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北斗七星のかくしごと  作者: 片山絢森


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第13話 北斗七星をさがして


 同じ名前だ。


 はやる心を抑えながらページをめくる。心臓がどきどきして落ち着かない。

 もどかしい思いをどうにかしたくて、内容に集中しようとする。

 最初は無理かと思ったけれど、「面白い」という感想の通り、内容はなかなか興味深いものだった。


 物語はひとりの青年の日常から始まる。

 勉強も趣味も平凡な、ごく普通の二十歳。

 そんな彼が唯一心残りだったのは、小学校の時、好きだった女の子に告白できなかった事だった。

 相手は本を読む事が好きな、内気な女の子だ。

 彼女は転校し、二人は離れ離れになってしまう。


 そんなある日、彼はとある出来事をきっかけに、過去に戻る力を手に入れる。

 そこでふたたび出会った少女に、彼は今度こそ思いを告げる。

 訪れる幸せな日々。彼女との時間。存在しなかったはずの幸福な未来。

 けれど、ささやかな未来の変化が、やがて大きなうねりに変わっていく――。


 物語はこんな話だった。

 それを読み進めながら、綾乃は声を上げそうになる気持ちを必死に押し殺していた。

 だって、これは。


(まるで)


 上条くんと綾乃を見ているようだった。


 状況は違う。転校するのも自分じゃなくて、上条くんの方だ。綾乃は上条くんから告白された事などなかったし、綾乃だってした事はない。

 けれど、これは、上条くんと綾乃の物語だった。


「……だから、教えてくれたの?」


 それとも、本当に好きだったからだろうか。

 本の発行日は、今から五年前。上条くんが事故に遭ったのと同じ年だ。

 十二年前のあの日、存在すらしていなかった本。


 物語はその後、思いもよらない展開を迎える。

 少女に告白した事で、少年の運命が変わっていくのだ。

 日付が変わり、過去が変わり、体験したはずの出来事が存在しないものになっていく。それと同時に現在が書き換わり、新たな未来が生まれていく。その結果、予期せぬ出来事が起こり、少女を不幸に陥れてしまう。


 最後に少年が選んだのは、少女との大切な思い出をすべて捨て、過去を元に戻す事だった。


 結末まで読み終えると、綾乃は本の表紙を撫でた。

 良い本だった。好きな本だ。お気に入りがまた一冊増えた。

 本を膝に乗せたまま、鞄の中から携帯を取り出す。この中に、陽人さんから送ってもらった画像が入っている。

 先ほど見た一枚を選び出し、綾乃は無言でそれをながめた。


 見れば見るほどあの日のままだ。まるで、時間が戻ってきたような。

 あの日の北斗さんも、ここにいる北斗さんも、どちらも今は存在しない。その事が、今でも信じられないような気持ちだった。


「……なんで?」

 囁くように綾乃は聞いた。

「なんで、私の前に現れてくれたの?」


「どうやって」は分からない。

 聞いても意味はないし、興味もない。一生知らなくたって構わない。

 けれど、「なぜ」かは知りたかった。


 あの日、彼はこう言っていた。

『なんでも願いを叶える本』。

 悪い魔法使いが現れて、大切なものと引き換えに、なんでも願いを叶えてくれる。


 あの日は物語だと思ったけれど、今となっては違うのかもしれない。

 彼は何と引き換えに、何を叶えてもらったのだろう。

 どんな代償を払って、奇跡を起こそうとしたのだろう。


 悪い魔法使い、と彼は言った。その先にハッピーエンドは待っていない。それでも彼は望みを叶えた。

 でもその代わりがあんなささやかな時間だなんて、どう考えても割に合わない。

 本の中で、主人公が言っていた。



 ――奇跡が起こるのは一度だけ。

 二度目の奇跡を起こすには、一度目をなかったことにしなければいけない。



 上条くんの「一度だけの奇跡」は、あの日に使ってしまったのだろうか。

 それとも、別に変えたかった事はあって、それが叶わなかったのか。


 好きな女の子と一緒に帰るのが夢だった、と北斗さんは言った。その夢はちゃんと叶ったと。

 でも、奇跡を起こすほどの価値はない。


 だったら、綾乃が読んでいた本が知りたかった?

