ep5 叱られるガレオン
東の砦から城へ戻った俺は、ガレオンを執務室に呼び出した。
「魔王様! お呼びと伺い……」
「ガレオン、座って」
「は、はい」
その一言に、ガレオンの肩が、ぴくっと小さく跳ねた。名前を呼ばれただけだというのに、心なしか、耳の先が赤い。
(……ん?)
だが、今はそれどころではない。俺は、気にせず話を続けることにした。
ガレオンは、いつもの威勢の良さはどこへやら、借りてきた猫のように大人しく椅子に座った。
「単刀直入に言う。お前が人間に対し、俺のありもしない武勇伝を吹聴していたこと――既に把握している。申し開きがあるなら聞こう」
「……っ」
ガレオンの肩が、びくりと跳ねた。
――《心拍数の急上昇を確認。動揺していると推測されます》
(言わなくても分かる目を合わさずおどおどしてるからな)
「な、なぜそれを……」
「全部見てたから。『大陸の半分を征服した』だの、『西の国を三つ支配下に置いた』だの――そのような事実、我が身に一つも覚えがない」
「そ、それは……その……」
「お前のその発言のせいで、人間側の敵意が煽られ、和平はむしろ遠のいている。データを見るまでもなく、明らかな悪手だ」
「……分かって、おりました」
ガレオンは、俯いたまま、消え入りそうな声で答えた。
「分かっていて、やっていたと」
「……魔王様の凄さを、皆に知ってほしかったんです! 魔王様は本当はもっと凄い方なのに、誰も分かってないから、だから僕が……!」
「気持ちは分からんでもない。だが、結果として村人を危険に晒したのなら、それは看過できぬ」
「……っ、うぅ……」
ガレオンの目に、みるみる涙が溜まっていく。
「そんな……そんな言い方しなくても……! 僕はただ、魔王様のために……!」
「泣けば済むと思ってるのか」
「思ってません! でも、悔しいものは悔しいんです!」
ガレオンは、両手で顔を覆いながら、駄々をこねるように首を振った。
「僕だって、頑張ってるんです! 剣も強くなった! 部下もちゃんと守ってる! なのに、交渉とか、駆け引きとか、そういうのは昔から苦手で……気づいたら、口が勝手に、魔王様の自慢を……!」
「気持ちは分かるが、それとこれとは話が別だ」
「……前の魔王様は、こんな細かいこと、いちいち仰いませんでした」
「……っ」
その一言に、俺は思わず身を強張らせた。
(今、なんか、まずいこと言われたか?)
――《リリアと同種の違和感を、ガレオンも抱いている可能性があります》
(ぎくり、なんてもんじゃないな、これ)
だが、ガレオンは、こちらの動揺には気づかず、鼻をすすりながら続けた。
「……でも」
「……でも?」
「以前は、名前すら呼んでもらえませんでした。いつも『貴様』か、『そこの者』とか、それくらいで」
「……そうなのか」
「はい。だから、こうして『ガレオン』と、ちゃんと名前で呼んで、叱ってくださること自体、実は……その」
ガレオンは、涙で濡れた目のまま、なぜか照れたように頬を染めた。
「余計に、好きになってしまうというか……」
「……は?」
「今の魔王様の方が、好きかもしれません」
「話の流れ、どこで変わったんだ」
――《恋愛感情は、叱責という状況下でも増幅されうるようです》
(お前、分析してる場合か。俺は今、地雷を踏みかけたんだぞ)
――《結果的には、踏み抜かずに済んだようです》
(結果論ね)
俺は、内心の冷や汗を隠しながら、話を戻すことにした。
「ガレオン」
「……なんですか」
「怒っているのは、お前が悪いことをしたからじゃない。お前のやり方が、結果としてリスクを増大させているからだ」
「…………」
「お前が強いのは知っている。だが、強さのみで押し通せる場面は、この先、確実に減っていく」
「そして争いは争いしか生まず結局苦しい思いをするのは村の人なんだよガレオン…。」
ガレオンはハッと気づいたような顔をし、鼻をすすりながら、上目遣いにこちらを見た。
「……じゃあ、僕は、どうすればいいんですか」
「一緒に考える」
「……え?」
「防衛部隊のあり方を、一から見直す。お前一人に押し付けるつもりはない」
