52. 変わらないもの
手の甲のお揃いの紋章。それが、ずっと大切な家族だってゆう約束みたいに思えて。嬉しくなってちらりと顔を上げる——けれど完璧な美貌が目に飛び込んでやっぱり緊張して顔を逸らす。
「ヴィア、何でこっち見てくれないの?」
顔を両手で挟まれて正面に向き直らされる。高貴な紫色の宝石が目の前で光る。触れそうなほど間近に迫った美貌に今度は瞬きも忘れて魅入る。
「怖い?」
「ち、違う!そうじゃなくて。」
目尻を下げた彼女に慌ててぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
(ん? というかこれはわかっててわざと聞いてるんじゃない?)
「緊張、しているのよね。」
(あ、やっぱりわかってたんだ。)
半眼になった私を宥めるようにエーファは頭を撫でてくる。
「そんなに緊張することないのに。」
「だって……」
(だって緊張するんだもん。綺麗すぎるのが悪い!)
なんかこう、キラキラしたのが出てるんだ! お姫様とかが出してそうなオーラ的なもの。生徒に囲まれてる時のリーデちゃんのカリスマな空気を、もっと強くした感じのやつが出ている!
昔の私はどうしてたんだっけ? あの時は色々限界だったからあまり気にならなかったのかもしれない。と、そんなことよりも…
「ねえ、あの、エヴァは——」
——コンコン。
「ヴィアちゃん? 起きてる? 入ってもいい?」
「あ。うん!」
ユディの声。そうだ! 倒れたんだった。きっと心配かけてる。
「リーデちゃんは良いとして、僕とグスタフ君もいるんだけど一緒に入って大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ?」
そう言って、エーファの膝から降りて部屋のドアを開けに行く。女子寮なのにアレシュ君達も来てることには驚いた。扉を開けると、ユディが飛びついて来る。
「ヴィアちゃん!よかったぁ〜!!!」
部屋に入るとぎゅうっと抱きついて来るユディ。
「体調は大丈夫なの?」
「思ったより元気そうだな。」
「うん、もう何ともないよ。」
「よかった。お腹空いてるかと思っていろいろ持ってきたよ。」
「ありがとう、みんな心配かけてごめんね。」
アレシュ君とグスタフ君が持つバスケットからパンの匂いがする。思い出したように空腹を感じる。
「ところで、ずっと気になっていたんだけど、そこにいるのはエヴァちゃんではないの?」
「あ、今ちょうど聞こうとしてたところで…」
「「「「え…。」」」」」
「……。」
ううっ。まぁ普通真っ先に聞いてると思うよね。でも、だって聞くタイミングを悉く逃してしまったんだもん。
「ヴィアは食べていて。私が話す。」
そうは言っても気になって食事どころでは——
「ゔ!…」
エーファにパンを突っ込まれる。——あ、美味しい。
まだ暖かくて香ばしいパンの間には厚切りのベーコンとチーズが挟んである。モグモグしている隣でエーファはスコーンを割ってジャムを手に取る。リゴーのジャムの甘い香りに目を向けると「それ食べてからね。」と言われる。
「ヴィアの分なんだ…」という声が聞こえそうな生暖かい視線が飛んでくる。何となくみんなから目線を逸らしてエーファにこくりと頷き、モグモグと続きを食べる。
今ヴィアの前に座る銀髪に紫の瞳をした彼女は、見た目も雰囲気もエヴァとは全然違う。けれどヴィアの世話を焼く様子は、みんなの目にエヴァとそっくりに写ったようで——ホッと空気が和らぐ。
「貴方達が共に過ごしたエヴァと私は、同じと言えば同じだし、違うと言えば違う——」
「ごめんなさい、よくわからないのですが…。貴方にとって僕たちは初対面なのですか?」
アレシュの問いにエーファが首を傾げて、みんなの困惑はさらに深まる。どう答えるべきかと悩んだエーファはやがて思い出すように話し始める。
——私は森の奥深くで眠っていた。
ある日起こされて、相手は小さな迷子の人の子で。このまま死なれると後味が悪いから、森を抜けるまではと思った。
側で見ているとその子はとても危なっかしくて、純粋で——それから心配になるくらいに良い子だった——魔族の長い刻に疲れて、いつからか止まっていた感情が動かされるくらいに。
いつの間にか幼い彼女の存在は大きくなっていて。でも、自分は彼女と相容れぬ存在だという事も思い知られているようだった。食べるものも、体の作りも、価値観も違う——
ならいっそ魔族らしさを全部捨てたらどうか?