 それも少し違う気がする。

 北斗さんは喜んでいたけれど、そこまでするほどの事じゃない。それに、気のせいかもしれないけれど、あの時、彼はタイトルを知った事よりも、もっと別の事で安堵していたようにも見えた。


 ――過去を変えたせいで、不幸になる人がいる。


 ふとその言葉が脳裏に浮かんだ。

 本の中では過去を変えた事により、少女が犠牲になってしまった。

 過去を変えてはいけない。それはタイムスリップもののお約束だ。たとえ過去を変えられても、必ずどこかにゆがみが生じる。


 もしかして、上条くんは前にも過去を変えた事があったのだろうか。

 その時に、何か重大な出来事が起こったとか?

 もう一度過去を変えなければならないくらい、そうしなければいけないと決意するくらい、彼にとって取り返しのつかない事が起こっていたとしたら。

 一度目の奇跡を犠牲にしても、変えたい未来があったとしたら。


 それは、もしかして。


 そこまで考えて、綾乃は首を振った。

 これはただの想像だ。何の根拠も証拠もない。

 けれど、理由の分からない感情が胸に込み上げてきて、どうしても我慢できなかった。


 最後のページを開くと、先ほど読み終えたばかりの文章が飛び込んできた。

 五年前、上条くんも同じ本を読んだ。

 同じページの、同じ行を読み、同じように読み終えた。

 でも、もう感想を聞く事はできない。

 どこが好きで、何を思ったのか。読み終えてどう感じたか。それを知る事は二度とない。


 本を閉じると、表紙に水が落ちた。

 ポツ、ポツと、厚手の紙を濡らしていく。それが自分の涙であると、途中まで気づかなかった。

 あの日、靴箱の前で、初めてちゃんと話した時。



 ――あれ、村本もその本読んでるの?



 上条くんはそう声をかけてくれた。綾乃の持っている本に気づいて、自分も好きだと言ってくれた。

 綾乃は答えられなかった。

 最初で最後の、上条くんとの会話だったのに。



 ――なあ、おすすめの本、教えてくれない?



 くしゃっと笑う、人なつっこい顔。

 あの時は何も言えなかった。

 でも、今は。

 息を飲み込み、綾乃はそろそろと口を開いた。


「……私の好きな本は、『遥かなる国の物語』っていうの」

 北斗さんではなく、上条くんに向けて、小さな声を紡いでいく。


「すごく面白いから、読んでみて。他にも面白い本がいっぱいあるの」


 小学校の時の自分が、小学校の時の上条くんに向けて、あの日言えなかった言葉を告げる。

 もちろん、誰からも返事はない。それでもずっと語り続ける。


「上条くんも、本が好きなの?」



 ――うん、結構。



「今度、上条くんのおすすめの本も教えてくれる?」



 ――もちろん。



 あの日勇気を出していたら、桜庭さんの横やりにも負けないでいたら、もしかしたら何かが変わっただろうか。


 少なくとも上条くんに綾乃の好きな本は伝わったし、それを上条くんが読む可能性もあったはずだ。決められないほど素敵な本がいっぱいあるなら、それを言えばよかった。

 もしかしたら上条くんが読書友達になったかもしれないし、綾乃の好きな本が増えたかもしれない。もしかしたら――本当にもしかしたら、桜庭さんだって同じ本を読むようになったかもしれない。

 全部、仮定の話だけれど。


 物語の中では、少年が過去に戻った。

 でも、現実では戻れない。


 上条くんは過去に戻ったのかもしれない。それでも、現実を変える事はしなかった。――できなかった、のかもしれないけれど。


 今になって、上条くんがいない事を理解できた。

 奇跡は起こった。けれど、それだけだ。

 過去は変わらなかったし、変える出来事も起こらなかった。たとえ変えたとしても、綾乃はそれを知らない。恐らく永久に、知る事はない。


 上条くんはもういない。

 その事を現実として受け止める。

 上条くんはどこにもいない。

 どんなに願っても、二度と会う事はできない。


 ふいに、途方もない後悔が全身を突き抜けた。


 あの日、北斗さんは何を思って綾乃の前に現れたのだろう。

 どんな事を考えて、何を感じ、どんな気持ちで綾乃と話をしたのだろう。

「さようなら」はお別れの言葉だ。

 また明日でも、今度ねでもない。明確な別れを示す言葉。


 本を抱きしめたまま、綾乃は声を殺して泣き続けた。

 開け放したカーテンの向こうに星が見える。

 澄み渡る空の下、北斗七星が静かな輝きを放っていた。














(アンハッピーエンドが嫌だという方だけ、続きへお進みください)

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