5-5 交渉成立
× × ×
一七九五年・三月。
ニューバストン新政府の要人輸送任務でバストン連合王国に赴いてから、約半年が経っていた。
両国間の和平交渉は順調に進んでいる。
当初こそ王女戦死の件でお怒りだった女王陛下だが、いつしかホワイトマン大使の人柄に絆されたらしい。今では立派なお茶会仲間だ。
庶民院・貴族院の条約案可決の目途も立ち、今月末には『ブリスレン講和条約』が締結される予定だという。
その頃には、僕たちも帰り支度を始めなければならない。
半年間の都会生活は刺激的だった。
新大陸側の外交使節は常日頃から命を狙われていた。曲がり角・二階の窓・机の下。あらゆる場所に刺客が潜んでいた。
さすがに王宮内での刃傷沙汰は避けられたが、使節が城門を出るなり刺客の弓矢が飛んできたこともあった。
自分が馬車の車体に『表面硬化魔法』を仕込んでいなければ、矢じりが窓を突き破っていたかもしれない。
「本当にヒヤヒヤしたわ! センキューセンキュー!」
命拾いしたホワイトマン氏は魔法の効果に感銘を受け、勲章と共に愛情の籠った接吻をプレゼントしてくれた。
一連の犯行の首謀者は「新大陸再植民地化」を唱える連合王国の悪徳資本家・貴族の連中だった。
彼らは和平交渉の妨害を目論み、腕利きの刺客を放っていた。
対するホワイトマン氏も多数の用心棒を雇い入れた。彼自身も腕っ節が強く、初老とは思えない剣捌きを披露していた。
後に女王陛下が近衛部隊を護衛に回してくださるまで、刺客との乱闘は続いた。
当然ながら。
僕自身は魔法使いとして直接的戦闘に一切従事していない。
これは母校の理事長による『魔法使いが武器など持つな』という指導を忠実に守ったからではない。
単純に怖かったからだ。
銃弾と剣戟が交わる空間には偶然の死がつきものだった。
実際に半年間で外交官一名、ホワイトマン氏の従者一名、用心棒三名がお亡くなりになった。負傷者は数えきれない。
異世界では人命の価値が軽い。
街角で子供の死体を見ない日が無いほど「死」が身近にあり、かつ乳幼児死亡率が高いせいか、みんな人間の生死を運命だと受け容れている節がある。
僕はまだ死にたくない。
乱闘に巻き込まれた時は遠巻きに『転倒魔法』で刺客の足元を狙うに留めた。地面の一部を隆起させる魔法だ。
杖を持っていると敵の攻撃対象になるから袖の中に隠した。
青年男性の姿だと外交官の一員と勘違いされるから、なるべく女性の姿で過ごすようになった。
ジョセフィーヌちゃんにとっては久しぶりの表舞台である。
十九歳の彼女はますます可憐さに磨きがかかり、クリスマスツリーのように飾り立てたくなる。
滞在中の休日、僕は暇さえあれば服屋に出かけた。
連合王国の服飾文化は洗練されている。ライム王国から逃げてきた亡命貴族たちが新たな流行を広めたそうだ。
おかげで美少女着せ替え祭りが捗った。
普段着、狩衣、旅行服、礼装、夜会服、肌着など。
気に入ったドレスは躊躇いなく購入した。
可愛い小物も買い集めた。
幸いにしてお金には困らなかった。若手の外交官を一緒に連れていくと勝手に支払ってくれるのだ。
ある時、僕は真意を訊ねてみた。
「相手の正体を知っているのに、どうしてプレゼントをしてくださるので?」
「貴女の魔法で助けられたお礼です。ミス・ファニョン」
外交官は丁寧にこちらの手の甲にキスをしてくれた。
不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
宿舎でもお気に入りの女性用寝間着を着たまま眠ることが多くなった。
朝から晩まで元に戻らない日が続いていく。
当然の帰結として。
お腹が強烈に痛くなった。
人生初の生理痛だった。
僕は宿舎の客室で愛すべき家庭教師にすがりついた。
「これ、何とかならないの?」
「ギャハハハハ! ざまあみろってんだ! ジャン様ったら、女の良いとこどりばっかしてるから! バチが当たったんですよ!」
「ジーナのこと嫌いになりそう……」
「いや元に戻れば良いじゃないですか」
「ああ、そうだね」
僕はドレスを脱ぎ捨てると、脳内で自分のお尻を七回叩いた。間違えた。背中に生えた七本目の架空の腕で何度も叩く妄想をした。
