ep4 久々すぎる休日
翌朝。
「ザーク様、少しよろしいでしょうか」
リリアが、ドルシアとメルティナを引き連れて、部屋にやってきた。三人とも、どこか気まずそうな顔をしている。
「どうした、三人揃って」
「その……」
リリアが言いにくそうに切り出した。
「明日、私たち三人とも、念願のお休みを頂けることになったのですが」
「ああ、そうだったな」
「……何をすればいいのか、分からないのです」
「は?」
「私、十五年以上休んだことがなかったものですから。急に一日空くと言われても、何をすればいいのか、見当もつかなくて」
ドルシアも小さく頷いた。
「私も同様です。決算資料を読む以外に、時間の潰し方が分からず」
「私も、恐らく庭でも眺めて終わってしまうかと」
メルティナの答えに、俺は思わず黙り込んだ。
――《三名とも、「休日の過ごし方」というスキルそのものが、経験不足により未習得の状態と推測されます》
(そんなスキル扱いされる話か、これ)
だが、笑い事ではなかった。長年働き詰めだった者が、急に休みを与えられても、途方に暮れる。仕事しか知らない人間が定年後に塞ぎ込む、という話をどこかで聞いたことがある。それに近いものが、この城にも起きているのだろう。
「……そうか」
俺は少し考えた。
「休みの過ごし方が分からないなら、誰かに聞くなり、色々試してみるしかないだろうな」
「その……」
リリアが、もじもじと指先を合わせながら、切り出した。
「もしよろしければ、なのですが」
「なんだ」
「明日、ザーク様も、ご一緒していただけませんでしょうか」
「……俺が?」
「はい。休みの過ごし方が分からない、という以前に……その、単純に、ご一緒したい、というのもございます」
「私も、同じ気持ちです」
メルティナが、消え入りそうな声で続いた。
「せっかくお休みを頂けるのですから」
「私も、それに賛成です」
ドルシアも珍しく、頬をわずかに染めながら頷いた。
「三人とも、魔王様とご一緒したい、というのが本音です」
三人に見つめられ、俺は少し戸惑った。
(なんて返せばいいんだ、これ)
――《提案です。頷くだけで十分かと思われます》
(お前、たまに的確だな)
「……分かった。それじゃあ、明日は付き合う」
ふと、俺はあることに気づいた。
「そういえば」
「はい?」
「リリアは俺のことを『ザーク様』と呼んでるが、二人はいつも『魔王様』だな」
「……確かに、そうですね」
ドルシアが、意外そうな顔をした。
「二人も、そう呼んでみないか。役職名で呼ばれるより、名前で呼ばれる方が、なんというか……悪くない」
「よ、よろしいのですか」
メルティナが、目を丸くした。
「魔王様を、お名前で呼ぶなど……」
「別に減るもんじゃないだろ」
「では……『ザーク様』と、呼ばせていただきます」
「私も、それで」
二人の声が、柔らかく重なった。
一方で、隣に立つリリアは、明らかに頬を膨らませていた。
「……皆が同じ呼び方をするのは、その、少し面白くありません」
「なんでだよ」
「ザーク様と最初に出会って、最初にそう呼び始めたのは、私ですから」
「そんな謎の先取権があるのか」
――《リリアの独占欲を確認しました》
(分析するな)
こうして、なし崩し的に、四人で城下町へ出かけることになった。
城下町でも一際賑わっている店――その名も『満月亭』という喫茶店に、俺たちは足を踏み入れた。
店内は、昼時ということもあって、多くの魔族で賑わっている。
「い、いらっしゃいま……」
出迎えた店員の魔族が、途中で言葉を失った。
無理もない。魔王本人と、財務部長、内政部長、そして側近という、この城下町では滅多にお目にかかれない面々が、四人揃って店に入ってきたのだ。
「ご、ご予約は……いえ、あの、こちらのお席で、よろしいでしょうか……!」
店員は完全に浮足立っていた。他の客たちも、こちらをちらちらと見ながら、ひそひそと話している。
「魔王様が、喫茶店に……?」
「しかも、あの三人と一緒に……?」
俺たちは、店の奥の席に案内された。
