3-1 川の流れのように
× × ×
一七九一年・四月七日。
川面に浮かぶ魔法学校は朝靄に包まれていた。曇天も相まって石畳の大通りは先が見えない。
転びそうになったのだろう。上級生の生徒が苛立ちながら『風魔法』で朝霧を吹き飛ばしていた。僕は初めて他人が魔法を使う所を見た。
大通り沿いには丸太小屋の学生寮が立ち並ぶ。各所の扉から続々と生徒たちがお出ましになる。少しずつ道行く人影が増えていく。
全員衣服はバラバラだが、お揃いの花柄スカーフを首元に巻いていた。頭に巻いている人もいる。
僕はスカーフを首飾りのように巻いた。衣装担当を称する付き人ジーナの指導による。衣服は一般的なライム貴族の略装スタイルだ。すなわち上着・胴衣・半ズボン・脚絆。翡翠色と紺色を基調とする。
二角帽を被れば、十五歳の少年であっても一端の貴族に見える。
現に周りの生徒から「奥州の貴族だ」「本物の貴族っぽい」と陰口を叩かれている。気がする。
「ジーナ。こんな仰々しい服をよく新大陸まで持ってきたね」
「お母様から預かりました。おいコラ、あっちで舐められてんじゃねえぞ、と」
「母上はそんな言い方しないと思うけど」
「あはは」
僕の指摘にジーナは悪びれもせず笑う。
彼女自身は普段通りの慎ましい従者の装いだ。灰色のドレスにエプロンを付け、帽子代わりにボネットという布を被っている。
それでもなお、彼女の美しさはどんなドレスよりも人目を惹く。花盛りの二十歳の乙女に敵は居ない。
「古典にも『衣装が人を作る』とあります。今日は入学式ですから。周りにぶちかましてやりましょう」
「コンパスに居る時はコンパス人のように生きろ、とも言うじゃないか。いくらなんでも悪目立ちすぎない?」
「あら。生意気に古典返しだなんて。みっちり耳元で教え続けた甲斐がありますね。また復習します?」
「今は魔法の勉強のほうが先決だよ」
僕たちは校舎地区の入口から校庭に入っていく。
校庭では式典の準備が進んでいた。演台には魔法学校の理事長(中年の女性だった)が立っている。周囲に他の先生方の姿も見える。僕の入学試験を担当してくれたセガン先生が明るく手を振ってくれた。
「ただ今より、第一〇九期の入学式を執り行う」
理事長の厳かな声で式典が始まる。
全校生徒が集まる入学式。全員と言っても三学年で五十名にも満たない。田舎の小学校程度の規模感だ。
各国在住の魔法使いから才能を見出され、推薦を受けた者が今ここに集まる。おのずと生徒たちは年齢も出身地もバラバラだった。
それは入学式の中盤、新入生による自己紹介の際に如実に現れる。
「──西の湖畔から来ました。草原を守る部族の者です」
「──東の湖畔から来た。山を守る部族の次期族長である」
「──亡命ストルチェク人です。眠るのが大好き系の女子です」
「──大君同盟の港町から来ました。老骨ですが、励みます!」
「──連合王国から来ました。特にお話できることは、ありません」
「──ライム貴族・ファニョン伯爵の次男坊です」
新大陸の先住民から奥州系の移住者まで、多種多様な属性の老若男女が、白地の花柄のスカーフにより『魔法学校』という一つの共同体にまとめられる。
あらゆる面で前世の学校を想起させる仕組みだ。
一種の収斂進化だろうか。
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入学式の後は食堂にて新入生歓迎会が執り行われた。
魔法学校は何においても食事を重視している。魔力の源だから食べないことには魔法の習得もままならない。
新入生は長机に着席を命じられ、先生方と上級生が運んでくる食事を全て平らげるように指示される。
端的に言えば、地獄だった。
多様な献立が用意されているとはいえ、やはり人間の顎には限界がある。食べ疲れてしまう。
「もう無理。眠い。こんなに食べたら顎が張っちゃう。美容に良くない。眠い」
隣席の女子生徒が泣き言をもらす。シルヴィア・カミンスカさんだったか。銀髪の女の子だ。自分より二つ年上だという。
彼女の後ろには彼女とそっくりな弟さんが立っており、しきりに匙を持つように迫っている。
「タダ飯だろ! 勿体ないぞ!」
「あんたが食べなよ~。もうヤダよぉ」
シルヴィアさんは長机に突っ伏してしまう。
僕も同じようにギブアップしたいところだが。セガン先生が笑顔で肉料理を運んでくるものだから拒みづらい。
一旦、厠所に逃げるか。
