51. 証
眠るヴィアを腕に抱えて学院の寮に向かう。
迷うことなくオリヴィアとエヴァの部屋まで辿り着くと、扉を開ける。
中には2つの机にベッド。キャビネットの上には透明なガラス瓶が置かれていて、ラザに教えて貰った紅茶屋さんで買った茶葉や、アレシュが調合してくれたハーブティーが入っている。
他には籠の中に日持ちがするお菓子がいくつか。オリヴィアとエヴァが王都へ遊びに出た時に購入したものやラザに貰った飴など。
頑張った日のご褒美に、ちょっとずつ食べているものだ。
初めて目にするのに、妙に馴染む室内のベットに眠る彼女を横たえて、そっと髪を撫でる。
——彼女の寝顔が懐かしい。
少し身体が大きくなった。愛らしさは相変わらずだけれど、幼さが少し抜けて以前よりも顔付きはしっかりしている。
人の子とはこんなにも早く成長してしまうものか——少し目を離しただけのつもりだったのに。
人族の一生など、エーファからすれば瞬きの間に過ぎてゆくもの。けれどどうしてか、このたった2年がとてもとても長く感じられる。
私のかわいいお姫様は目の前を矢のように駆け抜けてゆく。どんなに追いかけても、手を伸ばしても隣を歩いてはくれない。目の前でスヤスヤと眠る彼女が遠くにいるような錯覚を覚える。
今、この瞬間のまま
——何処かに閉じ込めてしまいたい——
なんて考えが浮かんで、愚かだなぁと思う。
髪を撫でていた手を滑らせる。柔らかな頬へ——白磁の首筋を通って肩へ——そのまま降りて華奢な手の甲へ。そこに浮かび上がった契約の紋章を確かめるように指でなぞる。何度も何度もなぞっていると、擽ったいのかオリヴィアの手がピクリと動き、眉間が寄る。
ごめん、と頭を撫でると眉間の力が抜けて穏やかな表情に戻る。移り変わる表情を見ているだけで心が満たされる。
——こんなにも眺めていて飽きないのはどうしてか?
2人部屋には窓が1つ付いていて、窓辺にはジャガード織りのカーテンが備え付けられている。クリーム色のそれはロダの家に掛かっていたものよりも上質な生地で織られており、シンプルながらも品がある。
平民用とはいえ富裕な家の子を預かる為か、それとも元々別の目的で作られた建物を使うことになったのか、寮の内装は全体的にシンプルながらも小綺麗に整っている。初めて部屋に案内された時、エヴァはヴィアと一緒に「素敵な部屋だね!」と驚いた。
風に揺れるカーテンの動きが僅かに乱れる。
部屋には今まで無かった気配が2つ増えていた。誰が来たのかは見なくてもわかる。
(……気まずい。)
そのまま帰ってはくれまいかと、暫く気づかないフリをする。
帰っては…くれないか。わかってはいたけれど……彼らと向き合うの気が重い。
起きる気配のないヴィアを眺めながら気づかれないように小さく溜息をつき、漸く視線を彼らに向ける。
「ヴィオルカ…それにハヴェルも。」
「我が君。」
「おはよう? 僕のご主人様。」
じっと動かず、私の気が向くまで良い子で待っていた2人。床に膝をついて頭を垂れている。
「主の前に跪く臣下」の図——昔も今も別に主人になったつもりはないのだが。
「何とお呼びすれば?」
『エヴァンジェリン』というのはオリヴィアが私に与えた名。だから他にもあるにはある。遠い昔に名乗っていた名が。でも……
「私は、エーファ。だからもう——」
(——私のことは忘れなさい。)
「またそんなこと!」
「ハヴェル、姫君が起きてしまいます。」
「あっ……」
ハヴェルの綺麗な顔が歪む。ヴィオルカに遮られて眠るヴィアに視線を向けると、バツが悪そうに口をつむぐ。
かつて彼は眠りに就く私を引き止めようとしていた。置いて行かないでと懇願された。けれど知らないフリをした。彼の思いを受け止めてやらなかった。それなのに彼はまだ私を放っておこうとしないのか…