「ご注文は……その、当店自慢の『コーシー』などいかがでしょう」
「コーシー?」
「はい。豆を焙煎して淹れる、少し苦みのある飲み物です」
どうやら、豆を焙煎して淹れる、少し苦みのある飲み物らしい。
「それでいい」
「わ、私もそれで」
「同じく」
「私も、いただきます」
注文が終わると、店員は逃げるようにカウンターへ戻っていった。
そして――問題は、コーシーが運ばれてきてからだった。
「お待たせいたしました」
湯気の立つカップが、目の前に置かれる。
立ち上る香りに、俺は思わず鼻を動かした。
(……もしかして)
カップに口をつける。ほろ苦く、香ばしい味が、舌の上に広がった。
「……やっぱり、コーヒーだ」
思わず、声が漏れた。
「コーヒー、ですか?」
「あ、いや……こっちの言葉で言う、コーシーだったな」
誤魔化しながらも、口元が緩むのを止められなかった。まさか、こんな異世界の片隅で、あの馴染み深い味に再会できるとは思っていなかった。
俺は、それを改めて手に取ろうとした。
「…………」
右手が、震えていた。
残像が見えるほどに。
(な、なんだこれ)
――《感情の緊張と高鳴りを確認》
(緊張? なんで)
――《両隣、および対面を、露出の多い服装の女性三名に囲まれている状況です。このような状況への耐性は、これまでのあなたの言動から見て、著しく低いと推測されます》
(お前、今それ言うか)
考えてみれば、女性に囲まれて茶を飲むなどという経験は、これまでの俺にはなかった。仕事一筋で生きてきた分、こういう場には、驚くほど弱いらしい。
「ザーク様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、平気だ」
強がって、震える右手でカップを持ち上げようとする。だが、震えは収まらない。
慌てて、左手を添えて押さえようとした。
その瞬間。
「……っ」
カップが傾き、中身の半分近くが、俺の服にこぼれた。
「ザーク様!」
「熱くはございませんか!」
「すぐに拭き取らないと、染みに……!」
リリア、ドルシア、メルティナが、それぞれ布巾やハンカチを手に、一斉に俺の胸元へ手を伸ばしてきた。
「い、いや、自分で拭ける」
「ザーク様は動かないでください」
「私が拭きます」
「いえ、ここは内政部長である私が」
「財務部の管轄外だとしても、この程度は私が」
三人の手が、俺の服の上でぶつかり合う。
「あの……なんか、揉めてないか、これ」
「揉めておりません」
「揉めております」
声が見事に重なった。
――《三名の行動パターンに、明確な競合が発生しています》
(見りゃ分かる)
結局、俺の服は誰の手で拭かれたのか分からないまま、なんとなく落ち着いた。周囲の客たちが、その一部始終を、生温かい目で見守っていたのは、言うまでもない。
落ち着いたところで、話題は自然と、それぞれの部署の近況に流れていった。財務部の決裁フローの進捗、内政部の台帳統一の様子。休みの日にまで仕事の話をするあたり、三人ともまだまだ「休日の過ごし方」を習得しきれていないのだろう。
だが、聞いていて悪くなかった。普段の巡回や報告では出てこない、細かい現場の温度感が、こういう雑談の中で、ぽろぽろとこぼれてくる。
「……こういうのも、悪くないな」
俺は、思わず呟いていた。
「こういうの、とは?」
「畏まった報告じゃなくて、こういう場で、ふとした話を聞けること。地味に、情報交換としていい機会になってる気がする」
俺自身、深い意味はなかった。ただ、率直な感想を口にしただけだった。
「なら、これも定期的にやるといいかもしれないな。月に一度くらい」
言った瞬間、場の空気が、ぴたりと止まった。
「……月に、一度」
「ザーク様、それは」
ドルシアとメルティナが、揃って頬を染めた。リリアも、目を見開いてこちらを見ている。
(……なんだ、この反応)
――《補足します。あなたは今、意図せず、三名との定期的な会合を提案しました》
(提案したというか、単に情報交換の場としてって話で)
――《その意図は、正しく伝わっていない可能性が高いです》
(は?)