一計を案じた僕は、付き人のジーナに弁明を任せて食堂を後にする。
校舎内の廊下では蚊取り線香が焚かれていた。川に挟まれた地形ゆえに羽虫が出やすいようだ。
蚊取り線香自体は奥州でも流通していた。前世の事情には詳しくないが、異世界では地中海原産の菊の粉末が利用される。僕も虫よけに菊の粉を振りかけられたことがある。
僕は校舎の隅にある厠所で小便を済ませた。席に戻るにはまだ早い。もう少し歩いてみよう。
校舎内には規格化された教室が並んでいる。学年別の一般教室の他、教科別の教室も設けられていた。魔法の訓練室もあるようだ。
L字型の校舎の結節点には玄関口が存在する。エントランスの二階部分は吹き抜けとなっていた。良い風が吹き込んでくる。
「…………」
片隅に女子生徒が立っていた。
彼女は柱の掲示板を食い入るように見つめている。僕は入学式の自己紹介を思い出す。連合王国出身の子だったはず。名前はたしか。
「クレア・マングスターさん」
「…………はい」
名前を思い出した勢いで話しかけてしまった。
彼女はこちらに小さく会釈してくださる。自分と同い年の生徒は彼女だけだ。他は年上ばかり。出来れば交流を深めておきたい。
僕も掲示板の前に立つ。
「何を見てたの?」
「よ、奥州のニュースです」
彼女は掲示板の記事を指差した。
魔法学校では地元を離れた子息向けに各地の時事情報を収集している。卒業生のネットワークからもたらされた生の情報に加え、学校に食料品を納入する業者から新聞を取り寄せていると先生から聞いた。
それらの情報を元に作られた校内新聞。読み応えがありそうだ。
僕は記事の小さな文字に目を通す。
ライム王国の国民公会が新憲法を発布したと書かれていた。ついに王制を廃し、国号をライム共和国と改めたらしい。
対外的には東奥州の雄・ヒンターラント大公国との戦争が続いていた。
王妃処刑の敵討ちに燃える大公国軍はライン川以西に進出。共和国側は首都イル=ド=トリスケルの守りを固めるべく、国内で大規模な徴兵を実施したとのこと。民兵である国民衛兵だけでは対処できなかったようだ。
「ファニョン卿の地元は大変ですね……」
「ジャンでいいよ。同い年なんだし」
「そうでしたか」
クレアは今さら気づいた様子だった。お互い十五歳だ。もっとも転生前を加えると三十五歳になってしまうが。
彼女は自分より背が低い。いつも自分と変わらない身長の女性と向き合っているせいか。亜麻色の頭に可愛げを感じられる。
顔立ちはあどけなさを残し、やや丸みを帯びる。華やかなジーナと比較して、淑やかな印象を受けた。
つぶらな瞳、ちょっと低めの鼻、小さな唇。可愛い子だ。
「ど、どうかされましたか。自分の顔に何か付いていますか、ジャンさん」
「ごめんごめん。バストン出身の人を見るのは久しぶりだったから」
「そういえば、敵国同士でした」
「ここでは関係ないよ」
入学式では理事長自ら「学舎に国際政治は無関係」と断言していた。学校の創設者の受け売りらしい。僕も良い言葉だと思う。
クレアのみならず他の生徒たちとも友誼を結びたい。
実のところ。自分には年頃の友達が居ない。付き人のジーナは年上だ。マケル老人も同じく。
実家の城館に居た頃は勉学の合間に貴族の子弟と遊ぶこともあった。しかしながら。自分だけ実家の地位が高いために微妙に距離があったことは否めない。
前世の高校・予備校の友達は、同時に大学受験のライバルでもあった。
今回はもう少し穏やかな人付き合いを楽しみたい。僕の密かな願いである。
「関係ない、とは言い切れない気がします」
クレアは小さく呟き、ドレスの裾を翻して、食堂の方に戻っていった。
彼女が読んでいた記事には連合王国の動向が記されていた。バストン王立海軍がライム共和国に海上封鎖を仕掛けたという。
海上封鎖とは相手国に関係する貿易船を全て止めてしまうことだ。周囲を敵国に囲まれた今のライム本土にとっては深刻な物資不足の引き金となりうる。
僕も巻き込まれた私掠船による嫌がらせに加え、強力な王立海軍まで出てきたとなれば──いよいよライム市民革命も「終局」を見据える時が来たかもしれない。
父親は喜ぶだろうな。兄さんも。
同時に。
新大陸においても、今後しばらくはヌーベルライム植民地とバストン植民地の対立が一段と激しくなるだろう。
魔法学校の立地を考えれば、自分たちも無関係ではいられない。
僕はクレアの見解に感心する。
彼女は何者なのだろう?