「エーファ様。——どのように、致しましょう?」
柔らかな声音とは裏腹に、陽光を受けたヴィオルカの美しい金の瞳は、何もかも飲み込んでしまうかのようにギラリと煌めいている。
ぽっと出の魔王とやらに目の前を彷徨かれて良い気はしていないのだろう。
(こんなに時が過ぎたのに——)
2人とも、随分と物好きだ。向けられる視線の温度が変わっていないことが少しむず痒くて……けれど悲しい。
自由に生きていてくれればと思っていた——私のことなど忘れて。
この永い時を2人はどんな気持ちで過ごして来たのか。自分達を置いて眠る私を見て歯痒い思いをしていた? 目覚めるとも知れず、目覚めたところで振り向くとも知れぬのに。
(それはとても……)
ああでも、こんな風に人の気持ちを気にかけるなんてらしくない。ヴィアに影響されたのか? 彼女に感化されて少し人間らしくなったのかも知れない。けれど彼らの気持ちに目を向けたとして、彼らの望みには応えられない。
ヴィアに心を捉われてしまったから。
彼女が成長するのを見守っていたい。変に目立ちたくはないし面倒事にも関わりたくない。誰が魔族になろうが興味もない。自分の大切な世界を壊されないのであればそれでいい、それだけでいいのだ。
だから気になるのか?——彼らに負い目を感じているのか……
「貴方は、いろんな事を気にし過ぎです。」
「えっ……」
心を探り当てたかのような言葉に目を丸くする。私が動揺する一方で「貴方のそんな顔が見れるとは思いませんでした」とヴィオルカは嬉しそうに笑う。
私は今、どんな顔をしていた?
「思うままになさればいいのです。エーファ様は、どのようになさりたいですか?」
ヴィオルカは、再び柔らかく問う。優しげな笑みを浮かべたまま。
この子は昔からそうだった。——優しい子。それでいて理由があればどうしようもなく残酷にもなれてしまう。人間らしくて魔族らしい子。
誰だか知らない者が魔王をするより、彼女の方がこちらとしてはよっぽど安心だ——本人は嫌がるだろうけれど。
ヴィアルカが私を気遣って思うままにと言ってくれたのだから、その通り応えてやらねば。
「……ねぇ、ヴィオルカ。ヴィアとも親しくしているのよね?」
「はい、親しくしてくださいます。」
「そう、これからも仲良くしてくれると嬉しい。…それで、私はヴィアに隣国の先からが魔族領だと教えてもらったのだけど。」
確認するようにこちら見つめるヴィオルカを見据えて問う。
「……バルト王国の隣にはもう1つ人間の国があるのよね?」
「ええ——その通りです。」
心得たようにニコリと微笑むヴィオルカ。一方のハヴェルは顔を歪める。
「——っ! それだけ、ですか?」
「この子はね、争いを好まないの……」
だからそれで充分なのだと、オリヴィアの頭を撫でながら呟く——そう、きっとこれでいいの。彼女は血を望まないから。
ハヴェルの顔は不服そうなまま。あまり眉間にシワを寄せると癖になるよ、と本人に言うと拗ねそうだから黙っておく。
「ハヴェル、行きましょう?」
「………」
「ハヴェル?」
「……わかった。それじゃあまたね、エーファ様。」
ヴィオルカが宥めると、これ以上言っても無駄だと心得ていたのかハヴェルも諦める。
ふわりとカーテンが揺れると、2人の姿は初めから居なかったかのように消えていた。
***
「っん。」
——柔らかくて、いい匂いがする。
ふわふわした気持ち良いい気分。もう少しこのままでいたい。ぐりぐりと頭を柔らかくて気持ち良いものに擦り付ける。するとポンポンと頭を撫でられて——ん?
パチリと目を開けた先は白いシーツ……じゃなくて黒い布地。——制服の、シャツ?
