6-3 選ばれし者
× × ×
七月中旬。
木造の校舎群は変わり映えなく、蚊取り線香の匂いで満ちていた。
たかが一年ぶりなのに懐かしく感じるのは、長らくここに居たからだろう。母校とはそういうものだ。
「いててて……」
内航船の硬い座席で痛めたお尻をさすりつつ。
僕は桟橋に降り立ち、校門の衛兵に卒業生の証・短剣を見せつける。
学生寮地区の大通りは活気に溢れていた。
僕たちが住んでいた二階の部屋には年若い男の子が入居していた。あどけない表情に花柄のスカーフがよく似合う。
小料理屋『考えない葦』は休業中だった。
校舎のエントランスには奥州の最新ニュースが貼り出されていた。
ブリスレン条約締結。旧植民地と連合王国の講和が成立。女王が笑顔を見せる。
奥州戦争情勢。ライム革命軍が反攻に転じる。両大陸の英雄・マルシュル元帥の快進撃止まらず。
ニューバストン新政府、官立魔法学校の設立計画に着手。
どれも鮮度の高い情報だ。
相変わらず魔法学校の情報網には恐れ入る。僕は冷や汗が止まらない。早くも計画が露見している。
せっかく来たばかりだが。引き返そう。
そう思った時には理事長の歩く姿が視界に入っていた。彼女の傍らでは衛兵のおじさんがニヤニヤしている。報告されたようだ。
僕は風魔法で衛兵の帽子を吹き飛ばしてやりつつ。
理事長の前に跪く。命乞いの手段は問わないつもりだ。
「久しいな。ジャン・ド・ファニョン。家督は継いだのか」
「お久しぶりです。理事長。今のところ伯爵は渾名のままです」
「であれば。新政府に雇われたファニョン伯とは、お前の父親のことなのだな。新たな魔法学校を作ろうとしているようだが……」
「その話を持ち掛けられたのは自分であります」
「母校の商売敵になるつもりか」
「こ、断るつもりです。どうか命だけはお許しを」
「やれるものならやってみるがいい」
僕の身体が勝手に立ち上がり始める。
他者操作術。習得困難な魔法を平然と使用されてしまうと、我ながら魔法使いとしての自信が折れそうになる。
理事長と目が合う。
そこに怒りの感情は窺えない。むしろ今の状況を楽しんでいらっしゃるようだ。
「卒業生が私塾を作った例は今までもあった。だが全て失敗した。ジャン・ド・ファニョン。何故だかわかるか?」
「食事の用意でしょうか」
「それもある。しかし致命的な理由ではない。過去にはどこぞの王族に取り入り、実習に必要な栄養源を十分に賄える広さの荘園を手に入れた男がいた。当然こいつの塾も失敗したぞ」
「まさか殺したんですか」
「ふははは。そんな血の気の多い理事長は三代目ぐらいだろうよ。違う。奴らの私塾には書庫が無かったからだ」
理事長は踵を返し、歩き始める。
僕の身体も勝手に付いていく。別に逃げたりしないから他者操作術を解除していただきたい。
両足が意図しない方向に曲がると感覚が混乱して酔いそうになる。
僕たちは校舎の南側にある教員の居住区に向かう。
沿道に初代校長が作らせたという石造りの書庫が見えてくる。二階建ての重厚な建物だ。
古代文明の神殿を模した外観とは対照的に、内部は牢獄を思わせる薄暗い雰囲気となっている。
在学中に何度も通った場所だが。決して居心地の良い空間ではない。
「ふむ」
理事長は本棚から一冊の本を取り出した。背表紙には同盟語で『粉砕魔法』と記されている。
どんな物でも粉々にしてしまう強力な魔法だ。
今後多くの魔法使いに普及したら、この世界ではダイナマイトの発明が遅れるかもしれない。
理事長の萎びた指先が本を開く。
「西の岩山に太陽が落ちていく風景を思い浮かべ、右の尻を三度掻き、若干の肌寒さにピクリと双肩を跳ねさせ……」
「……背後の川に鳥が飛び込み、魚を咥えたことに腹を立てる」
「そして左の鼻の穴に薬指を入れ……ふふん。我々の身の安全のためにこれぐらいにしておこう。大切な書庫を崩すわけにはいかんだろう」
魔法書が本棚に戻された。
実用性・危険性の高い魔法ゆえに他にも『粉砕魔法実例集』などの補足本が並んでいる。
僕自身、担当教師から安全に取り扱えると認められて『許可証』をもらうまで随分と時間がかかった。
単純に発動条件を覚えるだけでは魔法を習得したと言えないのだ。
「ジャン・ド・ファニョン。こんなものを正確に数十、数百と覚えておける人間はそう多くない。ほとんどの魔法使いは得意な魔法しか使わん。お前が在学中に『許可証』をもらった魔法にしても半分は今さら思い出せんだろう?」
