6-5 握手
× × ×
どれほど時間が流れただろうか。
気づいた時には僕は気絶していた。理事長の仕業なのは間違いない。類稀なる好奇心の持ち主はウィキペディアの回遊を止められない学生の如く、知識の源泉との接続を欲していた。
おそらくその途中でノイズのように差し込まれる僕の自意識が邪魔になり、何かしらの魔法で気絶させられたのだろう。
僕は瞼を開く。
壁に掛けられた儀礼用の仮面と目が合った。笑う男を模した逸品は執務室の調度品だ。気絶中に連れ込まれたらしい。
もう少し禁書棚を調べたかったのだが。残念だ。
「感服した。ジョージ・ルーカスの才能に」
頭上から片言の日本語が聞こえてきた。
僕はソファに横たわったまま、恐る恐る見上げてみる。案の定、理事長と目が合った。
従者以外から膝枕を提供されたのは初めてかもしれない。
理事長の太ももはあの子より弾力に欠けていた。より骨に近い。
僕は何も言わずに立ち上がる。
どういうわけか、自分の胸板に慣性の法則を感じた。指先で触れると柔らかい。はっきりと乳房がある。
おかしい。気絶する前に『女性化魔法』を使った記憶は無いのだが。
僕は慌てて姿見の前に立つ。相変わらず可愛らしい栗毛の美少女・ジョセフィーヌちゃん(仮名)の御尊顔に拝謁できた。
衣服も男性用の狩衣から女性用の寝間着に着替えている。誰かの私物なのだろう。
僕は容疑者の顔色を窺う。彼女はソファの上で満足げに笑っていた。
「理事長。これは一体」
「息子よ。禁忌の魔法は素晴らしいぞ。相手に魔法を使わせることすら出来る。お前が隠し持っていた魔法も例外ではない」
「息子ではないです。……夢を見せる魔法の応用ですか」
「ほほう。我がトリックを見抜いたか。ジャン・ド・ファニョン。魔法使いらしくなってきた」
「ありがとうございます」
教育者の誉め言葉に頬が緩んでしまう。我ながら学生気質が抜けていない。
それにしても。夢を見せる魔法を応用し、睡眠中の相手の脳内で魔法の発動条件=想像を組み立てるとは。
非常に高度な思考技法だ。並列思考と思考回避の並列。
今の僕には到底真似できない。とんでもないお人だ。
コンコン。ノックの音がする。
「入れ」
「失礼します。理事長。緑茶と茶菓子をご用意いたしました。そちらのお客様の分も」
「ありがとうセレスティア。料理長に礼を言っておいてくれ」
「かしこまりました」
ソファ前のテーブルに急須とカップが並ぶ。茶菓子はジャガイモのクッキーだった。
元学生としては良い思い出がない。毎日のように朝食に出てくるものだから飽きてしまった。モチモチしていて美味しいのだが。
セレスティアと呼ばれた配膳係が扉の向こうに消えると、理事長は僕に対してソファに座るように促してきた。
僕は対面の席に座らせてもらう。
茶葉の良い匂いがした。
「ジャン・ド・ファニョン。私にも外聞がある。職員たちの手前、男のお前を膝枕するわけにはいかない」
「そういうものですか」
いきなり女の子にされた理由が判明した。
目覚めたら女の子になっていた。そういうシチュエーションを好む人たちがインターネットに生息していたことを思い出す。
「お前が発見した『女性化魔法』もとい『性別変更魔法』の情報を学校に収めなかった理由にはあえて触れまい。大方、人生の切り札を隠し持っておきたかったのだろう」
「まあ、そんなところです」
「一つ訊いておきたいのは……なぜお前は映画の途中でスマートフォンを見る? おかげでいくつかのシーンが隠れていたぞ。あれでは台無しだ」
「それはすみません」
僕は頭を下げた。
受験勉強の隙間時間で暇潰しに観ていただけとはいえ、作品に対して真摯な態度では無かった。
今さらながらジョージ・ルーカスに謝罪せねばなるまい。ごめんなさい。
何となく茶菓子のクッキーに手を伸ばしてみる。女性の舌だと味わいの印象が変わるものだ。きちんと美味しい。
緑茶は相変わらず珍妙な味だったが。異世界の茶葉は品質が悪いのかもしれない。
少し気分が落ち着いた。
