6-6 血の味
× × ×
九月某日。
僕は再びニューバストン新政府の大統領公邸に出向いていた。
魔法学校と飛空士学校(仮称)の連携協定についてチャールソン大統領閣下に報告するためだ。
チャールソン氏は『実用的な魔法から教える』『専門的に学びたい者は魔法学校に進学させる』という飛空士学校の方針に大きく頷いてくださった。
「グッドアイデアだ。我が国には魔法使いが足りていない。短期教育で充足できるなら非常に助かる」
「お褒めいただき光栄です」
「約束通り公邸はプレゼントさせてもらう。我々は旧総督府要塞跡地の仮設庁舎に移るとしよう」
「亡き王女に呪い殺されませんか」
「その前に本庁舎を建てるつもりだ。ニューブルームホルフ市内ではなく、より内陸の守りやすい土地に、ね」
チャールソン氏は卓上の地図を指差す。
新政府の発足以降、新大陸の再開発計画が進みつつある。
具体的には運河の開削・道路網の整備・新都市の建設など。広大な土地が(一部の入植者にとって)住みよい形に改造されていく。
東海岸と内陸部を結ぶ舗装道路の建設が進めば、魔法学校との行き来も容易になるだろう。
今の道路は泥濘だらけで馬車がロクに走れない。船便のほうが早い時もある。
早く舗装道路に切り替えていただきたいところだ。
「ジャン殿は大陸改造計画に興味があるようだ。非常に将来性のある投資対象があるのだが、君もいかがかな?」
「あいにく持ち金がありません」
「伯爵家の資産があるだろう。絶対に損はさせないぞ。実はある会社に有料道路建設の許可を出したばかりでね。莫大な通行料を期待できる」
「知り合いの金持ちに声をかけておきます」
「ああ。カミンスキ家の方々によろしく頼む」
やや疲れた様子の大統領から握手を求められる。
この様子だと新政府は財政的にさほど余裕がないようだ。独立したばかりだから仕方ない。
僕は若干の不安を覚えながらも握手に応じた。
× × ×
大統領に報告した翌日。
僕は独りで港湾部の船着き場に向かった。理由は言うまでもない。
カミンスキ家の双子からは「子供がある程度大きくなってから迎えに行ったら?」と提案されたのだが。
一刻も早く子供の顔を見たい気持ちが強かった。
そのためなら四度目の大西洋横断ぐらい耐えてみせる。僕はもうお父さんなのだから。
新学校設立の実務についてはカミンスキ姉弟社に任せた。あの双子にはしばらく頭が上がりそうにない。
学校の運営資金は新政府から提供されるが、ただお金を持っているだけでは学校など完成しない。
校舎の整備、才能ある生徒の募集選別、授業計画の設定と事前やるべきことは多岐に渡る。
おそらく場末の飲食店の出店準備より遥かに忙しい。
それを双子だけにやらせるとなると──。
僕は郵便船に乗り込み、見送りの居ない桟橋に頭を下げる。
赤ん坊の顔を見たら即座に新大陸に戻ったほうが良さそうだ。最悪シルヴィアさんに決闘を申し込まれた時、勝てる自信が無い。
「お~い、はくしゃくぅ~」
どこからともなく彼女の声がした。
周りの水夫たちが大空を指差している。
やがてデニム生地の作業服を着込んだ魔法使いが、帆船の甲板まで降下してきた。
彼女は一息ついてから帽子と眼鏡を外す。眠り姫の煌びやかな白髪が露わになる。
「ふぅ。ちょうど郵送中に通りかかったからさぁ。もう出発だよね。行ってらっしゃい」
「ありがとうシルヴィアさん」
「ジーナちゃんによろしくね。もちろん赤ちゃんにも。名前はもう決めたの?」
「あっちで相談するつもりだよ」
「女の子だったらシルヴィアって名前あげてもいいよ」
「候補に加えておく」
「じゃあね~」
彼女は周りの水夫・乗客たちに愛想を振りまきつつ、船の手摺から大空へ飛び立った。
とんだアイドル気取りだ。外見は良いから宣伝効果は十分にありそうだが。水夫の一人は天使の名前を呟いている。
ともあれ。
同僚に許していただけた(?)からには、心置きなく大西洋を横断できる。
早く新しい家族に会いたい。
× × ×
約二ヶ月後。一七九五年・晩秋の夜。
ブリスレン港の桟橋は月光に照らされていた。
連合王国屈指の工業都市にしては珍しく夜空が澄んでいる。目を凝らさずとも一等星が見えるほどだ。
今回の船旅は大いに荒れた。
初回の船旅と同じくらい波風に揺られ、僕の身体は船酔いで相当に衰弱してしまった。
もはや耐えきれなくなり一度「風魔法」で風雨を吹き飛ばしてやったら、粗暴な船長から剣先を突きつけられ、強制的に風使いを拝命するはめになった。