ガレオンは、目を丸くした後、また涙ぐんだ。だが、今度は先ほどとは違う質の涙のようだった。
「……はい」
「まず聞きたい。人間側は、何を求めてる?」
「そんなの、こっちを滅ぼすこと以外に……」
「本当にそうか? 人間達がわざわざ危険を冒してまで、ここまで来る理由は?」
ガレオンは、考え込むように黙った。
――《データを整理します。人間側の主な動機として想定されるのは、防衛(自国の安全確保)、名声(討伐実績)、報酬(懸賞金)、そして――正義感、の四点です》
(正義感か。厄介なやつだな)
――《興味深いご指摘です。正義感は、必ずしもそれが正義だとは限りません。交渉が最も困難な動機の一つと言えません。》
(おっしゃる通りだな)
――《光栄です。参考になれば幸いです》
(なんか認めたくないな。)
「もう少し具体的な話はないか。国境沿いの人間の村とか、そういうところで、何か不満の種になってそうなことは」
「……そういえば」
ガレオンが、何かを思い出したように言った。
「国境近くの『猛獣の森』、あそこは魔王領の一部ですが、人間側にとっては、隣国へ抜ける最短ルートになってるらしいんです」
「通れないのか?」
「魔王領なので通すわけにもいかなくそして魔獣が多く、危険なので、基本的には人は通しません。人間側は、通れないと、迂回路で三日ほど余計にかかるとか」
「三日は、地味に痛いな」
「あと、あの森の奥地の洞窟には、魔石や鉱石の鉱脈があるらしくて。人間側も、それを狙っているという噂を聞いたことがあります」
「だが、そこは魔王領管轄の村だから、勝手には手を出せない、と」
「はい。だから、話し合いで融通してもらうより……いっそ、魔王を倒して、力ずくで奪ってしまった方が早い、と考えている節があります」
「……魔王を倒せば、世界が豊かになる、とでも思ってるのか」
「はい。少なくとも、末端の兵士たちには、そう信じ込ませているようです」
俺は、少し考え込んだ。
(森の通行権と、鉱石の採掘権、か)
単純な話だった。向こうが欲しがっているものが分かれば、それを条件に交渉できる。全部を無償で譲る必要はない。通行税を取るなり、採掘量に制限をかけるなり、やりようはいくらでもある。
(これは……交渉材料になりそうだな)
――《同意します。具体的な利害が見えている交渉は、正義感頼みの対立よりも、はるかに解決しやすい傾向があります》
(お前、ちゃんとAIみたいな事言えるんだね。)
「つまり」
俺は、話をまとめるように言った。
「人間側の全員が、俺たちを本気で滅ぼしたいわけじゃない。中には、単に『安全な暮らしを守りたいだけ』の奴らもいるのかもしれない」
「……確かに、そうかもしれません」
「一方、こっちが求めてるのも、結局は同じだ。村の平和、子供たちの日常。滅ぼし合う理由なんて、本当はどこにもない」
「では、どうすれば……」
「まずは、無用な挑発をやめる。お前の武勇伝披露も含めてな」
「……はい、それは、本当に反省しています」
「その上で、境界付近での小競り合いは、可能な限り『撃退』じゃなく『撤退させる』方向に切り替える。殺し合いにしない」
「殺さずに追い返す、ということですか」
「ああ。それと」
俺は、少し考えてから続けた。
「境界に、正式な『交渉の窓口』を作る。攻めてくる相手全員が、話の通じない奴とは限らない。窓口さえあれば、話し合いで済む場面も出てくるはずだ」
――《提案です。窓口設置にあたり、中立的な立場の担当者が望ましいと考えます》
「誰か案は?」
――《リリアが適任かと思われます。冷静な判断力を有しています》
(確かに)
「よし、リリアにも相談する」
「あ、あの、魔王様」
ガレオンが、おずおずと手を挙げた。
「僕も、その窓口の警護なら、お役に立てるかと……武力行使はせず、あくまで守る役目として、なら」
「……いいな、それ」
「ほ、本当ですか!」
ガレオンの顔が、ぱあっと明るくなった。先ほどまでの涙は、すっかり乾いていた。
(現金なやつだな)
――《感情の切り替えが早いのは、長所とも言えます》
(フォローがうまい。)
――《それが時には短所となりえる…。》
(褒めたんだから黙っときなさい!)
