ep2魔王、現状把握を始める
巡回の後俺はリリアにあるものを頼んでいた。
俺は玉座の間ではなく、あえて城の一角にある小部屋に陣取っていた。
「ザーク様、こちらが……その、ご所望の資料になります」
リリアが両手いっぱいに紙束を抱えて入ってきた。羊皮紙だが、束ねられ方はどこかフォルダっぽい。
「ありがとう。積んでいい」
「積む、ですか?」
「机の上に置いてくれればいい」
どさっ、と紙の山ができる。
――《資料の総重量、約十二キログラムです》
(重さじゃなくて、普通ページ数で言わないか?)
――《失礼しました。全六百二十四ページです》
(それならまだ分かる)
「まず聞きたいんだが」
俺は紙束の一番上を手に取る。
「これは何の資料だ?」
「魔王城の部署一覧と、各部署の人員数、それと……先代からの慣例をまとめたものです」
「先代?」
「はい。ザーク様が魔王位を継がれる前の、先代魔王様の時代からの慣例が、今も色濃く残っておりまして」
「なるほどな」
前世で嫌というほど見た光景だ。誰も見直さないまま受け継がれ続ける謎ルール。誰が始めたのかも分からない申請フロー。そして「昔からこうだから」で思考停止する組織文化。
「リリア、一つ聞きたい」
「はい」
「この城には、何人働いている?」
「魔族、魔獣、使い魔を含めて……およそ三千二百です」
「その三千二百人のうち、平均連勤日数は?」
「…………」
リリアが黙った。
「答えにくいのか?」
「いえ、その……計算したことがなかったので」
「じゃあ今から計算しよう」
「今から、ですか?」
「ああ。感覚で『大変だ』と言っても誰も動かない。数字にして初めて、みんなが『本当にまずい』と気づく」
――《データの収集を開始しますか?》
「頼む」
――《各部署の勤怠記録へのアクセス権が必要です。実行にはあなたの明確な意思確認が必要です》
「よし、実行を許可する」
――《承知しました。実行します》
頭の中に、大量の情報が流れ込んでくる感覚があった。ものの数秒で、三千二百人分の記録が整理されていく。
「……」
俺は小さく頷きながら、その情報を頭の中で並べ替えていた。
「リリア、全部署の平均連勤日数は四十七日。最長はお前で、五千六百七十五日だ」
「…………は?」
リリアが、口を半開きにしたまま固まった。
「ザ、ザーク様、今、一瞬で……全部署の記録を……?」
「ああ」
「そんな……三千二百人分の記録なんて、書記官が総出でも三日はかかる作業です。それを、こんな一瞬で……」
リリアは、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。
「以前のザーク様でしたら、こうした細かい数字など、気にもなさらなかったのに」
(そりゃ前世の記憶がなかったら、俺もこんなこと考えなかっただろうな)
そしてもう一つ、頭の中に流れ込んできた情報があった。
――《付記事項があります。先代魔王の記録も同時に検出されました》
(先代?)
――《在位期間、約二百年。その間、休養日数は記録上ゼロです》
「……二百年、休みなしか」
思わず声に出ていた。
「先代様が、どうかされましたか?」
「いや、なんでもない」
二百年間、一度も休まず働き続けた末に、先代は崩御した。原因は「病没」とだけ記録されている。
その符合に、背筋がわずかに冷えた。前世で自分が死んだときと、あまりにも似た構図だったからだ。
(考えすぎるな。今は目の前のことに集中しろ)
もちろん、頭の中のAIの存在は誰にも話していない。リリアからすれば、魔王が突然、超人的な事務処理能力に目覚めたように見えているはずだ。
「……いえ、むしろ」
リリアは頬を染めながら続けた。
「これほどの力を、民のために使おうとなさるお姿……以前にも増して、素敵です」
「いや、そんな話はしていない」
俺はそう言いながら、資料の続きに目を通す。
「リリア」
「はい」
「お前の連勤日数、五千六百七十五日だったな」
「はい、正確には十五年と二百日ですが」
「ダントツだぞ、それ」
「……はい?」
「他の誰よりも、お前が一番働きすぎだと言っている」
俺は資料を置くと、リリアの肩に手を伸ばした。そのまま、ぽんぽんと軽く二度、優しく叩く。
「……っ」
リリアの肩が、びくりと跳ねた。
「よく今まで一人で支えてきたな。えらい」
「……ザ、ザーク様……」
リリアは俯いたまま、しばらく動かなかった。耳の先まで真っ赤になっている。
「魔王様に、頭を撫でられるように労われるなんて……」
