5-4 主導権
× × ×
家族の夕食会を終え、僕たちは駅馬車で宿舎に戻ってきた。
留守番のマケル老人は早々に入眠していた。客室のあちこちに酒盛りの痕跡が見える。
ジーナが蒸留酒の空き瓶を爪先で転がす。
「大きく出ましたね。ジャン様」
「何が?」
「全世界の救済ですか」
彼女は少し酔っていた。
頬が紅い。ワインの味見を繰り返した結果だ。
フリル付きの頭巾が空を舞う。
客室のベッドが倒れたジーナを受け止める。
明確に自制心が喪失している。
「別に馬鹿にしてるわけじゃないですよ。ジャン様が柄にもなくデカいことを言い出したから面白くて」
「馬鹿にしてるよね?」
「してないの。してないったらしてない。むしろそれくらいじゃないと仕えがいがないっていうか……」
彼女は俯せのまま布団に顔を埋めていく。
今夜の僕は使用人控え室のベッドを借りることになりそうだ。別に構わないが。
せめて靴を脱がしてあげようと彼女の足に近づいたら、振り払われた。蹴られるかと思った。
「ジャン様はせっかく恵まれた生まれ育ちのくせに、何か成し遂げようって気概が、これっぽっちも無いから。お互い宝の持ち腐れだと思ってたの」
ジーナはイタズラっぽい顔をこちらに向けてくる。
「だから嬉しくて」
甘い言葉だった。
僕は帽子を壁の金具に掛ける。足元の空き瓶も拾っておく。何かしないと落ち着かない気分だ。
彼女は跳ねるように起き上がり、ベッドの端に腰掛ける。
両手がこちらに向けられる。
「ふう」
彼女の唇から行動を促す吐息が漏れる。膝枕してくれるらしい。
十数年の習慣が僕の身体を突き動かす。
以前より少し柔らかくなった太股に頭を預けると、彼女が髪の毛を撫でてきた。心地良い。
「ジャン様。具体的に救済の定義から教えていただけますか」
「目標って意味合いなら、ジーナの想像とは違うと思うよ」
「貧困の撲滅? それとも世界平和?」
「そんなSDGsっぽい話ではなくてさ」
「何ですかそれは」
「ええと。これはとっておきの秘密なんだけど……」
僕は生まれる前の話をさせてもらう。
母親の胎内で謎の上位存在から全宇宙の「破滅」を示唆されたこと。世界が光に包まれ、消失するプロセスについて。
わかっていることを出来るだけ丁寧に話した。
別世界から転生してきた件は、余計な混乱を招きそうだから省いておいた。これは僕のワガママだが。彼女の前ではあくまでジャンでありたい。
ジーナの反応は予想外だった。
与太話だと笑われるか。酒の飲み過ぎを嗜められるか。期待外れだとため息をつかれるか。
我ながら三つに一つだと予想していたのに、当の彼女は考え込むような仕草を見せる。胸の膨らみの稜線に遮られ、表情を窺うことは出来ないが。少なくとも彼女の横隔膜は跳ねていない。
笑うことなく真剣に考えてくれている。
「ジーナ。ありがとう」
「茅に隠されていた道が一気に開けた気分です。きっと初代校長エマ・ユジェルはこのことを言っていたんだ」
彼女はベッドの端から立ち上がる。
おのずと彼女の主君は床に放り出される。痛い。床板の木目と目が合った。勘弁してほしい。
「ちょっと。いきなり立たないでくれないかな」
「お黙りあそばせ。たしかノートに気になった文言を書き留めておいたはず……あった。六冊目のこれに違いないわ」
ジーナは自身の荷物から手帳を取り出す。
そしてペラペラとページをめくり、探していた文字列を突き止めた。
「破滅って、これですよね」
彼女が見せてきたページには「コスモス・ツェルトーロング」と表記されていた。
同盟語で宇宙の崩壊を意味する。
僕は手帳を受け取る。
初代校長の発言をまとめた『校長言行録』の一部が、見慣れた字体で書き写されていた。
『自分は世界を救ったのに。借金取りに追われる』
『もうヤダ。新大陸に居たくない。全員何も知らない恩知らず』
『あの子と一緒に破滅を阻止したのは借金に苦しむため?』
『例の魔法で消してやりたい衝動に駆られる。こんなことは弟子たちに教えちゃいけない!』
魔法学校の創業期に資金繰りで苦しんでいた時の発言らしい。初代校長はよほど参っていたと見受けられる。
『あーあ。債務引受してもらった。もう頭が上がらない。最悪』
『未来永劫、あの女の会社から穀物を仕入れるの?』
『終末の光で包んでやりたい!』
手帳に記された発言録の抜粋は以上だった。
例の魔法。終末の光。破滅の阻止。おそらく初代校長は僕と同じ光景を見ている。
彼女もまた別世界からの転生者だった可能性がある。前世紀に死んだ本人に質問状を送りつけることは出来ないが、非常に興味深い。
僕は手帳を持ち主に返した。
「ありがとう」
「参考になりましたか」
「うん。ひとまず終末の光について調べないといけないね。察するに禁忌魔法なのかな」
「実は学校の書庫にあった『言行録』のうち四巻だけ禁書に指定されています」
