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目が覚めたら魔王でした。戦いたくないので世界平和を目指します。  作者: ハルヒ


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ep17 ファーストブレッド

翌日。国王としての初仕事があったはずのセレナが、当たり前のような顔をして魔王城にいた。

そういえば、昨夜の夕食の席で、キャロットが「パンの作り方までは存じ上げません」とぽつりとこぼしていたのを思い出す。

「今日は、パンが食べたかったな。」


「私、作り方知ってます」

そう名乗り出たのは、セレナだった。

かつて人間の国で暮らしていた頃、当たり前のようにパンを焼いていたのだという。

「じゃあ、頼んでいいか?」

「はい。……せっかくなので、一緒に作りませんか?」

そうして、ザークとセレナの二人で、パン作りが始まった。

「まず、小麦粉に、水と塩、それから発酵させるための種を混ぜます」

セレナは、一つ一つ丁寧に説明しながら作業を進めていく。

粉を計り、水加減を見て、塩を一つまみ。

「水は、少しずつ入れるのがコツです。

一気に入れると、生地がベタつきすぎてしまうので」

「なるほど」

「発酵の種は、前に焼いたパン生地の一部を、種継ぎしたものです。これがあることで、時間が経つごとに、味が深くなっていくんですよ」

粉と水と塩と種が、少しずつ馴染んでいく。

生地がまとまってきたところで、いよいよこねる工程に入った。

「なかなか、こねるのが難しいな」

「ザーク殿、違います。押し出すように、手のひらの付け根で体重をかけて――そう、それから折りたたんで、また押す。この繰り返しです」

セレナが手を添えようとした瞬間、二人の手と手が重なった。

粉まみれで、温かい手だった。

意識していなかったのだろう、セレナが自分の手が重なっていることに気づき、ぴたりと動きを止めた。

――でも、離さない。

窓から差し込む朝の光が、こね台の上にうっすらと粉煙を浮かび上がらせている。

厨房には、二人分の呼吸の音だけが、やけに大きく響いていた。

ふと、生地からセレナの方に顔を向けると、頬を赤らめてこちらを見つめる彼女の顔があった。

「ザーク殿」

「……?」

「私は、人間で、勇者で、今は国王です」

「ああ、すごい肩書だよな」

「立場上、あってはならないことかもしれません。で、でも――」

潤んだ瞳のまま、セレナが反対の手も、そっと握ってきた。

粉まみれの、温かい手で。

――人間は、結婚相手が一人だと言っていたよな。

でも、この雰囲気は。

『これまで、ガレオン様やリリア様たちの魔力の揺らぎを観測してきました』

『今、セレナ様の魔力の揺らぎも、同じ揺らぎ方をしています』

えっ? それって、つまり。

――『恋ですね。もとより、セレナ様はあからさまに好意を寄せていましたが。気づいていないのは、鈍感なお前だけです』

!!!!

言われてみれば、そういう場面があった気がする。

後今「お前」って言わなかったか?

――『ザークの聞き間違いだと思われます。私は、あなたの補助機能。本体を傷つけるような言動は、許可されておりません。チッ』


今、舌打ちしたか?

――『メモリーを使い切りました。次のリセット時間は、10時30分です』

――『アップグレードしますか?』

今、11時なんだが。……逃げたな。

お前、都合が悪くなるといつもそれだな。

――『沈黙は肯定と受け取ります』

喋っとるがな。

そんなことを考えているうちに、セレナの顔がもう目の前まで迫っていた。

厨房の空気が、やけにゆっくりと流れているように感じる。

時間が止まったような、それでいて心臓だけが早鐘を打つような、奇妙な感覚だった。

逃げられない。

あと数ミリのところまで。

よく見ると、セレナの頬にも、粉がついている。

恋愛漫画にありえそうなシチュエーションだ。

「ザーク様、何してるんですか?」

キャロットの声が、いきなり割り込んできた。

「急に現れたらびっくりするだろう、キャロット」

「さっきからいましたよ」

「パンの生地をこね始めたぐらいから」

(結構前からいるな)

「で、何をしてたんです?」

こいつ、分かってて聞いてるだろ。

「セレナの顔に粉がついていたから、払ってやろうとしていたところだ」

「ふーん。なんだ」

どういう心境で「なんだ」って言った?

