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2-3 北緯四六度の待ち伏せ


     × × ×     


 おそらく二ヶ月後。帆船『ヒヤシンス号』は大西洋のどこかに居る。

 GPSの存在しない時代である。目印のない大海原では主に大空の星を手がかりに進むしかない。

 船乗りは専門の器具(六分儀ろくぶんぎと言うらしい)で緯度を測り、経度を時計と船速から大まかに求める。


「自分の腕では目安程度になります。特に経度は他にも方法がありますが、ビタッとは決まりませんねえ」

「そういうものですか」

「まあ究極的には緯度さえ測定できれば、そのうち目的地に辿りつけます。新大陸の場合は通過する危険性もありません。デカいですからね」


 ヤコブ航海士が手持ちの海図を見せてくれる。

 僕は船酔いに慣れたこともあり、時折彼の仕事ぶりを見せてもらっていた。

 色々勉強になった。船上では他にやることがなく暇つぶしの側面は否めないが、何事も学ぶに越したことはない。

 けんえきくともいう。


 彼らの操船に従い、木造の中型帆船は北緯四六度を西進していく。

 そんなある日のことだった。


「ジャン様。船長がお呼びです」

「うわっ」


 僕は午睡ひるねの途中で付き人のジーナに叩き起こされた。文字通りお尻を叩かれたからビックリした。現実の話だから身体は男のままだ。

 彼女に手を引かれ、僕は客室から船尾楼の船長室に向かう。


 船長室では初老の船長とヤコブ航海士が迎え入れてくれた。

 船長は虫歯だらけの笑顔を近づけてくる。口が臭い。


「よく来てくれた。未来の魔法使い。あるいは詐欺師の卵」

「船で詐欺を働いた覚えはありませんが」

「後ろを見てくれ」


 船長から筒状の器具を手渡される。古めかしい望遠鏡だ。

 見れば、船尾楼の窓ガラスが一枚だけ外されていた。

 僕は窓枠に望遠鏡を乗せ、船の後方を眺めてみる。

 遥か遠方に怪しげな船影が確認できた。我らが『ヒヤシンス号』の航跡を追うように近づいてきている。


「あれは何です?」

「船長は私掠船しりゃくせんだと結論づけております」


 ヤコブ航海士の言葉に、僕とジーナは顔を見合わせた。

 私掠船とは国家公認の海賊を意味する。

 恐ろしいことに奥州ヨーロッパでは一定の条件下で海賊行為が合法になるのだ。

 ライム王国でも戦時には民間船に私掠免許を交付し、敵対国の商船を襲わせていたらしい。


 ジーナの華奢きゃしゃな指先が卓上の世界地図を叩く。奥州大陸の北西に浮かぶ島国に、彼女の爪が刺さった。


「いわゆる『女王陛下の私掠船』でしょうか、ヤコブ様」

「ええ。ジーナ女史の仰るとおりだと自分も思います。我ら低地商人は連合王国バストンの奴らに大層たいそう恨まれておりますからね。うひひひ」

「ぬはははは」


 航海士と船長は一通り笑ってから、バツが悪そうに後方の敵船をにらみつけた。

 少しずつ彼我の距離が縮まりつつある。身軽な私掠船のほうが船足が速いようだ。


 自分ジャンとしては今すぐにも逃げ出したい気分だが。大海原に逃げ場など存在しない。

 海の王者・バストン連合王国。陸の王者であったライム王国とは伝統的に宿敵関係にある。

 一応あそこにもファニョン伯爵家の親戚が居るはずだから、連行されても大丈夫──とは言いきれない。


 相手は本物の海賊だ。捕まれば何をされることやら。別に多少の財産は奪われても諦めがつくが、大切な付き人を戦利品扱いされてたまるものか。

 もし仮に彼女がなぐさみ者にされたら、僕はもう生きていく自信がない。


「ヤコブさん。船長さん。僕たちに何か出来ることはありませんか」

「あるよ。坊ちゃんが本物だと証明していただきたい」

「そのためにお前を呼んだ。魔法使いの卵」


 船長がこちらに小冊子を差し出してくる。表紙が付いていない。パンフレットに似た本だ。

 題名は『風魔法の覚え書き』。

 僕は思わず船長の黄ばんだ目を見つめてしまう。


「何ですか。これは」

「以前、魔法学校の卒業生に書かせたものだ。船賃が出せないなら風魔法の使い方を教えろと拳銃で脅してやった」

「ウチの船長は荒っぽいですからねえ。しかし今回はそれが役に立つ。坊ちゃんなら出来るんでしょう?」


 期待と焦り。

 船乗りたちの目線が圧力となり、自分ジャンの心臓を締めつけてくる。

 しかしながら。今はやってみるしかなさそうだ。


 僕たちは甲板に出る。