どうせもう起きるつもりもなかったのだ、今更失うものもない。生きる目的も無い。ならこの目の前にいる子に委ねてみようかと…
魔力を封じ、身体能力を抑えて、魔族らしい価値観の染み付いた記憶も封じ籠めて……そうして出来た人間のニセモノ。別にヴィアがどんな選択をしても恨むつもりはなかった。ただ側にいる相手を選べるならと。
結果としてヴィアはニセモノの人間を連れていくことに決めて、そこには人格が芽生えた。ヴィアと過ごす中で形作られたのが、人間らしいもう1人の『エヴァンジェリン』——
そこでヴィアに視線を向けるエーファ。ゆっくりと伸ばされた手が行き場を失っているように思えて、こちらから手を伸ばして捕まえる。
「エヴァのお母さんはあなた。」
「……お母、さん? エヴァの方がずっとお母さんらしくて、それからお姉ちゃんで、友達で……大切な家族だったよ——エヴァは、もういなくなっちゃったの?」
眉根を下げたヴィアの頭をエーファが撫でる。
「そんな顔しなくていい。また会える。でも今はまだダメ。もう少しこのままでいないとね。」
「もう少し? そうしたらエーファはどうなるの?」
「私の心配もしてくれるの?」
目をパチリと開いて少し意外そうな顔をしたエーファに当たり前だと言うと、彼女は嬉しそうにニコリと微笑む。
「大丈夫。当分はどっちもいなくならないと思うから。——というわけだから貴方達もよろしく。」
「あ、うん。」
「自己紹介とか、した方がいい?」
「大丈夫、私のことはエーファと。そうだな…『優しく無いエヴァ』とでも思うといい。」
エーファは今まで眠っていたみたいな感覚だったらしい。けれど封じが解けた時にエヴァが過ごした時間も共有したみたい。あんまりピンとこないけど、本人もうまくは説明できないらしい。
(とにかく、これからはエーファにもエヴァにも会えるってことだよね?)
嬉しい! すごく嬉しい! ずっと気になっていたエーファが無事で。エヴァもいなくなったわけじゃなくて。嬉しくてふにゃふにゃとにやけてしまう。
「はいはい、ふにゃけてるところ悪いけど、たぶんヴィアちゃん今の状況わかって無いよね?」
はて? 今の状況ってなんだろう? ちょっと呆れたような言い草をしたユディも、またエヴァに会えるとわかって嬉しそうだけど…
「そうね。今この部屋の周りは囲まれているんだけど知ってた?」
「え?」
「外はピリピリした空気だってのに、部屋に入った途端快適だからな。あんたなんかしてんだろ?」
「ヴィアには休息が必要だったから……邪魔されないようにしてるだけ。」
「え、え? どうゆうこと?」
「あのね、エーファさんが魔族と魔獣をガンガン倒しちゃったでしょ? 学院側はエーファさんと接触しようとしたんだけど、この部屋に近づけなくて。その……今は魔族より彼女の方が警戒すべき対象になっちゃってるんだと思う。」
実は僕たちも協力を頼まれたんだよね。と少し困ったように言うアレシュ君。というかそんなに警戒されちゃうものなの?
(エーファはみんなのこと助けてくれたのに…)
「あー、ヴィアは気絶したからな。あの後ビビりすぎて可笑しくなった奴がヴィア達に剣向けて突っかかってな。エーファさんが殺気出して黙らせたんだよ。だから敵に回したんじゃないかってみんなピリピリしてるんだ。」
そんなことが。そりゃあ魔族を瞬殺しちゃえるような人が敵に回ったらと思うとピリピリもするだろう。
「これからどうしよっか〜」
困った困ったと言う割には明るい声のユディ。
「そのうち王宮からも呼び出しがかかるでしょうね。ヴィアとエーファさんが穏便に話を落ち着けてくれると有難いのだけど……」
「王宮!? 無理だよ、そんな……ほんとに呼び出されたらリーデちゃんも一緒に来てくれる?」
「ええ、その方が落ち着くなら付いて行くわ。」
あっさりと了承してくれた頼もしい友人にエーファがストップをかける。
「それでいいの? 一緒にいれば魔族の仲間として貴方達も…」
「いいよ。僕はそれがいい。」
「ああ、俺もだ。」
「もちろん私達もだよ。友達だもん、ねぇリーデちゃん?」
「ええ、もちろん。」
当たり前のように答えるみんな。リーデちゃんの後ろでルクシア様も頷いてくれている。それに対して少し困ったような、喜んでいるような…変な顔になるエーファ。
「……ありがとう。——それじゃあヴィア、貴方はこれからどうしたい?」
「ん?これから? いつも通りがいいよ。」
早く復旧して、いつも通りの平和な学院に戻って欲しいのだけど。
「え、何か変だった?」
「ふふっ。ううん、変じゃない。このまま学院に通えるようにしようね。ほら、今のうちにデザートも食べておくといい。」
「何はともあれ、みんな無事で良かったよね。」
「ああそうだな。昨日はマジでやばいかと思った。」
「そうね、エーファさんのおかげね。」
「まだお礼言ってなかった!ありがとうエーファさん。」
「…どういたしまして。あと、さん付けはしなくていい。」
「うん、エーファ。これからよろしくね。」
リゴーのジャムがたっぷり乗ったスコーンを頬張る。少し酸味が効いた甘い味が口の中に広がる。
大変なことが起こったけれど、みんな無事で。エーファとも仲良くしてくれて。テーブルを囲んでなんでもない話をしていて。そんなこの時間がとても眩しく思えた。




