4-1 時の流れに身を任せ
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一七九三年・五月。
自分は十八歳の誕生日を迎えた。
前世の日本であれば新成人扱いとなる。おめでたい気分になれないのは、僕自身が今も昔も一介の学生に過ぎないからだ。
肉体だけは年相応に成長した。
美貌の家庭教師ジーナと並んでも遜色ないぐらいに背も伸びた。
個人的には彼女の上目遣いを堪能できる高さまで伸ばしたかったが、魔法使いは栄養の余剰分を魔力に変換する運命にある。
男女問わず、校内の生徒はみんな中肉中背だった。
「ジャン様が妬ましい。いくら食べても太らないなんて」
「全くじゃわい」
ジーナとマケル老人が、それぞれ自身の脇腹に触れながら文句を漏らす。
入学以来の二年間で相当に太った老人はともかく。ジーナのほうは全く変わらないように見える。
むしろ二十二歳の彼女は年々美しさに磨きがかかっている。
主君としては相応の嫁ぎ先を用意するべきかもしれないが、才色共に手放しがたく。やる気が出ないのが実情だった。
僕たちは校内の大通りから東側の路地に入る。
今日は防壁沿いの小道に面した小料理屋『考えない葦』で身内だけの誕生会と洒落込むつもりだ。
学生寮地区では珍しい石造りの平屋に店の看板が出ている。元々は学校の食糧庫だったらしい。
「いらっしゃい、伯爵閣下」
入店早々。
防虫菊の匂いと共に、看板娘のイルマさんが揶揄うように声をかけてきた。
グラーフとは校内の公用語(同盟語)で伯爵を指す。
僕はまだ父と兄の死に目には会っていない。あくまで伯爵家の次男坊に過ぎないわけだが、校内では貴族が珍しいことから一種の渾名となっている。
「イルマさん。予約していた料理を」
「はいよー」
彼女の手で注文通りの品が机に並んでいく。
レンズ豆のスープ、タラの香草焼き、二枚貝のクリーム煮、オリーブオイル仕立てのサラダ、キュウリのピクルス。
どれも学校の食堂では滅多にお目にかかれない。調理・喫食に手間がかかるわりに栄養価が低いとされる逸品だ。
僕は料理に舌鼓を打つ。
滋味深いスープに、ハーブの香る白身魚。新鮮な野菜類。たまらない。
「ふう。美味しい。芋料理に飽きた舌が喜んでいるよ」
「このところマッシュポテトのケチャップ添えしか出てきませんよね、食堂の料理」
「世相が悪いからのう」
ジーナとマケル老人は店内の貼り紙を恨めしそうに見つめる。
『麦酒とラム酒以外の酒類の取り扱いを当面取りやめます』
『暴動の影響で船便が届きません。ご了承ください』
『勘弁してくれ!』『ワインが無いと耐えられない!』『ラム酒は好かん!』
店主直筆の告知文には、常連客による悲鳴の如き落書きが添えられていた。
ここで文句を言っても即座に状況が変わるわけではない。
マケル老人は渋々ながら安物のラム酒を、ジーナはヌーベルライムの地酒である温い麦酒を飲んでいる。味は芳しくないらしい。
こういう時だけは前世のトラウマに助けられた気分になる。自分は日頃から健康のために飲酒を避けてきた。依存の度合いは低い。
もっとも。魔法使いは空腹の時以外、さほど酔わないのだが。
「おお~。伯爵じゃ~ん」
店の奥に居た女性から声をかけられる。
同級生の『眠り姫』シルヴィア・カミンスカさんだ。彼女も夜食をいただきに来ていたらしい。
傍らには彼女の双子の弟の姿も見える。相変わらず瓜二つだ。
「ウチら、三年になってから世の中ヤバイよね~。学校だと芋しか出ないし。ここにはお酒も無いし。せ、せんせえは合格くれないし。ヤバくな~い?」