バストン到着前日に若干の給金は受け取れたものの。
風魔法の複数回使用に費やした膨大な体内カロリーと比べたら、到底釣り合いが取れない。実質大赤字だ。
そんなわけで。僕はすっかり余力を使い果たしていた。
本来なら家族の元に飛んでいきたいのに。今は一歩ずつ石畳を歩かざるをえない。
市内の夜間馬車は以前横転を経験してから使わなくなった。知り合いの御者の話では、夜間は路面の轍が見えづらく車輪が外れやすいらしい。鉄路を引いたら儲かるかもしれないな。
「ただいま」
セント・サンダース地区の一軒家。
ファニョン伯爵家の仮住まいに足を踏み入れると、久しぶりに心安らぐ匂いがした。
「おかえりなさいませ」
玄関で出迎えてくれたのはジーナだった。右手に箒を持っている。
お腹の膨らみはすっかり消え失せていた。
少しやつれた様子の彼女を僕は思いきり抱きしめる。
「肝心な時に一緒に居られなくてごめん。本当にありがとう。本当におめでとう」
「あの。その件なんですけど」
「赤ん坊は?」
「すみません。死産でした」
冗談だろう。僕は彼女の表情を窺う。目を背けられる。
死産。
異世界ではよくあることだ。前世の医療技術であれば助けられた赤ん坊でも一八世紀末の水準では天に召されてしまう。
原因が感染症であれ。窒息であれ。
この世界の赤ん坊はよく死ぬ。
それはわかっている。
わかっていたつもりだが。
それでも。
こんなにも悔しくて。悲しいとは想像していなかった。
そして。僕は誰よりも苦しんだであろう女性をもう一度抱きしめる。
「ジーナ」
「ごめんなさい」
「僕なんかのことよりジーナのことだよ!」
「あたしは大丈夫です。ジャン様。もう半年前のことですし。あたしなりに受け容れました」
彼女は妙にあっさりしていた。僕の前で平静を保とうと心がけているのかもしれない。
悔しい。
やはり彼女の傍に居るべきだった。新大陸の外交使節の護衛役など放り投げて。ここに居てあげたかった。
僕は彼女を居間のソファまでエスコートする。
せめて今からでも慰めてあげたい。僕たちは互いに寄りかかる。
お疲れ様。ご苦労様。君だけでも生きてくれて良かった。そんな捻りの無い言葉が喉元まで出かかり、その度に押し戻した。
互いに無言のままでいると、彼女のほうが頭を撫でてくれた。
これではこちらが慰められているようだ。実際そうなのだろう。僕はずっと涙が止まらない。
あんなに夜空は美しかったのに。
あまりにも辛い夜だった。
× × ×
翌朝。
僕はやりきれない感情を抱えたまま食卓に向かう。
食卓では自分の母親だけが白パンにジャムを塗っていた。給仕役のジーナがせっせと緑茶を煎れている。他に使用人の姿は見えない。
彼女らの様子を眺めながら椅子に座る。
ジーナから新大陸での出来事を訊ねられたので、適当に答える。母親の前で「破滅」の話をしたくない。
ひとまず新政府の依頼で魔法学校を作ることになった。理事長との筋は通した。これぐらいで良いだろう。
ジーナの反応はともかく。今となっては味のしない話になってしまった。
「ジャン様。どうぞ」
彼女の手で温かい根菜スープが運ばれてくる。
わざわざライム風の質素な朝食を用意してくれたみたいだ。あんなことがあったのに。その気遣いが心に染みる。
「ありがとうジーナ。ここバストンはどうだったの?」
「そうですね。良い話と悪い話があります」
彼女は窓際にある安物の椅子に座り、白パンの切れ端をかじり始めた。
母親の前だから立場を遠慮しているのだろうか。
僕が手招きすると、小さく笑いながら傍らの席に座ってくれた。家族なのだから朝食ぐらい一緒に食べたい。
それにしても。悪い話の内容が気になる。
あの件以上の凶事があるなら、いっそ今のうちに耳を塞ぐべきかもしれない。嫌な予感がする。
「ジーナ。良い話だけ聞かせてくれるかな」
「悪い話から言いますね」
「容赦が無いなあ」
「先日ファニョン伯爵家に出陣命令が届きました。王弟殿下曰く。革命政府を倒す時が来たそうです」
僕は食卓を見渡す。たしかに父親と兄の朝食は用意されていない。昨夜も出迎えてくれなかった。
彼らはもうここに居ない。兵営に居る。
僕はジーナに訊ねる。
「今さら出陣命令って。王弟トッキ公はどういうおつもりなのさ」
「さあ。散り散りになった王党派の残党が海峡を渡ったところで、もはや何が出来るのでしょうね」
「革命軍の司令官はマルシュル・オードヴィー元帥。古今無双の『英雄』なんだぞ」