バチン。
瞬間的に背が伸びた。下腹部の臓器を抉り取るような痛みから解放される。代わりに頬が赤らんでくる。
彼女の身体に抱きついたままだと再び邪心が芽生えてしまう。僕は自然に距離を取った。
実際、日常的に女性の姿で過ごすようになった理由の一つは、自分の性欲に抗うためだった。
少き時は血気未だ定まらず。これを戒むることは色にあり。
経典の警句は正しい。
一夜を共にしただけなのに。気を抜くと彼女のことばかり考えてしまう。期待を抱いてしまう。
物理的に陰茎を排除したほうが冷静に物事を考えられる。
「ジャン様。どうぞ」
ジーナが衣装棚から男性用の寝間着を持ってきてくれた。
秋口のこの日は特に用事が無かった。
僕は衣服を受け取り、袖を通すことなく相手の立ち姿を見つめた。
彼女の愛好する庶民的な衣服は、あえて飾らないことで彼女自身の魅力を引き立てている。
美しい双眸も、整った鼻立ちも、柔らかな双丘も、滑らかな腰周りも、何より艶のある黒髪も。それ自体が宝石のように輝いていた。
彼女の唇が優しく吊り上がる。
やはり陰茎を保有したままでは冷静でいられない。気づいた時には、僕は彼女を抱きしめていた。
× × ×
僕が男女の垣根を往復しているうちに半年が過ぎ、年が明けた。
前述のとおり新大陸と連合王国の和平交渉は滞りなく進み、後は条約調印式と国会承認を待つばかりだ。
一七九五年・三月二十三日。
ニューバストン新政府のサイモン・ホワイトマン大使と、バストン連合王国の女王メアリー三世の間で最後の交渉が行われた。
両国の間に残されていた問題はただ一つ。奥州で未だ燃え続ける「ライム革命戦争」に対する姿勢だった。
ホワイトマン氏は丁寧に語りかける。
「我々新大陸の人間としてはライム共和国に多大な恩義があります。女王陛下が革命政府との和解をお望みならば、仲介はお任せくだされ」
「嫌じゃ。妾は処刑台に上がりとうない。今のうちに下剋上の火種は潰しておくべきなのじゃ」
「今まで新大陸から搾取してきた利益抜きに、連合王国が戦争を続けられますか」
「お主こそ。ライムと手切りしてはどうじゃ。今なら北のヌーベルライム植民地を攻め滅ぼせるじゃろ。武器を貸してやるぞ」
「それは恩を仇で返すことになります。それに国境の魔法学校あるかぎり、大義なき侵攻は許されますまい」
「ふむううう。魔法学校のう……」
ホワイトマン氏の説明に女王陛下は熟考の姿勢を見せたそうだ。唇から漏れ出た吐息には不快感がにじんでいたという。
やはり国家権力にとり、自主独立の実力組織・魔法学校は悩みの種になるようだ。
結局、両国の間で対ライム政策については事実上棚上げとなった。
翌日にはウグスター宮殿の大広間で調印式が行われた。
僕も外交団の護衛として式典の場に立たせてもらった。歴史を感じさせる壮麗な行事だった。
三日後には庶民院・貴族院の両院で条約が批准され、ニューバストン独立戦争は正式に終結した。
同年・四月七日。
僕たちは船出の日を迎えた。
ありがたいことに。女王陛下の計らいで王国海軍の新型フリゲート『セレーネ』で新大陸まで送り届けてもらうことになった。
フリゲートとは主力級の戦列艦より小型・快速の帆船である。
新型の『セレーネ』の場合は船底に鱗に似た銅板が打ち付けられていた。
フジツボの発生を防ぐことで船速の向上に寄与するらしい。連合王国の工業力を感じさせる。
両舷の砲門も三十門を数え、これまで乗船してきた民間船と比較すると破格の戦闘力を有する。
女王陛下から安全な航海を約束され、新大陸の外交官たちは意気揚々と『セレーネ』に乗り込んでいった。
僕も彼らの後を追う。
連合王国に残る家族と握手を交わしてから。
父親。母親。兄上。そしてジーナ。
「ジャン様。どうかお元気で。あたしも用が済んだらすぐに追いかけますよ」
「用が済んだらって……」
「あたし抜きだと色々困るでしょ」
彼女のお腹は大きくなっていた。
とても荒波を往く船には乗せられない。
僕は彼女と口づけを交わし、船に乗り込んだ。
本当は彼女の元を離れたくないのだが。帰路の『風使い』も契約に含まれているから仕方なかった。