白髪のお姫様がラム酒を呷りながら、僕たちの座席に割り込んでくる。すでに酒臭い。勢いで抱きつかないで欲しい。
ファニョン伯爵家を代表し、家庭教師のジーナが苦言を呈する。
「弟君。泥酔するなら女装は止めたほうがよろしいかと。間接的に妹君の評判を損ねます」
「ぎゃはは。だってさ~」
彼女(彼?)はゲラゲラ笑いながら机に突っ伏してしまった。早くも寝息を立てている。
代わりに奥の席から男装したシルヴィアさん(本物)がこちらに近づいてきた。
「伯爵ごめんね~。弟が失礼しちゃった~。最近午前中の授業が面倒くさくて、ずっと弟に任せてたら壊れちゃった~」
「三年生にもなって弟に代返やらせるのはどうかと思うぞ」
「春眠アクアパッツァを覚えず、的な?」
「春眠暁を覚えず、だよ」
自分の父親が聞いたら卒倒しそうな故事成語の間違いを訂正しつつ。
全くやる気の見えない彼女より魔法学の成績で劣る自分自身に、改めて腹が立ってきた。
シルヴィア・カミンスカの杖は『魔法使用許可証』のラベルで埋め尽くされている。もはや余白が無いため、彼女は三年生進級に合わせて二本目の杖を理事長からプレゼントされた。
魔法学校の開校以来、十人目の栄誉だという。
一方。僕の杖にはまだ余白が残っている。
早く彼女に追いつきたい。もっと多くの魔法を使えるようになりたい。先生の許可を一発でもらえるくらいに妄想力を培いたい。
「伯爵は良いな~。頭が良くて。座学は全部首席だし。超美人の家庭教師に教えてもらってるんでしょ~。羨ましいよ~」
「お褒めにあずかり光栄ですけど。あたしなどカミンスカ嬢の可憐さには及びません」
ジーナは心にもない言葉で謙遜してみせる。マケル老人がラム酒を吹き出しそうになっていた。
ジーナは自分以外の全存在を愚か者だと見下しているし、自分が一番美人だと自覚している。
もっとも。シルヴィアさんの容姿に魅力が無いわけではない。彼女は彼女でとても可愛らしいと思う。
僕の好みではないが。
「よろしければ、カミンスカさんもどうぞ」
看板娘のイルマさんがデザートを運んでくる。
牛乳のアイスクリームだった。冬の間に切り出した氷を地下室で保存していたらしい。
氷魔法を使わずにアイスをいただけるのはありがたいことだ。あれは使うたびにテンションが下がる。
シルヴィアさんは口溶けの良いアイスに感銘を受けていた。
「うっめえ~。ウチも氷魔法覚えたいな~」
「僕みたいにセガン先生に教えてもらえばいいよ」
「あの人、最近学校に居ないもん」
「それはそうだね」
僕の恩師であるシャルロット・セガン先生は春先あたりから『理事長命令』に駆り出されるようになった。
他の先生では対応できない仕事が来たらしい。詳しいことは教えてもらっていない。
逆にただ一人の校内当直となったアンハルト先生は大忙しだ。魔法学の授業、学生寮の管理、生活指導までほぼ単独で対応している。
座学については自習日が増えてきた。
ここだけの話。アンハルト先生から「ジーナ女史に座学の講師をお願いできないか」と依頼されていたりする。
二年間で図書室の魔法本をほぼ読み終え、記憶してみせた彼女の頭脳は校内でも有名だった。
さすがに全部一字一句思い出せるわけではないらしいが。
彼女が傍に居れば、いつでも新しい魔法の知識を得られるに等しい。これはとてつもない優位性だ。
なのに。魔法の習得数でシルヴィアさんに遠く及ばない。
我ながら恥ずべきことだ。
「……ジャン様、あたしの顔に何か付いてます?」
「いや。僕には過ぎた家庭教師だと思ってさ」
「そうでしょうね」
ジーナは気分良さげにスプーンを口に運ぶ。
一方のマケル老人はラム酒の残りをアイスクリームにぶっかけていた。合うのだろうか。




