5-3 野望再び
× × ×
久しぶりに家族で食卓を囲もう。
父親の誘いを受け、僕たちは駅馬車に乗り込んだ。
ブリスレン市内のセント・サンダース地区。
ファニョン伯爵家の仮住まいは質素な一戸建て住宅だった。調度品の品質、部屋数、共に往年の城館とは程遠い。
母親の話では、これでも他の亡命貴族より恵まれているそうだ。
四年ぶりの再会を祝し、食卓には故郷のワインが並ぶ。
乾杯の前に僕から言っておくことがあった。
「父上。それに兄さん。四年前は何も言わずに家を出てしまい、申し訳ございません」
「過ぎたことだ。許してやる」
父親は嬉しそうに白ワインをすする。ラファエル兄さんは笑っている。
僕は喉に刺さっていた小骨が取れたような気分になった。
四年前。
僕たちが城館を旅立った後、ファニョン伯爵家の一族郎党は王党派の陣営に合流したらしい。
ラファエル兄さんは言葉を濁していたが、要するに先祖代々の領地と城館を捨てたということだ。
逃亡者の僕には家族の判断を責める権利など毛頭ない。
当時の革命政府の勢いを思えば、陥落は時間の問題だった。
故郷のブランシュ州を追われた伯爵家は、王党派の領袖であるトッキ公の元に身を寄せた。
トッキ公は国王の弟君にあたる。王族の大半が処刑されたため、九男坊ながら数少ない王位請求者の一人とされていた。
父親の話では、とても臆病な人物らしい。
「当時トッキ公の下には一万人の将兵がいた。しかし半年後には二千人も残っていなかった」
「革命軍に敗れたのですか?」
「戦わずに泣き言ばかり口にされるから、部下の将兵が呆れてしまったのだ。挙句には『死にたくない』『他国に亡命する』等と言い出されてな。今はここの向かいの屋敷でのんびりされておる」
ファニョン伯は玄関の方向にワイングラスを向ける。
住宅街の中に一軒だけ大きな邸宅があると思っていたが、王弟殿下のお住まいだったらしい。
おのずと王党派内部での我が家の扱いにも想像がつく。王家の隣に住むことを許された家柄。本当にこんな狭い家でも厚遇されているほうなのだ。
僕の後ろに立っていたジーナが、控えめに手を挙げる。
「それで、お父様方も連合王国までついてこられたのですか?」
「しゃしゃり出るな。村娘。ジャンの家出は許してやるが、お前の虚言を許した覚えはないぞ」
「失礼しました」
ジーナは丁寧に頭を下げる。
四年前、僕の旅立ちを実現させるために偽の援軍情報を流した件が尾を引いているようだ。
自分のために彼女の立場が無くなるのは見過ごせない。
僕は訂正を試みる。
「父上。あれはジーナなりに家出の手助けを……」
「そういうことではない。ジャン。こいつは主君に嘘をついた。もはや我が家の使用人として信用できんと言っている。お前は嘘つきに金を預けられるのか?」
「預けられます。彼女は、僕の従者ですから」
「むう」
僕の言葉に父親は黙り込んでしまった。
ラファエル兄さんが茶化すような口笛を吹く。男女の色恋沙汰に繋げる意図を感じるが、ひとまず相手にしない。
「ジャン。使用人との結婚は許しませんよ」
このタイミングで母親が直球を投げ込んできた。白身魚のムニエルをフォークで切り分けながら。
柔らかな笑顔には一片の邪気すら感じられない。本心から仰っている。
父親も同調してくる。
「……そうだな。村娘には適当な結婚相手を宛がい、ジャンには相応しい相手を探しておこう」
「お待ちください。父上。ジーナの脳内には魔法学校の全魔法書が詰め込まれております」
「どういうことだ?」
「彼女が居ないと僕は魔法使いとして大成できません。どうか傍に置くことをお許しください」
「理屈がわからん。私は四書五経を修めたが、その分野には疎い」
「ええと」
僕は家族に魔法の使い方を説明する。
非常に込み入った内容の「設定」を想像することで世界の理を捻じ曲げる。
その設定パターンをほぼ全て暗記しているのはおそらくジーナだけだ。
僕自身が完全に記憶し、安全に取り扱えると学校に認められたのはせいぜい三十個程度の魔法に過ぎない。
「要するに魔法学校で勉強を怠けたのだな。お前は」
「違います父上。これでも次席卒業の身なのです。院試なら榜眼と称えられますよ」
「野蛮人の幻術を誉れ高き院試と並べるでないわ。全く。とはいえ状況は理解した。今の村娘は本棚なのだな」
「はい」
人間を家具扱いしたくないが。会話が変な方向に飛ぶ前に形だけでも同意しておこう。
当のジーナはどうでも良さげに開栓したばかりのワインを味見していた。
父親はため息をつく。
「学問の家柄の者が、家族の本棚を取り上げるわけにはいかん。お前が手元に置きたいのなら好きにせよ」
「ありがとうございます」
「ただし。お前の結婚相手は別に用意する。名家の娘だ。それだけは忘れるな」
僕は何も言わずにうなづいておいた。