「あの……つまり、月に一度、四人で出かける、ということで、よろしいのですね」
ドルシアが、確認するように、恐る恐る尋ねてきた。
「あ、ああ、まあ、そういうことに――」
「……っ、はい!」
「喜んで、参加させていただきます」
メルティナも、両手を胸の前で握りしめながら、はにかむように頷いた。
(あれ、なんか思ってたのと違う空気になってないか)
――《三名とも、あなたの発言を「情報交換」ではなく「月一の逢瀬」として解釈したと推測されます》
(訂正した方がいいか、これ)
――《非推奨です。訂正すれば、恐らく場が気まずくなります》
(お前の判断基準、たまに現実的すぎるんだよな……)
「では……いつにいたしましょうか」
「あ、あの、今、決めてしまっても、よろしいでしょうか」
ドルシアが、もじもじと手を動かしながら、懐から手帳を取り出した。
「ら、来月の、同じ曜日とか、その……ご迷惑でなければ」
「あ、ああ……それで」
スケジュールを確認しようとして、俺は思わず口にしていた。
「じゃあ、月一定例、ってことでいいな」
その言い方に、三人が、またふと動きを止めた。
「……月一、定例」
「そのような言葉遣い、初めて伺いました」
「……そうでしたね」
三人が、揃って戸惑うように黙り込む。妙な言葉が、どこからか自然と口をついて出た。それが、この世界のものではないと、俺自身、一瞬遅れて気づいた。
「……いや、そうだったな。忘れてくれ」
俺は誤魔化すように言い直した。
「とにかく、来月も同じ顔ぶれで集まる、ということでいいな」
「は、はい。そうですね」
リリアが、探るような視線をこちらに向けたが、それ以上は何も聞いてこなかった。
自分では、あくまで実務的な提案のつもりだった。だが、口から出た瞬間から、話は完全に別の方向へ転がっていた。何がどう伝わって、どう受け止められたのか、正確なところは、俺自身、よく分かっていなかった。
「リリアも、それでよろしいですね」
「……はい。もちろんです」
リリアは、まだ少し拗ねた様子を残しつつも、しっかりと頷いていた。
こうして、俺の何気ない一言から、来月の定例お出かけまで、なし崩し的に決まってしまった。
――《本日の学び:あなたの発言は、意図とは無関係に、しばしば誤解を招くようです》
(お前が言うな)
「そういえば、東の砦のガレオン様は、お元気でしょうか」
メルティナがふと呟いた。
「ガレオン? 四天王の一人だったな」
「はい。東方防衛部を統括されている方です。ただ……」
「ただ?」
「かなり、喧嘩っ早い方でして。人間との対応も、少々やんちゃと申しますか」
「やんちゃ?」
「はい。理屈で対応するというより、勢いで押し切るような……」
リリアが苦笑しながら補足した。
「ガレオン様は、力はあるのですが、交渉や統率といった面では、少々不安がございます」
「それで、対人間の対応が悪化してる、と」
「はい。最近も、人間の冒険者との小競り合いが増えていると、報告が上がっております」
俺は少し考えた。財務部、内政部と回ってきて、次に見るべき部署としては、悪くないタイミングだった。
「よし、明日行ってみるか」
「私もご一緒します」
リリアが即座に手を挙げた。
「ドルシアとメルティナは、それぞれの部署の改革を進めておいてくれ」
「畏まりました」
「承知いたしました」
翌日。
俺とリリアは、東の砦へと向かった。
砦に近づくにつれ、剣戟の音と怒声が響いてくる。
「なんだ、この騒ぎは」
「魔王様!」
兵士の一人が、慌てて駆け寄ってきた。
「人間の冒険者が、また攻め込んできています。勇者ではありませんが、そこそこの実力を持つ一団です」
「ガレオンは?」
「最前線で、指揮を執っておられます」
砦の前に出ると、そこには、燃えるような赤髪を振り乱しながら剣を振るう、一人の女がいた。
「怯むんじゃねえ! 気合で押し返せ! 根性見せろオラァ!」
「……あれがガレオンか」
――《観察した限り、戦術的な指示は一切見受けられません》
(だよな)
ガレオンは、部下たちに向かって、ひたすら精神論を叫んでいた。
「弱気になったら負けだ! 気持ちで負けてどうする!」
「気合が全てを解決すると思ってるタイプか」
――《遺憾ながら、その通りです》
人間側の冒険者たちも、決して話を聞く様子はなく、ただ武器を振るってくる。だが、それ以上に気になったのは、ガレオンが人間たちに向かって叫んでいる内容だった。
「我らが魔王様は、大陸の半分を意のままにする御方だ! 貴様らごとき、瞬きの間に消し炭にできるんだぞ!」
「……は?」
俺は思わず声を上げた。
そんな話、聞いたことがない。
――《事実確認。あなたは大陸の半分を征服していません》
(分かってる)
「さらに! 我が魔王様は、既に西の国を三つ、密かに支配下に置いておられる! 逆らう者に容赦はない!」
「おい、待て、そんなこともしてないぞ」
「魔王様に逆らうということが、どういうことか、思い知らせてやる!」
冒険者たちの顔色が、目に見えて変わった。恐怖ではなく――怒りと敵意が、より強くなっていた。
「そんな野蛮な魔王を、野放しにできるか!」
「魔王を倒すまで、俺たちは引かない!」
冒険者たちの勢いが、むしろ増していた。
「……なんだ、これ」
リリアが、額を押さえながら呟いた。
「ザーク様。ガレオン様は……その」
「なんだ」
「ザーク様のことを、大変……お慕いしておりまして」
「は?」
「あまりにお慕いしすぎて、人間に対しても、ザーク様の凄さを大袈裟に語ってしまう癖がございます」
「…………」
つまり、こういうことだ。
ガレオンは、俺のことが好きすぎて、会う人間全員に、ありもしない俺の武勇伝を語り散らしている。そして、その大袈裟な話を聞いた人間たちは、俺を「話の通じない、危険極まりない暴君」だと思い込み、余計に態度を硬化させている。
(こいつやー……)
(人間との関係、悪化させてんの、こいつやー!)
