6-4 後継者
× × ×
鉄扉の向こうには階段が存在した。
不揃いな段差に日曜大工の気配を感じる。一段下りるごとに足首と膝が想定外の衝撃を受けてしまう。作りが粗い。
おそらく地下室なのだろう。空間のどこかに通風口が存在するらしく、比較的風通しは良好だ。涼しい。
不意に、風に紛れて「何か」が目の前を通り過ぎていった。
「よし。毒矢の罠に故障は無い」
「理事長。僕はまだ死にたくありません」
「私が操っているかぎりは大丈夫だ。全四百ヶ所の罠のうち、九割五分は把握している」
つまり五%の確率で死んでしまうわけだ。
僕は神に祈るような気持ちで自分の足運びに神経を尖らせる。床板を踏む度に肝が冷える。
「視力を返してやろう」
理事長が指を鳴らした。魔法の操作は脳内で完結するものであり、身体的動作には特に意味が無いとされている。
つまり生徒に向けた合図に過ぎず、細やかな仕草に理事長の教育者としての矜持を感じた。
見れば、薄暗い地下室の中央に金庫が並んでいた。
金庫は金属製で簡単には持ち運び出来そうにない。床に打ちこまれた杭と鎖で結ばれている。
「鎖には触れてくれるな。焼け死ぬことになる」
「どこかに金庫番の魔法使いが潜んでいるんですか?」
「理屈はわからん。以前、焼死体が放置されていた。とにかく手順通りに動かぬ者には必ず牙を向いてくる。厄介な部屋だ」
理事長は鍵束を袖口に戻した。解錠の手順は非公開らしい。
重苦しい音と共に、金庫が開かれる。
内部には古びた冊子が山積みされていた。僕は小学校時代、ロッカーの整理整頓を嫌がる同級生が居たことを思い出す。
そういえば、理事長の執務室も美術品ばかりで雑然としていた。
「ジャン・ド・ファニョン。ここに前世紀の一次史料が詰め込まれている。初代校長が遺した手帳、日記、原稿、遺言書。今なら全部読ませてやってもいい」
「十分な時間をいただけましたら」
「馬鹿言え。こっちが待ちくたびれてしまうわ。歴代の理事長はここの文献を元に『校長言行録』の編集作業と研究を進めてきた。そして初代校長の青年期を慎重に復元してきた」
金庫から一冊の手帳が取り出される。
めくられたページには「コスモス・ツェルトーロング」との文字列があった。初代校長の直筆なのだろう。癖のある字だ。
理事長はため息をつく。
「大変残念なことだが。あの方は後継者である我々を信用されなかったようだ」
「どういうことですか」
「破滅の原因となる魔法の名前が伏せられている。世界がひっくり返された、としか記されていない。これでは調べようがない」
かつて初代校長は破滅の危機から世界を救ったとされる。
その原因となった魔法を後世に残さなかったのは、個人的には英断だと思うのだが。
理事長の受け取り方は異なるようだ。
僕は訊ねてみる。
「調べて、どうされるのですか」
「何より再発防止に努める。初代校長の遺言に従う。そして小規模に再現し、全世界に対する抑止力とする」
「抑止力?」
「魔法学校が『蜂の巣』であり続けるためには、周囲に恐れを抱かせなければならない。わからんか。ジャン・ド・ファニョン。我々が国民国家に取り込まれた時、破滅の秒読みが始まるのだ」
理事長は説き伏せるように言葉を重ねてくる。
破滅を防ぐために破滅の魔法を利用する。なるほど興味深い発想ではある。前世における核戦略を想起させる。
あらゆる資源を戦力化する国民国家という存在に対する懸念も理解できる。
もしライム革命政府(あるいはニューバストン新政府)が魔法学校を接収したなら、いずれ必ず破滅の魔法を武器に使おうとするだろう。
しかしながら。結局のところ、理事長の本心が「愛する学校を守りたい」という一点にあることは明白だった。
理由は言うまでもない。
本気で破滅を避けたいならば。今ここで金庫の中身を炭に変えてしまえば済むはずだからだ。
理事長は彼女なりに賢明な選択肢を取ろうとしている。
その火遊びが破滅を招くからこそ。安藤三郎はこの世界に送り込まれたのではないか。
何となく。そんな気がした。
「どうするジャン・ド・ファニョン。選ばれし者よ。どちらにつく。お前がニューバストン新政府のために魔法使いを育てたなら、否応なく破滅が近づくだろう」
「理事長。禁書棚を燃やしましょう」
「臭い物に蓋をしたところで偶然の閃きが破滅をもたらす。前世紀の危機がそうであったように。しかし我々が共に研究を進めれば、対処法を生み出せる可能性がある」
「根本的に断つべきです」
「今ならお前を教師に取り立ててやる。卒業翌年に教師となった例は少ない。さあ。お前に下りてきた神託の内容を教えろ」
「理事長」
「……味方にならんのなら。こういう手もある!」
僕の身体に再び拘束がかかる。まずい。ピクリとも動けない。
理事長の両手がこちらの首元に伸びてくる。
絞め殺される。
僕は死を覚悟したが、意外にも理事長は危害を加えてこなかった。
ただ、水気のない指先でこちらの首筋に触れるのみ。
何がしたいのだろう。脈を取られている?
「お前の心を読んでいる」
「!」
目の前の中年女性が薄暗い笑みを浮かべた。
読心術。他ならぬ初代校長が得意としていた魔法だ。校長言行録によると、触れた相手の心と記憶を読めるらしい。
当然ながら当該の魔法書は禁書扱いされている。
そんなものが流布したら学校生活が荒んでしまう。
「ああ。その代わり魔法の習得は簡単になる。文字列から想像するより相手の記憶を読んだほうが早いだろう?」
たしかにそのとおりだ。
実際、初代校長は読心術のおかげで、新大陸各地の村落で伝承されてきた魔法を効率的に収集できたと伝わる。
僕たちが学んできた「基礎魔法」の典拠である。
「どんな魔法にも利点と欠点がある。ジャン・ド・ファニョン。いや。安藤三郎と呼ぶべきか?」
そこまで遡って読まれてしまうのか。
僕は恐怖と羞恥心に苛まれる。前世の自慰行為、ジーナとの秘め事、危うく万引き犯になりかけたあの日のコンビニ。
他人に知られたくない記憶には枚挙に暇がない。
「やめろ。つまらないことを思い出すな。お前の前世は……言葉がわからん。学生をしていたようだが……」
理事長に頭を叩かれた。
僕の意識と記憶の読み取り箇所が連動するらしい。であれば。ここを釈明の機会とさせてもらおう。
僕は……僕は魔法学校ではなく飛空士学校を作ろうと考えています。だから理事長の邪魔にはなりません。
飛空士学校の卒業生を魔法学校に進学させる計画も練っています。
僕は母校を裏切っておりません。
どうかお許しください。
「飛空士。ほう。飛行魔法だけ教えるのか。以前同じことを言っていた卒業生がいた。あれもライムから来た男だった……この記憶は……スターウォーズ……?」
理事長がポカンと口を開ける。
僕が前世で鑑賞した名作映画の記憶に辿りついたらしい。
それから二時間。彼女は瞬きを繰り返す以外、一切の反応を見せなくなってしまった。