「それは……そのとおりだと思います」
「だから外部に私塾を作ろうが、結局みんなここに戻ってくるほかなかった。データベースはここにしかなかった。ここが一番便利だった。今までは」
理事長が僕の右隣、本来居るべき人間の立ち位置に目を向ける。
黒髪の美しき従者は現在奥州で出産に備えている。
「ジーナのことを仰っているのですね」
「そうだ。お前にはあの小娘が居る。私が思うに、お前の学校は過去の挑戦者より長続きするかもしれん。ところで当の本人はどうした?」
「バストンの親族に預けています」
「なるほど。ジャン・ド・ファニョン。若さゆえに一時の欲に負けたな」
図星を突かれた。
悔しいが「ぐう」の音も出ない。正確には一時の欲ではなく一ヶ月以上の欲になるが。
我ながら計画的な行動ではなかった。ただ後悔はしていない。
理事長は革靴でこちらの足元を蹴ってくる。
「私がお前ならそのようなヘマはしない。あの小娘を女房などという役割に押し込めておくのは勿体ない話だ」
「仰るとおりです」
「子供は可愛いぞ。我が子には魔術の才が無く、幼少の頃に里子に出したが」
「はあ」
「おお。もしや子供が『かすがい』となれば、永遠にあの小娘を側仕えさせられると踏んだのか。それはそれで正解かもしれん。私が大金を積んでもなびかなかった女だが、人は誰もが移り気だからな……」
ぶつぶつと自分自身との対話を始めた理事長は、おもむろに書庫の奥の方に歩き始める。
廊下の突き当たりに木製の扉があった。第二管理倉庫という表示が見える。
採光窓の無い倉庫内は雑多な道具がいくつか転がっており、歩を進めるたびに何かしら蹴飛ばしてしまう。
「……ロウソク代わりの火魔法は使うな。安易に使えば身を焦がす仕掛けがある」
「どこに行くのですか」
「お前に見せたいものがある」
理事長は部屋の奥にある鉄扉を叩いた。
鉄扉には錠前と鎖が取り付けられていた。随分と厳重に封鎖されている。
魔法使いなら自力で切断可能だが、理事長の話から察するに可能なかぎりの対策は取られているようだ。
「これは噂に聞く『禁書棚』の入口でしょうか」
「如何にもそのとおりだ。詳細は伏せるが、私以外の人間が中に入れば死ぬことになる」
理事長は静かに自信を見せる。
今の時代にはカメラ・センサーのように全自動で人間を識別できる技術はまだ無いはずだ。魔法でも再現は出来ない。
おそらく内部では初見殺しの罠が張り巡らされているのだろう。
僕は足元を視界から外す。もしかしたら床に転がっているのは侵入者の骸かもしれない。
「ジャン・ド・ファニョン。お前の作る学校がどれほど国家の支援を受けようとも。どれほど栄えようとも。我が校には禁書がある。この扉の向こうに、基礎魔法だけでは越えられない摂理があることをよく知っておきたまえ」
「それって……『破滅』のことですか」
「なぜそれを知っている」
小便が漏れた。
僕の身体を拘束する他者操縦術が強くなり、手足どころか首まで自由に動かせなくなった。
強制的に関節が外されそうになっていく。痛覚が止められているから実感が沸かない。余計に怖い。
このままだと何も感じられないまま身体をバラバラにされる。
僕は叫ぶ。
「理事長。僕の従者は、妻は優秀なんです。初代校長の言行録からコスモス・ツェルトーロングという文字列を!」
「四巻は禁書棚に入れてあるはずだが?」
「他の巻にも終末の光、破滅という言及があります。詳しいことは知りません。ただ自分はそれを止めるように……生まれる前に天啓を受けたのです!」
「何ということだ」
拘束が外れた。
関節は無事だが肩肘が痛む。股間の水気が不愉快だ。畜生。
「……ジャン・ド・ファニョン。選ばれし者よ。私について来るがいい」
理事長の袖口から鉄製の鍵束が出てくる。
僕は息を呑む。まさか禁書棚に入れてもらえることになるとは。
これから禁断の魔法書を目に出来る。
世に広まれば、世界の形を変えてしまいかねないとされる魔法の数々に触れられる。
今ここにジーナが居ないことが残念でならない。
否。自分だって院試受験のために四書五経の暗記に取り組んできた身だ。今でも『詭弁論駁論』程度なら暗唱できる。
ここは一つ。頑張ってみようじゃないか。
「おっと。全て見せるわけにはいかんな」
再び肉体に拘束が掛けられ、僕は視界を奪われた。




