50. 契約
『違わないよ。』
その言葉を聞いて安堵する。一緒にいたいという願いが、独り善がりな気持ちじゃなくて良かった。ほっとする私の頭をエーファが撫でる。
「ヴィア、私と契約してくれる?」
「契約?」
(エーファにみたいに力の強い魔族と契約できるわけない)
そう思っていたのが伝わったのか、彼女が付け足す。
「私も手伝うから。」
(でもなんで?)
「後ろを向いてごらん。」
言われるまま振り向いた先、こちらを見つめる人達の顔は引きつっていた。
——みんな恐れていた。
目の前の魔族が自分たちに牙を剝くかもしないから。圧倒的な強者を前に、彼女を讃えるよりも恐れる気持ちが優っている。引け腰ながら剣を構えている人までいる。
エヴァの力を恐れる気持ちはわかる。オリヴィアだって怖いと思ってしまった。けれど彼女はみんなを、王都を守ったのに。それなのに刃を向けるなんて——
「私がヴィアのモノになれば、この国の人たちも少しは安心できる。優しい貴方は私を使って人を傷つけようとはしないから。」
やるせない気持ちになっているオリヴィアと違って、当の本人に怒っているようなそぶりはない。そうゆうものだと受け止めているみたい。それはともかく
(ヴィアのモノ、だなんて。契約獣と人間の関係はそんなのじゃないもん——)
納得いかないという顔をしたオリヴィアを宥めるように彼女は頭を撫でる。
「ヴィアは、契約した途端に私を扱き使うつもり?」
「そんなことしないよ!」
「ふふっ。じゃあ問題ない。」
「〜〜〜!」
そうして丸め込まれてしまう。こうゆう時、いつもエヴァには敵わなかった。あの優しい彼女は今どこにいるの? 全然雰囲気の違う2人だけれど、こんな風に似ているところもある。やっぱり2人は同じなの——?
不満げなオリヴィアを宥めるように彼女が言うには、要はエーファに手綱が付いているように見えればいいということらしい。別に扱き使われても構わないと言うエーファに、言い返す言葉も出てこなくて仕方なく頷く。ほんと、敵わないのだ——
「いい子ね。」
エーファはこちらに手を伸ばす。警戒を解かずに恐々と見守る人々の前で、オリヴィアも手を伸ばす。契約の魔術使えないよ?と心配する私に、大丈夫だと彼女は微笑む。
「契約したいと思いながら魔力を流して。そしたらあとは上手くやるから。」
と言われた通りに、彼女の掌に向けて魔力を流し込むようなイメージを作る。
足元に大きな魔法陣が現れて、2人の周りに魔術文字の連なりが円環のように幾重も浮かび上がった。初めて見る光景にびっくりする。なんか綺麗!それに凄く魔術師っぽい!と、月並みな感想を思い浮かべながらポカンと魅入る。
「ヴィア、私と契約してくれますか?」
ポカーンとしたままの私を、エーファの心地よい声が引き戻す。
「はい。——私、オリヴィア・ベルカは、エヴァンジェリン・ベルカと契約します——」
少しだけ緊張しながらもはっきりと返事をする。本当はもっと魔術っぽい契約の文言があるはずなんだけど……
大丈夫かな?と、不安になってきた私を安心させるように、エーファは微笑み、目の前で跪いて私の手を取る。
上目遣いでこちらを見つめるエーファが眩しい。
こんな麗しい人に跪かれたら、性別に関係なくコロリと恋に落ちてしまいそう。だって今、心なしかドキドキしてしまっている。
動揺するオリヴィアとは対照的に、エーファはオリヴィアの様子を見て満足げに笑うと、目を瞑って手の甲に顔を寄せる。
睫毛長いなー。雪が降ったら睫毛でキャッチ出来そう!とゆうか、彼女自身が雪みたいに全体的に白い。何食べて暮らしたらこうなるんだろう? あ、でもあんまり食べてなかったよね……
騎士様の誓いみたいな状況にドキドキした頭は、平常運転を放棄して明後日の方向に働き初めている。
チュッと、彼女が手の甲に口付けると、手の甲が熱く熱を帯びる。その部分に輝く紋様が浮かび上がり、ごっそりと何かが抜き取られたような脱力感がやってくる。
「ぐっ——」
苦悶の声を漏らした私をエーファが励ますようにさする。今まで2人の周囲に構築されていた円環はエーファを拘束するかのようにぐっと収縮し、彼女の身体に刻み込むように魔術文字が吸い込まれてゆく。
身体中にタトゥーのような魔術文字が輝くエーファの姿は妙に艶めかしく見えて、目のやり場に困る。契約ってこんなふうだったっけ?お互い契約の紋様ができるのは知っているけれど……
——あ、れ?