「あたしも勝ち目が見出せません」
「全くだよ。今からライム本土に上陸するにしたって──」
僕たちは壁に掛けられた故郷の地図を指差しながら、王弟殿下の政治的判断を断罪する。
連合王国に逃れてきた旧ライム王国残党(王党派)の残存兵力はおよそ二千名とされる。
戦列歩兵三個梯団と騎兵隊を合わせて増強連隊程度の規模に過ぎない。
この程度の人数ではライム本土に乗り込んだところで占領地を維持できず、数日もしないうちに革命軍に叩きのめされてしまう。
「こんな出陣は無意味だ」
「そうであっても。ジャン。あなたも行くのよ。ファニョン伯爵家の男なのだから」
対面のお母様に言動を嗜められた。
生まれつきの貴族令嬢である母親には、幼少期から家系と信仰に縛られた生き方を教わってきた。
彼女は祖国と領地を追い出されてもなお、実践を続けるつもりらしい。
それは父と兄も同様だった。
僕は彼らの誇り高さを否定できない。
そして家族の要望を現代の価値観(個人主義)で切り捨てられない。
ただの子供だった五年前であればともかく。今の自分は一端の魔法使いだ。
家族の戦いを大空から助けることが出来てしまう。
いざとなれば、死地に向かう彼らを見捨てて遠くの空に逃げることさえも。
「ジーナ。良い話のほうを聞かせて」
「ファニョン伯爵家と連合王国の名家との間で縁談がまとまりました。近いうちに相手方の執事が話し合いに来られます」
「それはめでたい話だね。ラファエル兄さんにお祝い申し上げないと」
「ジャン様の話です」
ジーナの突き放すような口ぶりに、僕は根菜スープの味がわからなくなる。
心身が理解を拒んでいる。
傍らの彼女は目線を合わせてくれない。対面に居る母親はつまらなそうに窓の外を眺めている。
自分が居ない間に何があったんだ。
僕は味のしないスープのおかわりを自分で取りに行く。食べなければ。今すぐ食べなければ。
とにかく食事を胃袋に流し込み、栄養の余剰分を魔力に変えなければ。
確かめなければ。
僕が台所の鍋に匙を突き入れたところで、ジーナが羽交い絞めしてきた。
「落ちついてください。ジャン様。良い話ではないですか」
「何が!」
「お相手はジャン様もご存じの方なのですよ。お父上から提示された令嬢の名簿の中からあたしがわざわざ選び抜いて差し上げました。あの子ならあなたも納得するでしょうと説き伏せたんですから!」
「ジーナ、僕たちは」
「マングスター伯爵家のクレア嬢は婚約の件を了承してくださいました!」
クレア・マングスター。
たった半年で僕たちの学舎から姿を消した彼女の名前が、こんな形で出てくるとは思いもよらなかった。
たしかに会えるかもしれないとは思っていたが。
近況報告をしたいだけだったのに。
「ジーナ。婚約が決まった主君に抱きつくものではありません。礼節を弁えなさい」
居間の方角から母親の小言が飛んでくる。
母親の目線はこちらにも向かう。
「ジャン。あなたも。ジーナを傍に残したいのなら今後は弁えなさい」
「…………はい」
「不満があるようね。良いわ。もっと良い話を教えてあげます」
母親が席を立つ。
還暦を迎え、さすがに年齢を感じるお姿ながら、恵まれた生まれ育ちが立ち振る舞いに滲み出ている。
全く背筋が曲がっていない。
彼女はこちらに歩み寄る。
「ジャン。あなたの婚約が決まったことでマングスター伯爵領の私設連隊が援軍に加わることになりました。今ここであなたたちが昔のように駆け落ちしたら、どうなるのか。わかるかしら?」
「…………」
「援軍の指揮官は次期当主ルイス様が自ら務められるそうです。あなたたちが言うように無謀すぎる作戦にわざわざ加わってくださる。これがどういう話なのか、あの人の息子ならわかるわね」
「…………」
「ジャン。あなたは両家の間を取り持ち、両家の戦働きを助けられることを喜びなさい。あなたが大空から家族を守るのです」
もっともらしく、きっと正しいはずの話だった。
今ここでジーナの手を取り、外に飛び出せたならどれほど幸せなことだろう。
しかしながら。
ファニョン伯とラファエル兄さんの命運を天秤に掛けられてしまうと。
どうにも足が動いてくれない。
あの時、一度は見捨てたはずなのに。
ジーナの意向が知りたい。
僕は彼女に目配せをする。彼女は他人事のように何度か頷いてから、こちらに耳打ちしてきた。
「ジャン様さえ良ければ。これからもお傍で仕えさせてください」
そういうことだった。