頭を離して上を向くと、こちらを見下ろす恐ろしく整った顔が緩む。
「おはよう——私のお姫様。」
「エ、エ…エーファ?」
端正な顔が至近距離からこちらを見つめていてドキリとする。ツルツルの白い肌に、長い睫毛、宝石みたいに綺麗な紫の瞳。いつ見ても天使様みたいに綺麗な面立ちだ。
なあに?と頭を撫でながら聞いてくる彼女。
「な、なんで?」
「何が? もしかして覚えてない?」
(近い!そして眩しい!)
これが魔性の魅力なのか?
思わず手を伸ばして触れたくなるような、でも安易に触れたらいけないような……ほんとイケナイ扉を開きそうなくらいに麗しい——いや開かないけどね!
どうやら横になった彼女腕の中で眠っていたみたい。それも思いっきり彼女の胸に頭を摺り寄せて——あぁ…私が男じゃなくて良かった…
ジャケットを脱いで黒いシャツ姿になった彼女。制服姿のエーファを見るのは初めてだけど、黒い布地が全体的に白い彼女の容姿を引き立てているようで、とても似合っている。それはそうと…
「エーファが喋ってる!!」
「え……」
キョトンとするエーファ。前よりも表情が豊かになった彼女。
「今更?…前も喋ってたよ?」
「前はカタコトだったし。さっきは色々あったし。あれ…それでどうしたんだっけ——」
左手の手の甲を見る。そこには彼女と契約した証である紋章があった。契約、したんだよね。
(あれ? エーファに浮かんでた紋様は?)
契約した時は身体中に紋が輝いていたはずだ。綺麗な顔にもお構い無しに紋様が走っていたはずだけれど、目の前の彼女には見当たらない。ペタペタと顔に触れる。触ってみても違和感はない。——良かった。
でもそれじゃあ、あれは何だったんだろう? 手足にもパッと見た感じ紋様は無さそうだけれど…他は? シャツのボタンに手を掛ける。
1つ2つと外していき——
「ヴィア? どうしたの?」
不思議そうにこちらを見るエーファ。——どうって私はエーファの紋章を確認しようとして——
今の自分の状況を見直してみる。ベットに座る彼女を跨ぐように膝立ちになって、迫るように前のめりで彼女のシャツのボタンを外していた。
はだけた襟の間からは白い胸元が覗いている……えっ!?強姦魔じゃん!
「わぁっ!…ご、ごめん、違うの!」
「…? よくわからないけど肌を見たいの?」
慌てて彼女の上から飛び退く。けれど首を傾げた彼女は恥ずかしげもなく残りのボタンに手を掛ける。
「ち、違うから!そうじゃないの。」
「そんなに慌てなくても。何か気になるのなら好きに見てもいいよ?」
「そうじゃないの…違うもん。」
「そう?」
「そう!」
ちらりと覗いた真っ白な素肌から目を離して俯く。真っ赤になった顔を両手で隠したままブンブンと首を横に振ると、そうなのねとエーファが頭をくしゃくしゃ撫でる。
少し落ち着いてから「いきなり脱がそうとしてごめんね」と謝ると気にしてないと微笑んでくれる。
「それで、何を探してたの?」
「エーファと契約した時にたくさん紋様が浮かんでたのに今は無いから、どうなったのかと思って…」
「ああ…そうゆう事か。見えないようにしているだけで、無くなったわけじゃないわ。」
目がチカチカするでしょ? と言う彼女にコクリと頷く。あの紋は目立つから見えない方がいい。……私も、そう思う。ちらりと自分の手の甲に目を落とす。契約の証である紋章——
「ヴィア、見て? ここはそのままだよ。お揃いね。」
「え……」
そうやってエーファが差し出した左手の甲には、ヴィアのものと同じ紋章が浮かんでいた。
そっとその紋章をなぞる。ゆっくり、確かめるように。
「うん、お揃い。」
ヴィアの口角は知らぬ間に持ち上がる——