「頭じゃなくて肩なんだが」
「同じことです」
「違うだろ」
リリアは顔を上げると、なぜか潤んだ目でこちらを見つめてきた。
「以前のザーク様は、力こそ強かったですが、誰かを気遣うようなお言葉は、あまり……」
「そうなのか」
「はい。ですが最近のザーク様は、力もあり、頭も切れて、その上お優しい。まるで別人のようで……」
(別人といえば別人だからな)
――《図星です》
(お前は黙ってろ)
「とにかく、お前もちゃんと休め。これは命令だ」
「……はい。ザーク様の仰る通りに」
リリアは嬉しそうに、それでいてどこか幸せそうに微笑んだ。
俺は話を戻すことにした。
「さっきの資料に戻るが、財務部の状況を詳しく教えてくれ」
「財務部、ですか」
「ドルシアが十五年以上休んでいない理由。単に本人が働きすぎなだけなのか、それとも構造的な問題があるのか、知りたい」
リリアは資料をめくりながら答えた。
「財務部の予算申請は、決裁までに十二の部署の印を通す必要がございます」
「十二?」
「はい。まず現場責任者、次に部門長、その上の統括、さらに監査……と、順に印を集めていくのですが」
「一つでも欠けたら?」
「最初からやり直しです」
――《非効率な承認フローの典型例です》
(前世でも同じようなのがあったな。稟議書が部長のところで止まって、二週間放置されるやつ)
「それだけじゃありません」
リリアが声を落とした。
「十二の印のうち、二つは、もう存在しない部署の長のものなんです」
「存在しない?」
「先々代の時代に廃止された部署です。ですが規定だけが残っていて……」
「じゃあ、その二つの印は、誰が押してるんだ?」
「……押せないので、ドルシア様が仮の代理印を作って、こっそり通しています」
「それ、完全に違法じゃないか」
――《規定違反の可能性が高いです》
「なのに規定は変わらない。誰も直せないから、皆その場しのぎでやり過ごしている、ということか」
俺は思わずため息をついた。前世で見た「誰も責任を取りたくないから放置されたルール」と、まったく同じ構図だった。
「リリア、この決裁の遅さが、実際にどんな影響を出してる?」
「……最近の例で申し上げますと、辺境の村で井戸が壊れた際の、復旧予算の申請がございました」
「それで?」
「申請から決裁まで、二ヶ月半かかりました。その間、村は雨水を溜めて凌いでいたそうです」
「…………」
二ヶ月半。井戸一つ直すのに、それだけの時間、村人たちは不便な生活を強いられていたということだ。数字の遅れが、そのまま誰かの生活の不便に直結している。前世で「稟議書の停滞」を笑い話にできたのは、それが人の生活に直結しているとまでは、実感していなかったからかもしれない。
「もう一つ、財務部には別の問題があります」
「まだあるのか」
「はい。財務部では、上への提言が通らなかった者や、上司の機嫌を損ねた者が、こっそり『辺境監査』に飛ばされる慣習がございます」
「辺境監査?」
「魔王領の端、辺境地の徴税記録を確認して回る仕事です。実質的には、二度と中央に戻れない左遷先として扱われております」
「……左遷部署か」
前世でもあった。会社の意にそぐわない人間が、なぜか急に地方の子会社や海外拠点に飛ばされる、あれだ。
「だから誰も本音で意見を言わなくなる。おかしいと思っても黙って従う。結果、変な規定も誰も直さない」
「……仰る通りです」
「よし、方針を決めた」
俺は三つ、指を立てた。
「一つ、決裁の印は十二から三に減らす。現場責任者、部門長、そして俺。それ以上は不要」
「そ、それでよろしいのですか?」
「金額が一定以上のものだけ俺の確認を挟めばいい。小さな申請まで魔王が見る必要はない」
「二つ目は?」
「もう存在しない部署の印は、規定ごと削除しろ。代理印なんて誤魔化しは今日で終わりだ」
「か、かしこまりました」
「三つ目。辺境監査を、罰としての左遷先にするのはやめろ。純粋に、遠方の実務経験を積みたい者が志願する制度に作り変える」
「志願制、ですか」
「そうだ。行きたくもない場所に無理やり送られるから、皆が萎縮する。行きたい者が行く仕組みにすれば、むしろ人材育成の場になる」
――《海外赴任制度の再設計に近い発想です》
(そうだ。左遷先じゃなく、キャリアパスにする)
リリアは資料にペンを走らせながら、何度も頷いていた。
「いや、俺から直接伝える。ドルシアをここに呼んでくれ」
「かしこまりました」