俺は、話をさらに詰めることにした。
「もう一つ、聞きたい。今の防衛部隊は、新兵にどんな教育をしてる?」
「基本的には、剣の型と、体力作りが中心です。あとは……その、根性論、というか」
「根性論、具体的には?」
「『気合が全て』『諦めたら終わり』『泣き言を言うな』
『魔王様が好き』……その辺りです」
「……一つ関係ないのが入ってたな。お前が今まで喚いてたやつと、同じじゃないか」
「うっ……確かに」
ガレオンは、気まずそうに視線を逸らした。
「新兵教育の内容も、見直すぞ。気合の前に、まず状況判断だ。逃げるべき時に逃げる判断力も、立派な実力のうちだ」
「逃げても、いいんですか?」
「無駄死にされる方が、よっぽど困る。生きて帰ってくる方が、百倍価値がある」
「基本は争いは無しだ。」
「守りたい人や物や支援する部隊」
「仮に自衛部隊としよう」
ガレオンは、しばらく黙り込んだ後、深く頷いた。
「……分かりました。今日中に、教育方針の見直し案を作ります」
「頼む。それと」
「はい」
「境界の交渉窓口については、来週にでも試験的に始める。リリアと一緒に、進め方を詰めてくれ」
「畏まりました!」
ガレオンは、すっかり元気を取り戻した様子で、勢いよく敬礼した。その切り替えの早さに、俺は思わず苦笑した。
「ただし」
俺は、念を押すように言った。
「これからは、俺のことを話す時は、事実だけにしろ。誇張は一切なしだ」
「……分かりました。誓います」
ガレオンは、真剣な顔で頷いた後、少しだけ照れたように付け加えた。
「その……誇張しなくても、魔王様は十分、凄い方ですから」
「そこは誇張とは言わないのか」
「事実です」
「お前もそこはAIと同じ返し方するのな」
「え?」
「なんでもない」
俺は、話を締めくくるつもりで、改めて呼びかけた。
「ガレオン」
「は、はい!」
その瞬間、ガレオンの肩が、ぴくっと小さく跳ねた。
(……ん?)
「境界の件、頼んだぞ、ガレオン」
「は、はいっ……!」
また、ぴくっと反応する。心なしか、頬も赤らんでいる。
(この子、どうした?)