「……それ、和平どころの話じゃないだろ」
――《同意します。人類側の対魔王感情の悪化に、ガレオンの発言が有意に寄与している可能性があります》
(有意にって、はっきり言えよ)
――《原因の大半です》
俺は頭を抱えたくなった。
財務部は、決裁の遅さが問題だった。
内政部は、記録の重複が問題だった。
そして東方防衛部は――部長本人の、行き過ぎた愛が、外交問題を悪化させていた。
「……ガレオン!」
俺は声を張り上げた。
「魔王様!?」
ガレオンが、こちらに気づいて顔を輝かせた。
「見ておいででしたか! この者ども、今すぐ蹴散らして……」
「その前に、話がある。一旦、退け」
「は、はい!」
ガレオンは即座に部下たちに合図を送り、一時撤退の指示を出した。
「撤退! 全員退け!」
ガレオンが背を向け、部下たちの元へ駆け出そうとした、その瞬間だった。
「隙ありッ!」
人間の冒険者の一人が、剣を振りかぶり、無防備なガレオンの背中に斬りかかった。
「ガレオン!」
考えるより先に、身体が動いていた。
「――ッ!」
俺の手のひらに、黒い魔力が集まる。それは瞬く間に一振りの剣の形を取り、振り下ろされた刃を、間一髪で受け止めた。
――《咄嗟の魔力剣召喚を確認。……見事です》
(褒めてる場合か)
冒険者は、目の前に突然現れた黒い剣に、目を見開いて硬直していた。
「……撤退を命じた相手の背中を斬るのが、お前たちのやり方か」
俺は、剣越しに相手を見据えた。声が、自分でも驚くほど低く出た。
「戦うか退くか、それは好きにすればいい。だが、背を向けた者を狙うのは、戦いじゃない」
言葉と共に、意識せず、覇気のようなものが漏れ出ているのが分かった。冒険者は、顔を青ざめさせながら、一歩、また一歩と後ずさった。
「……ひっ」
「二度目はない。今日のところは、見逃す」
冒険者は、震えながら剣を引くと、仲間と共に、転がるように撤退していった。
――ふぅ、と一つ息を吐いて、俺は魔力の剣を消した。
「……ザーク様」
ガレオンが、呆然とした様子でこちらを見ていた。
「大丈夫か」
「は、はい……お助けいただき……」
その目に、いつも以上の熱がこもっているのを、俺は見て見ぬふりをした。
(人間との関係を良くしたいと思っていたのに、結局、力で黙らせる形になったな)
――《結果的に、そうなりました》
(やっちまったか)
だが、すぐに思い直す。
(いや……あれは、やらなきゃいけないことだった)
背を向けた相手を狙う。それは、話し合いの余地がある・ないという以前の問題だ。見過ごしていい理由には、どうしてもならなかった。
人間の冒険者たちも、突然の撤退と、その後の一幕に戸惑いながら、それ以上深追いはせずに引き上げていった。
俺は、リリアと顔を見合わせた。
「これは……」
「はい」
俺たちは、同時に同じ言葉を思い浮かべていた。
「防衛部隊も、改革が必要だな」
こうして、魔王城改革プロジェクトは――思わぬ形で、人間との関係悪化の真犯人を突き止めながら、四つ目の部署へと手を伸ばすことになった。