「禁書棚にヒントがあるってこと?」
「あったとして、入ろうとしたら理事長に殺されちゃいますけど」
「理事長に訊いてみようか」
「今回の依頼で新大陸に戻るのは半年後ですよ」
ジーナは手帳を行李に戻した。
彼女が再びベッドの端に座ったのは膝枕の合図だろう。僕は無言のまま彼女の膝元に近づいたが、何故か抱き寄せられてしまった。
正面から抱き合ったのはいつぶりだろう。
彼女が小さくなったわけではない。自分の身体が大きくなった。
「……『本棚』で遊びません?」
酒の匂いと色香が混ざり合う。
両親の指示通りに一線を引いた上での誘い文句に、僕は後ろめたい誘惑を感じる。
「君は家具じゃないよ」
「あたしは別に何でもいいんです。使用人であれ、家具であれ、都合の良い女なのは変わりありませんし」
抱き合ったままでは相手の感情が上手く読み取れない。
彼女の気持ちがわからない。
ポンポンと背中を叩いてみる。逆にこちらの背中に張り手を喰らった。慰められたいわけではないようだ。
頭を撫でてみよう。美しい黒髪は手触りが良い。航海中も手入れを欠かさずに居たようだ。
左耳を引っ張られる。彼女の吐息がかかる。
「あのさ。今まで何度も言ってきたじゃないですか。ジャン様の好きにしてくださいって」
「うん」
「あたしは、好きにされたいの」
彼女と目が合った。
酒の匂いがする。わずかに潮の香り。今朝方に船を降りたばかりだから仕方ない。
可愛らしい唇にこちらの口先を添わせてみる。人生初の試みは柔らかいという感想に帰結した。
悩ましい。
彼女には彼女の人生がある。
彼女を手放すつもりがないなら手籠めにするべき、とマケル老人から説教されたこともある。
要するに「愛人にしろ」ということだ。
これは彼女から良家に嫁ぐという選択肢を奪うことにも繋がる。奥州の貴族社会では血統保存の目的から未婚の女性に純潔を求める傾向が強い。
当の老人はいつの間にか部屋から消えていた。廊下の方向からわずかにイビキが聞こえてくる。
好きにしてください。
好きにされたい。
僕は好きにすることにした。
× × ×
好きにしろ。ただし国立の有名大学に入れ。
前世の父親から散々言われてきた台詞が脳裏に浮かぶ。そんな朝だった。
ベッドの傍らではジーナが静かに寝息を立てている。やや乱れた前髪が、見慣れたはずの寝顔を別人のように見せる。
振り返れば。
自分が革命勃発後に家出を敢行したのは、完全に彼女のお膳立てによるものだった。
入学後に学年首席と成績で張り合うはめになったのも、付き人の彼女が煽り立ててきたからだ。
例の双子からのリクルートにしても。ある時にさりげなくジーナのほうから「主君の行く末が不安」だと話を持ちかけたらしい。
そして昨夜の秘め事も。彼女のほうから誘いをかけてきた。
度々「ジャン様の好きにしてください」と言われてきたが。その実、彼女の手の上で転がされてきたような気がする。
話の流れから察するに。
起床後に責任を取るように迫られるのだろうか。違うな。彼女はそんなタマではない。
もっと別の要望が来る。
これは以前から薄々感じていたことだが。
稀有な頭脳を持ちながら身分と性別ゆえに挑戦の機会を与えられず、魔法も扱えない彼女は、主君であるジャン・ド・ファニョンに自身の人生を仮託している節がある。
だからこそ院試の時期には数年間、毎日耳学問の授業に精を出し、魔法学校では自ら魔法書の暗記に挑んでくれた。
他ならぬジャンの能力向上のために。まるで自分事のように努力してくれた。
その上で。直接的ではないにせよ。彼女の中にある「賢い選択肢」を選ぶように迫ってきた。
僕の知るかぎり、彼女は誰よりも頭が回る。
昨夜の誘いにも何かしらの目的が含まれていたとみるべきだ。
ファニョン伯に主従関係を引き裂かれそうになったから、身体で繋ぎ止めようとした──その話は昨日解決したはずだ。
お酒の勢いで気分が上がった──かもしれない。
宮廷貴族では暗黙の了解とされた性教育文化の延長線上──庶民出身の彼女には無縁の話だ。
大好きなジャンの結婚相手が決まる前に思い出を作りたかった──僕にとって都合が良すぎる。世の中はそんなに甘くない。
今のうちに隠し子を作っておくことで、今後主君に対して優位に立ちたい──これが正解なら『君主論』の読みすぎだ。
僕は頭が痛くなってくる。
わからないことに悩んでいても仕方ない。
喉の渇きを癒そうと布団から起き上がると、おもむろに裸体のジーナに抱きつかれた。
背中の肌に柔らかい乳房が当たる。僕は慄く。
「うおっ」
「ジャン様。起きたなら声ぐらいかけなさいよ」
「お、おはようジーナ」
「おはようございます。一人前の顔になった感じがしますね。今なら何でも出来るんじゃないですか?」
彼女の満面の笑顔から僕は意図を理解した。
未知なる「破滅」を巡る冒険を前に、改めて操縦桿を握られたのだ。