幼少期ならともかく。今の自分には伯爵家に縛られる理由が存在しない。
両親と兄さんに何かあれば支援は惜しまないつもりだが。
今の自分は自由だ。結婚相手ぐらい自分で決める。
「ところでジャンは、今後どうするつもりなんだ?」
ラファエル兄さんは白身魚のムニエルを平らげていた。
相変わらず釣りが好きらしい。今日の主菜は兄さんの釣果だという。
まさか本当に釣り人になったわけではないと思うが。
一応、訊いておこう。
「そういう兄さんは?」
「俺は王党派の騎兵将校だよ。いずれトッキ公が反攻に出られた時には侍衛親軍の騎兵連隊を任される予定だ」
「大出世だね。僕はしばらく同級生の事務所で働くつもりだよ」
「新大陸に戻るつもりなのか。お前なら連隊付きの飛行将校を任せてもいいんだぜ」
ラファエル兄さんの提案は魅力的だった。
宮仕えには安定感がある。食事にも困らない。飛行将校は兵営での扱いも良いらしい。
しかし双子との先約がある以上、連合王国に長居するわけにはいかない。それに僕が戦場に出たら心配性の従者に怒られてしまう。
僕はちぎった白パンにムニエルのソースをつける。
「兄さん。僕は軍人には向いてないよ」
「大空から革命軍の陣形を確認するだけだぞ」
「革命軍の魔法使いが居たら殺し合いになるでしょ。それに銃弾だって当たる時は当たるらしいから。実際飛んでみたら距離感がわかるよ」
「へえ。魔法学校でそういう訓練も受けてたんだな」
兄さんは不敵な笑みを浮かべる。
仰るとおり、僕は三年次の座学で地形の読み方と星座の測定法(天測)を学習済みだ。どちらも『飛行魔法』の使用に必須の技能である。
天測については以前気の良い航海士に少し教わったことが活きている。
「魔法使いに生まれたからには空を飛びたいからね」
「もっと他にやりたいことってのは、ジャン、お前の中には無いのか?」
「他にやりたいこと……」
「もう十九歳なんだろ。お前の野望を聞かせてくれ。こっちはライム王国の王政復古の暁に元帥杖を狙うつもりだ」
兄さんの発言に飲酒中の父親が冷ややかな目を向ける。元帥と刺史では上下関係が逆転してしまうからだろう。
僕は言葉に詰まった。
少年時代に放蕩息子だったラファエル兄さんが、今となっては伯爵家の跡継ぎに相応しい立場にいる。
逆に子供の頃に一族の未来を背負う形で「院試」に挑まされた自分が、今はやりたいことを選べる身になった。
しかしながら。今の自分にはやりたいことなど何もない。
結果的に新米魔法使いになれたが、その先の目標と呼べるものをあいにく持ち合わせていないのだ。
正直。普通に。今の生活がずっと続けばいいとさえ思っている。
魔法関連の仕事を請け負いながら、従者たちをお供に引き連れ、さながら水戸藩の隠居老人のごとく諸国を漫遊したい。
こんな答えで兄さんに満足してもらえたら良いのだが……。相手の期待が込められた視線に僕は狼狽える。
両親も僕の将来像を聞きたい様子だった。
野望か。
考えてみれば、自分は名門貴族の次男坊で魔法使いなのだから、常人より手の届く範囲が広いわけだ。
おまけに前世の歴史知識もある。やる気次第では歴史を多少なりとも変えられるかもしれない。良い方向にもそうでないほうにも。
「どうぞ」
ジーナの手により、卓上のワイングラスに新たなワインが注がれていく。兄さんの反応を見るかぎり甘口の白ワイン、その中でも貴腐ワインと呼ばれる代物だ。
僕もひと口だけいただくことにした。
ジーナに向けて両手を合わせたら、彼女はフッと気の抜けた笑顔を見せてくれた。
ポリテュール・ノーブル 。
文字通りに『高貴なる腐敗』を意味する貴腐ワインは、特定の病原菌で腐らせたブドウを材料としている。
甘美な味わいには定評があり、ライム西部で作られたものは王室御用達の称号を得ていた。
前世の世界にも同種の酒は存在した。
それこそ。安藤三郎の死因となったあのワインも──ゴクリ。舌の奥を潤す強烈な甘みが、往時のトラウマを呼び起こす。
僕は思い出した。
脳内に植えつけられた外部記憶。
世界の消失。全宇宙が恐ろしい光に包まれる。カタストロフ。悲惨な「破滅」の様相。
ひょっとすると。僕はあれを止めるために生まれてきたのではないか。
神様(あるいは未知の上位存在)から天命を与えられたと考えたほうが、自然なのではないか。
僕は椅子から立ち上がった。
「兄さん。僕は世界を破滅から救うよ」
「はあ?」
「せ、世界全体を救済する。全宇宙を終末から守り抜くんだ」
「つまり今の年齢から修道院に入って祈りを捧げようってことか。熱心なことだな」
ラファエル兄さんがわざとらしく十字を切る。両親は首を傾げ、ジーナは目を丸くしている。
あれが仮に天命だったとしても。
他人には迂闊に口外しないほうが良さそうだ。
場を包み込む「何言ってんだこいつ」の雰囲気に胸が痛んだ。




