71. 優しくない国
静謐で重たい空気の中、椅子に腰掛けて祈りを捧げる人たちがいる。
薄暗い室内の中、蝋燭の灯りが揺れていた。控えめな装飾に太い柱と高い天井が、揺るがぬ力強い雰囲気を醸し出している。バルクの教会の方がゴテゴテとした彫り物や煌びやかな飾りがあって華やかだ。質素な建物の造りはむしろ好ましいと思うのだが、心が休まらないのは僕の信仰心が足りないのか…
教会という建築物は大抵の場合、神の奇跡を思わせるように天上から光が差し込む構図で造られている。この教会も例に漏れず。さすが国一番の教会だけあってぐるりと大きく切り取られた壁に見事なステンドクラスが嵌め込まれている。しかし、色合いがどうにも神聖なイメージとは程遠い。これが普通なのだろうか? この国では。
煌めく硝子を通して天井から白い光の帯が広がっているという予想に反して、目の前に垂れているのは深いビロードのカーテンだ。深い赤や紫を基調としたガラスを通して差し込む光は礼拝者の心を照らすには心許ない。あれだけ街の中で目立っているくせに、秘密の儀式でも開けそうな雰囲気じゃないか。
ステンドグラスに描かれている場面には心当たりがなかった。
バルクの教会にあるステンドグラスやら宗教画は何度も目にしていたから、大まかな構成は全て覚えている。でもこの一番目立つステンドグラスの絵柄は僕の知っているどれとも似ていない。
神か聖人か——神々しい装いの女性の足元にもう1人が跪き、盃を捧げている。黄金の髪に緑の瞳の女性。彼女は主を見上げるように描かれている。天使か何かだろうか? 全体的に暗い色合いの中で彼女の髪と瞳だけが明るく煌めいていた。経典にこんな場面があるのだろうか?
内心で首を傾げながら様子を伺っていると礼拝者の中に1人で来ている子どもを見つける。その子どもを見つけた時、『ああ、僕はこのために今日ここへ来たのかもれない』と思った。昔の僕のようにその子どもは教会へ施しをもらいに来たのかもしれないと考えたからだ。気になる、どんな施しが行われているのか。この国に倣えば僕が育った地区の暮らしも良くなるかもしれない。
その子どもは礼拝をしてから教会の裏手に回ると、通用口を潜って奥へと消えていった。一般的に教会の裏手には神官の居住区や孤児院があるものだ。なんとなく後を追いかけて来てしまったけれど、安易に入るのは良くない気がする。
そのまま出てくるのを待った。彼は予想通り手に包みを抱えて出てきた。
「こんにちは。僕はアレクセイ、最近この街に来たんだ。名前は?」
「なに?」
彼は少し警戒するように、包みを抱える腕に力を入れる。取る気はないと両手を挙げた。顔色が暗いのはどうしたんだろうか? さっきまでは元気そうだったのに。
「僕も小さい頃は国の教会のお世話になってたんだ。この国の制度はすごいと聞いたからどんなものなのか気になったんだ。気を悪くしたならごめん。」
「別に、すごくなんか——なんでもない。」
途中で言葉を切って腕の中に視線を落とすと、大事そうに包みを抱えなおした。
「施しをもらったんだよ。見ればわかるだろ?」
もう行っていい? と言った彼の目には『余計なことは言わないぞ』という決意が込められていた。賢い子だ。口は災いの元というものね。つまり彼にとって、この先で行われているのは口にしない方がいいことなのだ。
途端に、通用口の先が得体のしれないものに思えてきた。足を踏み出すのと、背を向けて引き返すのと、どちらが賢い選択かなんてわかりきっている。でも——
通用口を潜った先には予想通り、聖職者たちが暮らしているらしい建物があった。物陰に隠れて待っていると、また別の子どもがやってくる。その後ろ姿を見失わないように追いかけて、建物の中に入って行くのを見届ける。様子が見えそうな窓を探して、そっと覗き込んだ。
はじめ、何を見ているのかわからなかった。
部屋の中には、赤い糸がふわりと舞っている。自由にゆったりと。何本もの糸が部屋の中を舞い踊る光景に釘付けになった。それはやがて吸い込まれるように机の上に置かれた瓶の中に収まってゆく。スルスルと糸を手繰り寄せるように。瓶に収まった後は、そこが自分の定位置だと認めたように糸の姿を緩めて溜まっていく。
暗い赤色をした糸。もしかしてこの濃い色が神聖な色とされているのだろうか?