「ジャン・ド・ファニョン。繰り返しになるが。お前を我が校の教師として迎えたい。失踪したセガンの後任だ」
理事長の穏やかな誘い文句。
僕は暖かい息を吐く。
「すみません。一旦考えさせてください」
「新政府の誘いと両天秤に掛けるつもりか? 偉くなったな。私は世界を救う話をしている」
「禁書棚を燃やしてくださるなら。今ここで忠誠を誓います」
「平行線だな。予防薬を作るためには病原菌の研究が必要だろう」
理事長の口から異世界の科学知識にそぐわない言葉が出てきた。前世で炭疽菌が発見されたのは次の世紀だったはず。
間違いなく僕の記憶から読み取られた情報だ。
考え方次第では、国家に比肩しうる「権力者」である彼女に近代の知恵を与えてしまったとも言える。
歴史を変な方向に歪めなければ良いのだが。
気絶中にどこまで読まれたのだろう。僕は訊ねてみる。
「ところでナポレオンをご存知ですか?」
「お前の前世の父親が飲んでいた酒のことか」
「あれは下町のナポレオンです。わかりました。僕の全てを読み取ったわけではないようですね」
「当たり前だろう。初代校長ですら予言者から『破滅』の記憶を読み取るのに一週間かかったという。簡単ではない」
「予言者? 初代校長が『破滅』の天啓を受けたのでは?」
他ならぬ自分と同じように。
別に予言者が居たというのは初耳だ。
僕の問いに理事長は小さく笑う。
「ふふん。我々の歴史研究は進んでいる。初代校長には奥州大陸で魔法奴隷として使役されていた時期がある。その頃に予言者を名乗る男性と出会い、仕えていた姫君の心を動かし、力を合わせて『破滅』を喰い止めたことは明らかなのだ」
「その予言者はどういう方なのですか」
「そこまではわからない。名前すら残っていない。我が校の『友情の像』のモデルであることは間違いないようだが」
理事長が名前を挙げた『友情の像』とは校門前に立つ銅像のことだ。握手を交わす男女の姿を象っている。よく集合場所に指定される。
恩師のセガン先生からは初代校長と出資者がモデルだと聞かされていたが。
知られざる歴史だ。
「ジャン・ド・ファニョン。なんだか楽しくなってこないか?」
「え?」
「百年前と同じように。今ここにも予言者と読心術の使い手が居る。これもまた天啓なのだと実感できる。私たちもまた握手を交わすべきだ。ジャン・ド・ファニョン」
理事長が右手を差し出してくる。
彼女と初代校長には共通項が数多い。新大陸の先住民出身であり、女性であり、触れた相手の心を読める。そして未知の危機に直面している。
穿った見方をさせてもらうならば。彼女は初代校長の事績をなぞろうとしている。おそらく演りたいと考えていらっしゃる。
それは現実の『破滅』の危機に対して、誠実な態度だと言えるのだろうか。
決して自分も偉そうなことは言えないのだが。
僕は悩まずに答える。
「理事長。僕は自分なりにやっていきます」
「禁書棚に入らずに解決できるのか。可愛い双子と一緒にどんな対策を打つんだ」
「わかりません」
「言いたくないなら指先で読ませてもらおう。いやいい。どうせ私の暴走を危惧しているのだろう」
「どうでしょう」
「一つだけ教えておいてやる。地下から帰る時に気づいたのだが。禁書棚の一部の罠が解除されていた」
それはつまり。
第三者による侵入の形跡があった、ということに他ならない。
僕の脳内に、いつぞやのフォート=マリーで出会ったマルシュル元帥──その傍らに控えていた『仮面の女』の立ち姿が浮かんでくる。
特に証拠があるわけではないが。何となく。そんな気がした。
刹那。差し伸べられていた右手がこちらの手首を掴んでくる。
「──なるほど。お前には心当たりがあるのか。面白い。我々は共にそいつを追いかけよう」
「理事長」
「進学提携校になるんだろう。であれば、我々は協力関係だ。ジャン・ド・ファニョン校長。よろしく頼む」
彼女はこちらの手を掴んだまま、上下に揺さぶってくる。
世間ではこれを握手と呼ぶ。




