67. とある国の端で
『Dクラスには姫がいるらしい——』
入学して幾らもしないうちに噂が流れた。冗談半分の可愛らしい噂。貴族の様に気品のある綺麗な女の子が、とある女の子の世話を甲斐甲斐しく焼いている——と。
『あの子、実はどこかの姫君なんじゃないか?』
とだいぶ話題になり、後に田舎生まれの平民だと広まると
『平民だろうとあれはもうお姫様でしょ!』
ということで落ち着いた。だからヴィアには「平民のお姫様」というあだ名があったりする。
(まさかほんとに貴族の姫君だとは、誰も思っていなかっただろうな……)
噂を作り出した原因のエヴァは、綺麗な見目に品のある立ち居振る舞い、控えめな性格で入学当初から多くの男子生徒の視線を集めていた。
そんな彼女の関心を独り占めしているヴィアを見る目には多分に羨望が含まれていた。
羨望とは別にヴィアも可愛らしいと密かに人気があるのだけれど……過保護な友人たちがそれとなく虫除けしている上に、ヴィアの友人たちが美形揃いな所為で本人は未だに自分に人気があることに気づいていないみたいだ。
(あの中だとヴィアはダントツで鈍感だからね)
たまたま課外授業で同じ班にならなかったら、僕と彼女たちは単なるクラスメートのままだったと思うんだ。きっかけは吊り橋効果みたいなものだったのかもしれない——危険な状況を一緒に乗り越えたことで距離が近づいたのだと思う。
でも、その後もみんなで集まるのが楽しくて。性格もバラバラな僕たちは思った以上に気が合った。最初の課外授業のメンバーなんてその場限りの関係で終わることが多いのに、僕らの仲はむしろ深くなっていった。そうしてヴィアに対する印象も変わっていった。
ヴィアは可愛らしい子だった——
姫だなんて言われる通り、エヴァはヴィアに対してものすごく過保護だったし、本人も甘えんぼさんなところがあった。ニコニコと笑い、時にしょんぼりしてはエヴァに慰めてもらって……素直な表情がとても可愛らしい子だった。
だけど彼女は守られているだけではなかった。ふとした時にエヴァの手を引くのはヴィアの方だった。何かと受け身なエヴァの世界をいつの間にか広げてしまうのがヴィアの役目で。愛らしい言葉を紡いだその口で、随分と達観したことを言ってのけた。2人で生きていけるようにといつも前を向いていた——
ヴィアのそんなところを尊敬している。僕が住んでいた街の孤児たちは生きるためにスレてしまう子が多かった。辛い目にあったらなら、理不尽な目にあったなら、斜めに構えてしまいたくなるでしょう?
けれど彼女は苦労なんてなかったかのように純真に笑う。幼い頃に両親を亡くした彼女の人生は、かなりハードモードだったはずなのに。真っ直ぐに前を向いている。それが難しいことだって、僕は知っている。
ヴィアのことを知れば知るほど、ニコニコした顔も、げんなりした顔も、全部好ましく思えた。過保護になる気持ちが理解できるようになった。たぶん、他のみんなもそうだったんだと思う。お姫様みたいな子じゃなくて、お姫様みたいに甘やかしたくなる子、なのかもしれない。
そんな彼女がいなくなってから、みんなで集まっても少し暗い雰囲気になった。特にエヴァは酷かった。ぼんやりしていて何処かに行ってしまいそう。
『追いかけて行かないの?』と、聞いても『私が行ってもヴィアの迷惑になるだけよ。約束通りここで待っている……』と言って寂しそうな顔をする。
ヴィアを連れて行った貴族のおじさんに何か言われたらしい。一体何を言われたのか……
無理に攫われたのなら、すぐにでも連れ戻しに向かっただろう。けれどヴィアは自分の意思で旅立ったのだし、向かった先は彼女の親族の元だ。あちらの国の方が彼女にとってはいいのかもしれない……ならば連れ戻すというのも違うのではないか?今の状況は嬉しくないけれど、だからと言ってどうすることもできない——みんなどこかモヤモヤとした思いを抱えていた。
そんな中、僕はひたすら勉強をした。それが僕にできることだったから。
この学園を受験したときよりも必死に勉強をして論文を書き上げた。ヴィアの行った国へ自分も行くために。姉さんに相談して、シモン義兄さんのことも巻き込んで、学院の教授に頼み込んで……頼れるものには全て頼った。こんなになりふり構わず行動している自分に、自分でも驚いていた。しっかり説明もしないまま行ってしまったヴィアに、会いたかった。
急に無茶苦茶なことを言い出したのに、姉さんとシモン義兄さんは喜んで協力してくれた。姉さんは『アレシュが我が儘なんて、珍しい。ヴィアちゃんを攫って帰っておいで。』と無茶苦茶なことを言って励ましてくれた。学者でもあるシモン兄さんの口添えもあって僕は留学の道筋をつけることができた。シモン兄さんとは、行くからには学問もしっかりやることを約束した。
