが滅んでいるかもしれないが。
「革命派の前衛、第三十三准旅団を押し返せません。必死で我々の陣地に食らいついてきます」
参謀役のスチュアート中佐が戦況を説明してくれる。
彼ら連合王国の援軍に今のところ逃亡の気配は見られない。城館の中ではルイス卿の寝息が響き渡っている。
「その准旅団を倒せば、一息付けますか」
「ええ。ジャン殿。然るべき行動を取るためのタイミングになるでしょう」
スチュアート中佐が首肯してくださる。
やはり彼らも逃げるしかないと考えているようだ。
僕は父に告げる。
「父上。少々お待ちあれ。敵将に雷を落として参ります」
「そんなことが出来るのか! いいぞジャン! どんどん撃ち込め!」
「今の余力では一発だけです」
雷魔法は大麦パン九百個分の魔力を消費すると言われる。
僕の記憶に間違いが無ければ、魔力の大半を使い果たすことになる。
それでも味方の撤退の助けになるのなら構わない。
いざという時は、野営地にあったパンを食べ尽くしてジーナを担いで逃げればいい。
僕は出来る限り家族を守らなければならない。一応、ファニョン家の男だから。
「父上。雷の音がしたら北に向かってください。スチュアート中佐と行動を共に」
「……そして再び捲土重来の時を待てと言いたいのだな」
「はい。今のマルシュル体制の共和国に挑むのは自殺行為です」
「…………」
父上は頭を抱えたまま黙り込む。やはり、この人は故郷で死ぬことを考えている。
僕はスチュアート中佐に目配せしつつ、城館の外に出た。
三月の空は青い。
外套を着込んだまま空を飛ぶと、目立ってしまう。
僕は徒歩で味方の陣地に向かうことにした。