 小冊子の内容は九割方が注意事項であり、魔法の使い方自体は簡単に理解できた。


 頭上では三本マストに掛けられた帆が不規則に膨らんでいる。全開とは言いがたい。

 ここに追い風を吹かせる。


「まずは女の子になります」

「ジャン様?」「坊ちゃん?」「何がしてえんだお前」

「ジーナもヤコブさんも船長さんも見ててください。僕はちゃんと魔法使いだというところを」


 彼らに目配せしつつ、僕は脳内の意識を整えていく。

 海上に出てから女性化魔法が使えなくなった理由は未だ定かではない。

 前世と同様に、異世界このせかいでも女性の乗船を避ける風習は存在するようだが、船の女神が嫉妬を覚える相手なら僕よりジーナが相応しい。

 まして「風使い」には女性の魔法使いもいるようだ(船長が拳銃を突きつけた相手に女性代名詞の低地語「haar」を用いていた)。


 であれば。不調の原因はヤコブ航海士が話していたとおり「長期の食滞によるスタミナ不足」が原因だと考えられる。

 僕は上着のポケットから日干しレンガ(※パン)を取り出し、かじりついた。固い。美味しくない。

 だが、もう慣れた。


 僕は背中に生えた七本目の架空の腕で、自分の尻を五回ほど引っ叩く。突飛な妄想が現実の形を変える。


「おお。坊ちゃんが、嬢ちゃんに」

「女になりやがった」


 航海士と船長が拍手を送ってくれる。

 安心してもらえたようで何より。僕としても詐欺師呼ばわりされるのは気分がよろしくなかった。


 波音に混じり、ジーナの叫び声が聞こえてくる。


「ジャン様。まずは目の前にいる相手を羽交い絞めにしてください。そして相手の右腕を小麦粉に変えます」

「わかってるよ」

「小麦粉が粗挽きであれば強風になります。細挽きなら弱風です。その粉が足元に落ちていく様を想像してください。魔法の効果範囲は粉の広がりと比例するそうです!」

「ありがとうジーナ」


 早くも小冊子の内容を記憶しているあたり、彼女は天才だった。

 おかげで羽交い絞めの相手が彼女になってしまったが、脳内の話だから許してもらいたい。


 風向きはつえを向けた先になる。

 手元に杖が無ければ、左手の人差し指を向ける。指先に意識を強めるべし──。


「!」


 僕の背中側から一陣の風が吹き抜けた。

 すごい。本当に追い風が来た。小麦粉の妄想を続けるかぎり、次から次に空気が流れ込んでくる。

 これが『風魔法』の力なのか。


「ジャン様!」

「ジーナ、上手くいったよ!」


 僕は再び目をつぶる。

 脳内で足元に散らばる粉を広げていく。粉は粗挽きにする。強風すぎると船のマストが揺れてしまう。微風で十分だ。

 目を開き、目を閉じる。現実と妄想を行き来し、微調整を繰り返す。

 船全体を追い風に巻き込む。


「坊ちゃん、風向きをもう少し右舷側に向けてくだせえ! バストンの海賊どもに坂道を登らせてやりましょう!」

「こんな感じですか?」

「よし! いいぞ! みんなで帆を張ろう!」

「おおっ」


 ヤコブ航海士の号令が飛ぶ。水夫たちが甲板からロープを引き、各マストの帆幅を広げていく。

 操舵手が舳先へさきを少しだけズラし、三本マスト全てに追い風が当たるようにしてくれる。


 順風満帆とはまさにこの様子を指すのだろう。

 追い風を受けた『ヒヤシンス号』は船速を上げ、後方の私掠船が徐々に遠ざかっていく。


 三分も経たないうちに僕の風魔法は使用不能になったが、すでに敵船の姿は見えなくなっていた。

 帆船を包んでいた追い風が消え去り、打って変わって前方から向かい風が流れてくる。

 船乗りたちは敵船の追跡を振りきるために『ヒヤシンス号』を大海原の逆風の中に突っ込ませていたようだ。操舵手が慌てて舵を切り直す。水夫たちも方向転換に忙しそうにしている。


 ともあれ。

 当面の役目を終えた僕の元に、付き人のジーナが近づいてきた。


「お疲れ様でした」

「うん。身体は疲れてないけどね。お腹が空いてきたかも」

「日干しレンガと不味いビールならご用意できますが、いかがです?」

「今夜はマクルさんに魚を釣ってもらおう」


 僕たちは笑顔を浮かべ合い、しばし抱き合った。未婚の男女には不適切な振る舞いだが、今は女子同士だから全く問題ない。

 彼女の肩越しに初老の船長と目が合う。船長は右手にスパークリング・ワインの瓶を携えていた。

 今宵は良いものをご馳走になれそうだ。


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