『エヴァちゃんのことは私がみてるから。アレシュ君は勉強に専念してヴィアに会って来て!』
時間が経てば経つほどエヴァからはどんどん元気がなくなっているようで。
ユディは僕に宣言した通り、彼女の側に付いて遠くへ行ってしまいそうな様子の彼女をこちら側へ繋ぎ止めていた。リーデちゃんやグスタフ君もエヴァを気にかけてお茶だの街だのに連れ出していたけれど……それでもやっぱり、ヴィアの代わりにはなれないから……
寂しそうなエヴァを見るたびに、早くヴィアに会いに行こうと思った。リーデちゃんやグスタフ君は気軽に留学ができない立場だし、今のエヴァを1人にするのは心配だ。だから実際、僕が行くのがベストだったんだと思う。留学の準備を進めて——どうにかバルト王国を出発する頃にはもう、ヴィアがいなくなって半年が経っていた。
***
「……はいよ」
「ありがとうございます。」
ドンっとテーブルに置かれた料理の匂いに空腹が襲ってくる。肉と野菜を煮込んだシチューのようなものに、黒いパン。定番料理なのかこの料理の湯気があちこちに立ち籠めている。この国で食べる初めての食事だ。
まだ国の端っこに入ったばかり。これから皇都に行って留学の手続きをして、それからヴィアを探さないといけない。ヴィアはどこにいるのか……
1度届いた手紙には王都の学院に通っていて元気にしていると書いてあった。それが本当なら留学先で再開できるはずだけれど、手紙がどこまで信用できるかわからない。元気なら、なんで1度しか手紙を出さないのか?長期休みに帰って来るとか、会いに来てとか、ヴィアならそう言うに違いないのに。
この国で何か不自由な思いをしているなら。そのせいで手紙を出せないのなら。ヴィアに近づこうとすることで僕も誰かに邪魔だと思われるかもしれない。
『何があるかわからないからこそ、体調だけはいつも万全にしとけ!』
グスタフ君の言葉を思い出して、シチューもどき(仮)のゴロリとしたスジ肉をパクリと口の中に放り込んだ。値段相応に噛みごたえのある肉をしっかりと噛みちぎって胃袋に収める。口の中には甘みと酸味が混じった不思議な味が広がった。慣れたらクセになりそうな味だった。
「おい坊主、お前他所から来たのか?」
「はい、バルトから。王都の学園に留学に来ました。」
「はー、そりゃ珍しいことがあったもんだ。」
お酒の入ったおじさんというのはどの国にもいるらしい。
「そんなに珍しいんですか?」
「さあ?だが、俺は初めて聞いたよ。まぁ学園に縁なんてないからわからんがな。それじゃ、あんたどっかの貴族の坊ちゃんか?」
ジロジロと全身を眺められて何となく身体を離すと、そう警戒すんなよ…と言われる。
「僕は平民ですよ。」
「はー。平民で留学とは大したもんだ。しかしこの国に留学とは……」
「この国がどうかしたんですか?」
「いんや……まぁ、頑張りな。」
おじさんは少し歯切れが悪くそう言うと話を変える。
「それはそうと、ホームシックになるのは早いんじゃないか?ここにいるってことはまだバルト出たばっかだろ?」
彼はトントンと頬を叩いてみせた。その仕草に釣られて自分の頬に手をやると、そこはいつの間にか濡れていて……今すぐ逃げ出したいくらい恥かしくなった。
カーッと赤くなった僕を見ておじさんはゲラゲラ笑うと、気晴らしにお前も飲むか?と、ショットグラスに入った透明な液体を差し出してくる。絶対に飲まない方がいいやつだと思った僕は丁重にお断りした。
『母ちゃんのご飯が恋しくなる時ってあるよなぁー』とか言い出したおじさんの話を聞きながら、急いで食事を食べて宿へ戻った。
「なんで涙なんか……」
ホームシックとかそうゆうのじゃない。母さんのご飯の味、覚えてないもの。姉さんのご飯が恋しくなって、というのも違う気がした。
初めての味に「異国に来たんだな」と、また思ったんだ。ここが違う国だと感じる度に「ヴィアの時はどうだったんだろう?」と、可愛らしい友人の顔が思い浮かんだ。
異国の文化に触れた時、ヴィアは1人で心細くなかっただろうか?エヴァがいたなら『美味しいよ。食べてみて!』と楽しそうに勧める姿が想像できるけれど、1人の彼女があの料理をどんな風に食べるのか想像できない。
あれをどこかで1人食べたヴィアのことを思うと僕は……
涙を拭った所為で少し湿ったシャツの袖をピンと引っ張って吊るす。明日には何もなかったように乾いているだろう。
初めての異国での夜は、寂しさや不安よりも戸惑いが大きかった。眠気が来るのを待つのは諦めて、明日に備えて少しでも休もうと目を閉じた。