ぐらりと身体が傾いて、エーファに抱き止められる。
「よく頑張ったわね。少し休んで。」
耳元で優しく囁かれる声を聴きながら、もう意識を保っていられなくなった——
少し前まで魔族と交戦していた面々は、目の前で起こる膨大な魔力の流れをただ唖然と眺めていた。どう考えても普通の契約ではない!と、契約を一度でも見たことのある者達は思った。
普通の契約ではお互いに身体のどこかに小さな紋様が浮かび上がるだけだ。円環を描いていた魔術文字は契約条件を付け加える為のもの。それは高度な魔術で、オリヴィアに使えるとは思えない。
「……とても、大切に思っておられるのね。」
ポツリとルクシアが呟いた声に、止まっていた時間が動き出したかのように皆が顔を向ける。どうやら目の前の
恐ろしい魔族は、人間の少女にとって有利になるような条件を付け加えたようだ。それも大量に。
あの取り巻いていた円環の分だけの条件付きなんて、一体どういう契約だったのか——契約主の少女にもわかりはしないのだろう。安心して良いのか、警戒すべきなのか悩ましい状態に、皆中途半端に肩の力を抜いた。
契約に使われたのはほとんどエーファの魔力で、オリヴィアの魔力は導線のような役割をする分だけ。それでも魔力枯渇を起こしたオリヴィアは意識を失ってしまった。今の契約がそれ程に異常だったということだ。
エーファは宝物を守るようにオリヴィアを抱きかかえると、学院の建物へ向かって移動し始める。
「ま、待て! お、お前…その子をどうするつもりだ?」
みんな何も言えずに見守る中、1人の生徒が声を上げる。エーファの姿に恐れをなして剣を向けていた生徒の1人だ。ビクビクと震えながらも、剣の切っ先を2人向けている。
——あの馬鹿、まずいわ。
リゲルの本能が警告を鳴らす。彼女を刺激するのはまずい。今のところ彼女は人間を攻撃する意思を見せていないし、それを証明するようにオリヴィアと契約を結んだ。
それなのにこの状況で2人に剣を向けるなんて。オリヴィアを含めた2人に。……それは絶対にやってはならない行動だ。咄嗟に彼を庇おうと足を進めるが——
——!!!
ピタリと足を止めたエーファがこちらを振り返った瞬間、リゲルは磔にされたかのように動けなくなる。すっと目を細めた彼女から放たれた、苛立つ気配に呑まれてしまう。それはリゲルではなく、件の生徒に向けられたものだというのに…
「ヴィアは疲れてるの。……さっさと剣を収めなさい。」
死にたくなければね。
実際にはそんなことは口に出していない。けれど、有りもしない副音声が聞こえてくるくらいの威圧感がある。これ以上、煩わせてはいけない。
正面から彼女の苛立ちを受け止めた生徒はガタガタと震えながら剣を取り落とし、額から冷や汗を流して崩れるように地面にヘタり込んだ。
「あ、あの…ヴィアが元気になったら…貴方のこと、それからエヴァのことも、聞かせてもらえますか?」
皆がきんちょうした面持ちで口を閉ざす中、リーディエは尋ねた。少し声は震えてしまった。周りにいる者たちは、この状況で話しかけるなんて信じられない!という表情をしている。リーディエだって目の前の彼女を刺激したいわけじゃなかった。でも、どうしても知りたいのだ。——自分の大切な友人に何が起こったのか。大丈夫なのか。
どんな反応が返ってくるかと、辺りには緊張が走る。ゾエの精霊様も強張った表情でリーディエを庇うように隠した。
「ええ、わかった。……貴方も、休みなさい。」
「あ、はい——」
心配を余所に彼女はあっさり了承すると、今度こそ背を向けて歩き去っていった。
嵐のような一連の出来事が終わって、ホッと場の緊張が解れる。今まで麻痺して居たかのように疲労感が襲って来て、みんな満身創痍の様相で地面に座り込んだ。
誰も口を開かないまま暫く時が流れ、地下へと向かっていたユディ達の一行や、他の場所で交戦していた先生たちが集まって来た。——その中に、やはりエヴァの姿はなかった。エヴァがいなくなった代わりに彼女が現れたのだそうだ。
オリヴィアは『エヴァンジェリンと契約する』と言った。でも彼女のことを「エヴァ」ではなくて「エーファ」と呼んでいた。結局彼女が誰なのか、エヴァがどこに行ったのかはわからないままだ。
けれど、1つだけわかったことがある。
『…貴方も休みなさい。』
彼女はそう言ったのだ。エヴァが普段リーディエに向けるほど穏やかな表情ではなかったけれど、それでも彼女は確かにリーディエのことを気遣ってくれていた——