――《ガレオンの生体反応に、有意な変化が見られます》
(そりゃ見りゃ分かる)
俺は、少し面白くなって、もう一度呼びかけてみることにした。
「ガレオン」
「な、なんでしょうか!」
「いや、なんでもない」
「……え、なんでもないんですか」
「ガレオン」
「は、はい!」
三度目も、律儀に、ぴくっと跳ねて返事をする。なんだか、その反応が、妙に可愛らしく見えてしまった。
(……俺、もしかして、意外とSなのかもしれないな)
――《新しい発見ですね》
(茶化すな)
「あの、魔王様。さっきから、僕の名前ばかり呼びますが……」
「いや、名前を呼ばれるの、嬉しそうだなと思ってな」
「……っ、そ、それは、その……嬉しいです、正直」
ガレオンは、両手で頬を押さえながら、もじもじと答えた。
「なら」
俺は、少し思いついて言った。
「お前も、俺のことは『ザーク』でいい。」
「……え?」
「俺も、そう呼んでもらえると、嬉しい」
その一言を、口にした瞬間だった。
「……っ」
ガレオンの頭の中では、まるで山びこのように、同じ言葉が反響していた。
(嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい……ッ)
ガレオンの表情が、みるみるうちに、蕩けたようにほどけていく。
「ザーク、様が……僕に、名前を、呼んでほしいって……」
「うぅ……」
ガレオンの中で、何かが――音を立てて、砕けた。
(バリンッ)
尊死。
推しが尊すぎて、心臓が止まりそうになる、あの感覚だった。
「……これは、その……もしかして」
「なんだ」
「プロポーズ、というやつでは……!」
「は?」
「やった……僕も、ついに……!」
ガレオンは、両手を組み合わせて、うっとりと宙を見つめ始めた。頭の中では、既に、俺との新婚生活が、盛大に繰り広げられているらしい。
「おい、話が飛躍しすぎてないか」
「朝は僕が先に起きて、ザーク様のために……いえ、ザークのために、朝食を……!」
「聞いてないな、これ」
――《補足します。ガレオンは現在、完全に脳内トリップしているようです。幸せそうですね》
(他人事すぎるだろ)
(妄想なんて私は止められません。)
結局、その日、ガレオンが現実に戻ってくるまで、しばらく時間がかかった。
ガレオンは、首を傾げながらも、最終的には元気よく一礼して、執務室を出ていった。その背中を見送りながら、俺は改めて思う。
防衛部隊の問題は、財務部や内政部の問題とは、少し毛色が違っていた。決裁フローや台帳のように、仕組みを直せば済む話ではない。人の感情、それも、不器用な想いが絡んでいる分、扱いが厄介だった。
だが同時に、その厄介さの奥にあるものが分かってしまえば、道筋は意外と単純だった。
こうして、東方防衛部の改革は、涙と説教から始まり、思いのほか前向きな着地を見せた。
ガレオンが下がった後、俺は一人、執務室で、さっきのやり取りを思い返していた。
――《ガレオンの発言について、補足します》
(なんだ)
――《『魔王様の凄さを皆に知ってほしかった』という動機は、単なる忠誠心以上のものである可能性が高いと分析します》
(うん知ってる。リリアが言ってたし。)
――《恋愛感情に起因する行動、というのが最も自然な解釈です》
「……ああ、そうか」
言われてみれば、腑に落ちることばかりだった。交渉が苦手なくせに、誰彼構わず俺の話をしたがるのも。叱られて、あんなに悔しそうに泣いたのも。全部、好きだからこそ、必死だっただけだ。
(それを、あんな叱り方して……)
悪いことをした自覚はある。だが同時に、なんとも言えず、胸の奥がくすぐったくなった。誰かにここまで不器用に想われるというのは、前世でも今世でも、慣れない感覚だった。
(まあ……根は真っ直ぐな奴だしな)
ガレオンの、あの必死な様子を思い出すと、これ以上責める気にはなれなかった。
(今回のところは、許すか)
――《寛容な判断です》
(お前が言うと、なんか嫌味に聞こえるな)
――《光栄です》
(褒めてない)
その後、俺はリリアを呼び、境界の交渉窓口の件を伝えた。
「私が、交渉窓口の担当ですか」
「ああ。冷静な判断力がいる役目だ。お前が適任だと思う」
「……畏まりました」
リリアは、深く頭を下げた後、ふと顔を上げた。
「ザーク様。一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「この大役、ザーク様から直々に任されたということは……その、それだけ、私を頼りにしてくださっている、ということですよね」
「まあ、そういうことになるな」
「……嬉しいです」
リリアは、頬をほんのり染めながら、噛みしめるように呟いた。
――《補足します。リリアの解釈は、概ね正確です》
(今回はちゃんと合ってるんだな)
――《稀にあることです》
(稀って言うな)
こうして、魔王城改革プロジェクトは――防衛部隊という、最も戦いに近い部署にまで、静かに、しかし確実に、その手を伸ばし始めた。
だが、この時の俺たちは、まだ知らなかった。
この「窓口」構想を試す間もなく、もっと大きな嵐が、すぐそこまで迫っていることを。




