7-3 ラファエル支隊の上陸
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一七九六年・二月十日。
新月の夜。白袖海峡には数百隻の漁船が集まってきていた。
彼らは肥料用に高く売れる鰊の群れを追いかけてきたわけではない。
暗闇の中で密貿易を行うためにやってきた。
「……おい。今月はサン州名産の赤ワインを持ってきたぞ」
「そいつはたまらねえな。こっちは大麦の蒸留酒だ。箱の中身を確かめてくれ」
「今夜は夜目が効く奴を連れてきて良かった」
「今さら騙したりしねえよ。兄弟」
両岸の漁師たちが仕入れた品物を交換する。
監視の目を逃れるためにかがり火は焚かない。朔である。月の見えない夜は相手の顔すら定かでない。それでも彼らは手を振り合い、船を寄せ合う。互いの言語をささやきながら。
ライム革命勃発から九年が経とうとしていた。
バストン王国海軍によるライム共和国に対する海上封鎖は続いている。共和国側も禁輸命令を出している。だが、たかが命令書一枚で「赤ワインをグラスに注ぎたい」「ウイスキーをちびちび舐めたい」という市民の欲求が消えることはない。
一定の需要がある以上は社会のどこかで供給力が調整される。市場の原理である。
ライム王党派の前衛部隊は、彼ら密貿易船団に同乗させてもらう形で白袖海峡を渡った。
総兵力およそ七百名。指揮官は士官学校出身のラファエル兄さんが務める。戦地に向かう途上ゆえに表情は険しい。父親の面影を少し感じる。
「わかってるよな。お前ら。上陸地点の砂浜に降りたら付近の林に留まれ。顔が見える程度に夜が明けたら集合をかける」
「わかっております」
同じ漁船に乗り合わせた王党派将兵に何度も同じ指示を出しているあたり。兄さんなりに不安を覚えているようだ。
僕自身はそうでもない。
人間同士の殺し合いに対する恐怖心は拭えないが。やはり「いざという時」に使える選択肢が一般人より多い分だけ心の余裕が持てる。
魔法を学んでおいて良かった。
「もうすぐ着きますぞ。ご指名の浜辺だ」
バストン人の船乗りの男が声をかけてくれる。
十五人乗りの木造漁船は波に押されるような形で、そのまま砂浜に滑り込んだ。
波の音しか聞こえない、漆黒の暗闇の中。
白服の将兵が次々と船を降りていく。本来は王家の禁色である朱色を袖口にあしらった彼らの華美な軍装でさえ、数歩も進むうちに夜の闇に消えていった。本当に予定通り集合できるのだろうか。
こちらの心配をよそに、ラファエル兄さんが鼻息を粗くする。
「ジャン。俺たち帰ってきたんだな」
「うん」
「日が昇るのが楽しみだな」
「そうだね」
夜明け前。
僕は約五年半ぶりに祖国の土を踏むことになった。
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二月十一日。
ライム共和国北部・ノール州の浜辺に上陸したラファエル支隊は、兵卒の人数が揃わない状態にも関わらず予定通りに作戦行動を開始した。
兄さんに与えられた任務は橋頭堡となる港町の占領だった。
そのためには革命派に悟られる前に奇襲をかける必要があった。
なにせ、こちらは寡兵である。戦力差を補うためには寝込みを狙った不意打ちが好ましい。
古典に通じた我が父ファニョン伯らしい定石の作戦だった。
「行くぞ!」
兄さんは約四百名の将兵を率い、自ら剣を抜いたまま陣頭に立って港町ブランネ=ブリネ市に突入した。
まだ港町の住民は目覚めていなかった。
朝が早い漁師たちも夜間の密貿易から戻ってきたばかりで今朝はイビキをかいていたようだ。
唯一、夜番の国民衛兵が巡回していたが、ラファエル兄さんに斬り殺される前に両手を挙げた。
「や、やめてくれ」
「小汚い反逆者の手先め。市長に会わせてもらおうか」
「国王陛下万歳! 国王陛下万歳!」
「気持ち良い掛け声だな。死にたくなければ街のみんなが起きるまで叫び続けるといい」
ラファエル兄さんの悪趣味な軽口に、王党派の兵士たちが笑みをこぼした。
僕は国民衛兵が捨てた小銃を拾い上げる。
銃身が錆びていた。およそ発砲できる状態ではない。
弾込め用の槊杖も穴から引き出せないほど錆びている。
「兄さん。これって……」
「三五年式マスケットだ。士官学校の武器庫にあった。懐かしい」
「相当古いよね」
「基本仕様は同じだから今でも使える銃なんだよ。ただ状態が悪すぎる。銃床で殴る以外にはオススメしないな」
僕は異世界の銃火器には詳しくないが。
士官学校卒の兄さんが言うのだからそうなのだろう。
「……こりゃ革命派の中で何かあったな」
「どういうこと?」
「形ばかりの銃を持たされた兵士、巡回の人数不足、密貿易の横行。国境の港町なのに統制が行き届いてないのは変だろ」
兄さんは教会前の広場に陣取り、作戦用の地図を広げた。
作戦ではブランネ=ブリネ港を制圧した後は本隊の到着を待つ予定になっている。王弟トッキ公率いる約三千名の部隊である。
もちろん僕たちの父・ファニョン伯もその陣営に加わっている。
「父上は革命派の反撃を警戒していらしたが……ここまで抵抗が無いなら、気づかれる前に別の町も狙ってみるか」
「僕が空から見てくるよ」
「頼んだ。一旦ここから北東方向に飛んでくれ。エピス港、デュナミス港、その先は……」
「ブランシュ方面?」
「そうだジャン。心優しいお兄様から、弟のお前に故郷に一番乗りする権利をくれてやろう」
兄さんは地図上のブランシュ州に鉛筆を突き刺した。
かつては父親の拠点だった地域。
僕たちの故郷にあたる。
今、城館の周りは雪解け水で潤っているだろうか。
現地の景色を想像するより、別の状況を思い浮かべたほうが手っ取り早い。
僕は目をつぶる。
脳内にて。地面に立った状態で、両肩を後ろに逸らしながら同時に両足を上げる。さらに息を止め続ける。
飛行魔法の発動条件は単純だから助かる。
その分、具体的な飛び方には習熟が求められるのだが。試行錯誤は学生時代に終わらせておいた。
僕は静かに飛び上がる。
眼下では王党派の将兵が、革命派の市長と思しき高齢の男性を処刑台に登らせていた。