この不思議な光景はなんなのか? スルスルと収まって行く糸の反対側を追いかけて始まりにたどり着いた時、さっと血の気が引いた。赤い糸の先には子供の腕があった。その子は耐えるように俯いている。隣の椅子に座る子も。
子供の腕から糸が勝手に出てくる、なんてことはあり得ない。
——あれは、血だ・・・
いつの間にか開いていた口から意味を成さない音が溢れた。慌てて口を塞いだけれど、もう遅い。先に頭を下げていれば誤魔化せたのかもしれないけれど、今更後悔したところで仕方ない。椅子に座って顔を青くしている子供と目が合ってしまった。
次の瞬間には全力で走りだした。一刻も早くこの場を離れるために。アレは確かに口にしない方がいいことだ。さっきの少年はやはり賢い子だ。
祭司の男に気づかれていないことを祈りたい。バレただろうか?・・・せめて、顔を見られないようにと後ろを確認したい気持ちをぐっと堪える。
弾けそうに胸が痛い——心臓と、心がひどく痛む。ただ前へと走ることだけに集中して足を動かした。大通りで人混みに紛れ、何食わぬ風を装いながら呼吸を整える。店を眺めるふりをして後を着けられていないか確認して、それを何度か繰り返す。もう流石に大丈夫そうだと思えてはじめて、まともに考える余裕ができた。
あの部屋で祭司は子供の腕から血液を抜き取って瓶に詰めていた。魔法で血を糸のようにしていたのだろう。終わった後には治癒の魔法をかけてあげるのかもしれない。けど、魔法をあんな風に使うなんて・・・この国の闇を見せられたような気分になった。
ヴィアが操作するプルプルと震える無害な水が愛おしい。リーデちゃんがかけてくれた光魔法の暖かさが、ユディが咲かせる小さな花が、好きだ。
どうして現実はこんなにも優しくないのかな・・・
この国はおかしい——時々感じていた違和感。整い過ぎた規律、余所余所しい人たち、活気に欠ける街。文化の違いなんだろうと、そう言い聞かせていた。子どもが稼がなくても暮らしていける街。バルクといろいろ違うかもしれないけれど、それは良いことに違いないと押し込めていた。形のない違和感たちが突然、像を結び始めた。あの血入りの瓶を見たせいで。
血を欲する者、それも国と教会を巻き込んでまで集める者——
国と教会どちらか片方ならば、権力者が主導してどうにかできるのかもしれない。けれど両方を抑えることができる人物がいるのだろうか?
人にはかなり難しい所業でも魔族ならば——と、思考はそこに行き着く。魔族が皆、血を必要とするのか知らないけれど、少なくとも血を欲する種族がいることを僕は知っている。
こんな集め方をしている理由は全くわからないけれど。魔族が関わっているのではないかという物騒な考えが、今の状況を説明するのに1番自然なように思える。
それじゃあヴィアは・・・一体どんなふうに巻き込まれているんだ?
明らかに特別扱いされていた。魔族の息がかかっているかもしれない国で、貴族や皇族にさえも丁重に扱われて・・・ヴィアも血を搾取されているんだろうか? けれどヴィアにはあの子たちとは一線を画す何かがあるんだろう。何が彼女をそんなに特別にしているのか?
いてもたってもいられなくなった僕はまた、らしくない行動に走る。無謀なことをしていると頭の片隅で理性が訴えていたけれど、僕は自分で考えているより馬鹿なのかもしれない。
見上げた時に感じたよりも、実際に登ってみた屋敷の塀は高かった。
貴族の屋敷だけあって塀ですら立派だ。足を引っ掛けれるようなイイ感じの凹凸はない。お屋敷の周りをぐるりと周って一番目立ちそうにない場所から泥棒みたいにロープを使ってよじ登る。煙突掃除をしていた姉さんならもう少し身軽に登れたのかもしれないけれど、僕はズリズリと危なっかしくよじ登ることしかできない。ほんとにらしくない。
ほんとは、こんなことっ、したく、なかった、よっ!
でも、ヴィアに会うためにこの国まで来たんだから。辛い思いをしているかもしれないのに、あんなとんでもない光景を見た後でじっとしてはいられない。失敗した時のことを考えてもう1通手紙を書いておいた。本当に魔族が関わっていて、ヴィアを閉じ込めているのなら、助けられるのはエヴァしかいない。
幸いなことに今はできることがないと嘆く余裕はなかった。壁が本当に登りにくいから。
必死にロープにしがみついて塀の上まで辿り着き、息を吐く。ハーブや花々の先に大きな屋敷が見えた。この窓のどこかがヴィアの部屋だ。ああ、本当に変質者になっているなと、ため息をつきたくなった。
「へっ——?」
哀愁に浸っていたのがいけなかったのか。
ズルりと体制を崩してそのまま、塀の向こう側に落下した。痛い、痛すぎるけど、振り出しに戻らなかっただけマシだ。服についた土を払って、痛む体を無理やり伸ばす。こんなことをしている場合じゃないんだから。なんとかしてヴィアに会わないと。それが無理ならせめて手紙だけでも——
「誰?」
「——!」
周りに人はいないと思っていたのたけど!??