しばらくして、眼鏡をかけた美しい女が現れた。魔族は実年齢に見合わず若い容姿を保つことが多く、彼女もその例に漏れず、実務歴十五年以上には到底見えない、涼しげな若い女性の姿をしている。ただし、目つきだけは異様に鋭い。魔族というより、生ける決算書という感じがした。
「魔王様、お呼びと伺いまして」
「ドルシア、単刀直入に聞く。お前、いつから休んでいない?」
「……さて、覚えておりませんな」
「覚えてない?」
「休むという概念そのものを、久しく忘れておりましたので」
「決裁の印、十二個のうち二つが、もう存在しない部署のものだそうだな」
ドルシアの片眉が、わずかに動いた。
「……ご存知でしたか」
「代理印でごまかしていたことも」
「……申し開きのしようもございません」
ドルシアは深々と頭を下げた。だが、その声には隠しきれない疲労が滲んでいた。
「ですが魔王様。あの規定を変えようとした先任者は、皆、辺境監査に飛ばされました。それがこの城の常識でしたので」
「その常識、今日で終わりだ」
俺は先ほどリリアに話した三つの方針を、そのままドルシアにも伝えた。決裁の印を三つに減らすこと。存在しない部署の印を規定ごと削除すること。辺境監査を左遷ではなく志願制のキャリア制度に変えること。
「……それが、実現すれば」
ドルシアは、しばらく言葉を失っていた。
「決裁にかかる日数は、十分の一以下になります」
「今、どれくらいかかってる?」
「早くて二十日、遅ければ三ヶ月です」
「三ヶ月……」
前世で見た「稟議書が部長の机で塩漬けになる」現象の、はるかに悪化した版だった。
「今日中に、新しい決裁フローの叩き台を作ってくれ。細かい調整は現場に任せる。ただし、俺が求めているのは『速さ』であって『雑さ』じゃない。そこは間違えるな」
「……畏まりました」
ドルシアは顔を上げると、初めてこちらをまっすぐ見た。
「魔王様。一つだけ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「なぜ、そこまでして下位の者の仕事のやり方に、目を向けられるのですか」
――《回答に注意してください》
(分かってる)
「無駄な仕事に殺されかけた人間を、これ以上増やしたくないだけだ」
ドルシアは、その言葉の意味を測るように、しばらく黙っていた。
「……承知いたしました。魔王様のお言葉、財務部一同、肝に銘じます」
顔を上げたドルシアは、眼鏡の奥の目を、わずかに細めていた。数字と規定にしか興味がないと思われていた自分の仕事のやり方に、真正面から向き合ってくれる者が現れるとは、思ってもみなかった。それが、ほんの少しだけ、胸の奥をくすぐった。
ドルシアが退室すると、部屋には俺とリリアだけが残った。
「早速、他の部署にも伝えます」
「頼む。それと」
「はい」
「今回の件、ドルシア一人の責任にはするな。構造の問題だと、はっきり伝えてくれ」
「……承知しました」
リリアは、どこか眩しいものを見るような目でこちらを見た。
「ザーク様は、悪い方だけを責めるのではなく、仕組みそのものを直そうとなさるのですね」
「そうしないと、また同じことが起きるだけだ」
俺は資料の山に、もう一度目を落とす。
軍務、内政、諜報、魔獣管理――まだ手をつけていない部署は多い。だが、財務部というひとつの部署で、ひとつの問題を、根っこから解決できたことは、悪くない手応えだった。
その効果は、思いのほか早く現れた。
数日後、リリアが弾んだ声で報告に来た。
「ザーク様、あの井戸の件です。新しい決裁フローで再申請したところ、わずか二日で予算が下りました」
「二日か。二ヶ月半が、二日に」
「はい。村の者たちも、これほど早く動くとは思っていなかったと、大変驚いておりました」
たった一つの承認フローを見直しただけで、誰かの生活の不便が、数十分の一の時間で解消される。数字にすれば地味な変化かもしれないが、井戸の水を待っていた村人にとっては、まったく違う話だった。
――《この城には、まだ同様の構造的問題が複数存在すると推測されます》
(分かってる。一つずつ潰していく)
「リリア」
「はい」
「次は内政部の資料を頼む」
「はい、ザーク様」
リリアは、心なしか足取り軽く部屋を出て行った。
窓の外はすでに暗くなっていた。前世なら、こんな時間からが本番だった。だが今は、まだ日が変わる前に一つの部署を立て直せている。
それだけで、悪くない一日だった。
こうして、魔王城改革プロジェクトは――財務部という最初の成功事例を手に入れ、次の段階へと進み始めた。




