2-6 力の源泉
× × ×
乳白色の物体を匙で掬う。
口元に運ぶ。咀嚼する。
前世を含め、自分の人生でもっとも美味しいマッシュポテトに出会うことが出来た。そんな感動は二皿目には消え失せ、以降は何も考えずに口にするだけの作業となった。
不思議と満腹にはならない。いくら食べても胃袋の中に溜まった感覚が発生しない。血糖値の上昇に伴う満足感はある。しかしながら。物理的な限界を感じない。
理由は不明だが、これなら二十五皿ぐらい食べられるかもしれない。
五皿目。
同じ味の連続に飽きてくる。ここで付き人のジーナが気を利かせてくれた。行李の中から胡椒の瓶を手渡される。
異世界では高価な香辛料だ。実家の城館を出る時にマケル老人がくすねてきたらしい。二人ともありがとう。
十皿目。
自分の身体が食べ疲れてきた。顎が筋肉痛になりそうだ。
ここでセガン先生から「噛まずに飲みなさい」とアドバイスをいただく。ありがとうございます。もっと早く教えて欲しい。
十五皿目。
マッシュポテトがトラウマになってきた。囚人の穴掘り刑の逸話で有名だが、無意味に思える行動を繰り返させることは立派な拷問にあたる。
二十皿目。
耐えきれずにジーナに抱きしめてもらった。
彼女の匂いから院試の勉学に励んでいた頃を思い出し、僕はすぐに匙を手に取った。
食べるだけで合格できるなら楽なものだ。
二十五皿目。
僕は文字通りに匙を放り投げた。
全部食べ切った。耐えてみせた。二度とマッシュポテトは口にしたくない。
「おめでとう。ジャン・ド・ファニョン君。あなたを魔法学校の生徒として歓迎します」
見知らぬ男性から拍手が送られる。
気づいた時には机の周りに大人たちが群がっていた。
奥州人の中年男性。先住民の老婆。中東系と思しき優男。色っぽい女性。その他。全員がセガン先生と同じく衣服にガラス瓶を模した徽章を付けている。
僕は瞬時に理解する。彼らは魔法学校の教師陣なのだ。
セガン先生がこちらの頭を撫でてくる。
「ジャン君は同盟語を話せるかしら?」
「話せます。低地語も大丈夫です。家庭教師に叩き込まれました」
「バストン語は?」
「リスニングは苦手ですが、日常会話であれば」
「結構。筆記も出来る。アンハルト先生、予科は飛ばして大丈夫そうね」
セガン先生からアンハルトと呼ばれた中年男性が笑顔で親指を立ててくださる。
予科。先生方の会話から推測するに、入学前に魔法学校の教育言語(同盟語)の読み書きを学ばせる課程があるようだ。
院試の対策で古代語以外の外国語も学んでおいて良かった。ジーナのおかげだ。
「……マケルさん。半分お願いします」
「仕方ないのう」
当の彼女はマッシュポテトの空き皿を片付け、マケル老人と二人がかりで食器返却口に運んでいた。
枚数が枚数だけに両手では持ちきれないようだ。
自分も手伝おう。
僕は席を立とうとした。しかしアンハルト先生に呼び止められる。
「入学式は来月だ。それまで自由にするといい。従者が居るなら相応の広さの部屋を貸してあげよう」
「あ、ありがとうございます」
「おっと。自己紹介を忘れていたね。ボクはギデオン・アンハルト。予科担当の副教頭だ。生活指導も兼務しているよ」
中年の男性教師が満面の笑みを浮かべながら握手を求めてくる。
言葉遣いは柔らかいが、独特の圧を感じる。言外に気の強さが滲み出ている。手汗もすごい。
生活指導。前世の学校生活ではお世話にならずに済んだが、創作物の魔法学校には独特の規則が付き物だ。後で教えてもらおう。
「本当におめでとう」
セガン先生から改めて握手を求められ、僕は笑顔で応じる。
彼女は同胞である自分の合格を心から喜んでくれていた。ありがたいことだ。
「ジャン君。今年の学生寮は空室が多いの。きっと良い部屋が当たるわよ。ねえ、アンハルト先生?」
「セガン先生はそう言うけど。貴族の令息だからといって特別扱いは無しだからね!」
「ちょっと。この子は本土の革命騒ぎから逃げてきたのよ。少しくらい気を遣ってあげなさい」
「いいや。生徒の間で不公平はダメです。貴女はライム人に甘すぎる」
「アンハルト先生こそ地元出身の生徒に甘いじゃない!」
唐突に口論が始まってしまった。
他の先生方は気にも留めていない。多分、日常茶飯事なのだろう。日頃の人間関係が垣間見える。
程よく喧しい。距離感を選択できる。懐かしい雰囲気だ。中学時代の職員室を思い出す。
「広子曰く。偃鼠河に飲むも、満腹に過ぎず」
返却口から戻ってきたジーナが、おもむろに自分のお腹をまさぐり始めた。
衣服越しでもくすぐったいし、人前で恥ずかしいから止めてほしい。いきなり何のつもりなんだ。
「絶対におかしい。いくら育ち盛りの十五歳の胃袋でも百人前の芋が入るわけない。あのババア、ジャン様にいったい何を喰わせやがった」
「ワシには年頃の姉ちゃんに見えるぞ?」
「ジャン様。今度マケルさんに眼鏡を与えてください。あたしはババアを問い詰めます」
マケル老人の背中を叩き、烏髪の乙女がセガン先生に食ってかかる。
突然、同僚との口論を遮られた先生は驚いていたが、喧嘩腰のジーナに対して丁寧に仕組みを説明してくださった。
周りの先生方も補足するように説明を繰り出してくる。それら全てを瞬時に飲み込んでみせたジーナは、ようやく納得の姿勢を見せた。
「ええと。つまり魔法使いとは過食分を『魔力』に変換する体質の持ち主であり、いくら食べても胃袋が満たされることは無い。だから選別のために受験生に大量の芋を食べさせている、これで合ってますか」
「そういうこと。ジーナさんも入学試験を受けてみない?」
「あたしはガレット三枚が限界です」
ジーナはセガン先生の誘いを丁重にお断りする。周りの先生方が露骨にガッカリしているあたり、彼女は教えがいのある生徒のようだ。
願わくば、僕もそうありたい。
来月から始まる学校生活に向け、僕は密かに気合を入れ直した。