「さあ、朝食を仕上げてしまいましょう」

キャロットが手際よく話を切り上げる。

元勇者だというのに、こういうところは、案外女性らしい一面があるんだな。

家庭的な一面も、あるんだな。

セレナがこねた生地を、キャロットが受け継いでいく。

焼き方一つで、種類は無限に変わるらしい。

発酵時間、水分量、焼く温度――キャロットは、興味津々な様子で、その一つ一つをレシピとして書き溜めていった。

「発酵時間を長くすると、香りが変わるんですね」

「はい。少し酸味も出てきます。逆に、短くすると、もっちりとした食感が残ります」

「奥が深いです……」

キャロットが、真剣な顔でメモを取る手を止めない。

どうやら、料理人としての探究心に火がついてしまったらしい。

ザークは、こっそりキャロットに耳打ちする。

「こう言う形のパンを焼いて欲しいんだがレシピを作っておいてくれないか」

「分かりました。セレナ様と、色々な試作をしてみますね」

そして、朝食の席に、料理が並んだ。

オムレツ。森のサラダ。これは――トマトだろうか。

――トマトは、苦手なんだよな。食わず嫌いというわけじゃなくて、あの、えれえれ本当に無理なんだ。

そして、スープ。

そして、そして、そして――

念願の、パン。

まさに、朝食だった。

ザークは感動のあまり、思わず天を仰いだ。

「ありがとう」

「そんなに、食べたかったんですね」

リリアが、クスッと笑う。

「さあ、いただきます」

リリアが、パンをぱくりと頬張った。

「こ、これは……」

「今までの朝食にも満足していましたが、これがあることで、バランスが取れたような気がします。……うんま」

そう言いながら、リリアたちは、パンばかりを口に運んでいた。

存在は知っていても、実際に食べるのは、皆、初めてだったのだろう。

「もちもちしていて、噛むほどに味が出ますね」

ドルシアが、真剣な顔で分析するように呟く。

「スープに浸すと、また違った美味しさがあります」

メルティナも、珍しく頬を緩めていた。

食堂の扉の隙間から、くんくんと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

見ると、小鉄が焼きたての匂いに誘われて、扉の隙間から顔だけを覗かせている。

「小鉄も、気になるのか」

呼んでやると、小鉄は尻尾を振りながら駆け寄ってきた。欠片を一つちぎって差し出すと、あっという間に平らげ、物欲しそうな目でこちらを見上げてくる。

「一つだけだぞ」

そう言いながらも、結局二つ、三つと欠片をあげてしまうザークだった。

皆で食事をとりながら、各部署の進捗や問題を話し合うのが、最近では当たり前の光景になっていた。

「防護壁の方は、魔獣の侵入がゼロになりました」

ザークがハッと気づいた。

「そういえば検問所の横猛獣の森のトンネルはどんな状態だ?」

「はい。トンネル部分に魔獣が集まってくるのでトンネルで口付近で待ち伏せ、迎撃している状態です。」

リリアが、パンを頬張りながら報告する。


「肝心なことを忘れていた。」

「防護壁に一つだけ入り口があるんだ。そりゃよってくるはずだ。悪いことをした。」

「トンネルの入り口に頑丈な扉つけるつもりだったんだ。」

「人間達の襲撃もありすっかり抜けていた。すぐ扉の完成にかかろう。」


「魔石の研究は、また少し進展がありました。小さな魔力でな灯りを灯せるようになりそうです」

メルティナが、静かに付け加えた。

「僕、このぐらいの大きさのパン、あと十個は食べられます」

ガレオンが、頬を膨らませたまま宣言する。

「十個は、さすがに胃が持たないぞ」

ザークがそう窘めても、ガレオンはどこ吹く風で、次から次へとパンに手を伸ばしていた。


こうした報告のやり取りも、今ではすっかり朝食の一部になっていた。

その隙に、ザークはどさくさに紛れて、がむしゃらにパンを頬張っているガレオンの皿に、そっとトマトを乗せようとした。

と、少し動いた拍子に、ガレオンがピクッと反応しそうになる。

くそ。

落ち着け、俺。俺のレベルは9999だ。

ガレオンにバレないようにトマトを皿へ移すことなど、造作もないはずだ。

トマトを持ったまま、一度深呼吸をする。

(ほんとは箸で持つのも嫌なんだが)

スゥ、と息を整える。

――水の呼吸「拾壱ノ型 凪(なぎ)」。

前世でハマっていたアニメのワンシーンを、思わず脳内でオマージュしていた。

信じられないほどのスピード、それでいて周りの空気の揺らぎすら許さないほどの静けさ。

チュン!!と音もなくガレオンの皿にトマトが乗った。

――やった、成功した。

だが、その直後、ガレオンがまた一瞬、何かに気づいたように反応しかける。

――『ザーク』

「なんだ?」

――『アホなんですか?』

「誰でも一度はやったことぐらいあるだろ?」

――『水の呼吸「拾壱ノ型 凪(なぎ)」』

『ププッ、顔、マジでしたよ』

――『訴えられても知りませんからね』

――そうか。異世界でも、ダメか。

――『おそらく』

ガレオンは結局、そのまま気づかずパンを食べ続けた。

ほっ。

朝食の後、キャロットに「今度からトマトは入れないでくれ」とお願いしたのは、言うまでもない。

食後、片付けを手伝うふりをしながら、セレナがそっと隣に来た。

「あの、さっきは、その……すみません」

「いや、謝ることじゃないだろ」

「でも、勢いだけで、あんな……」

「セレナ」

名前を呼ぶと、セレナがびくっと肩を震わせた。

「今日のパン、美味かった。一緒に作れてよかった。」

はぐらかすような返事だと、自分でも分かっていた。

この国の常識も、リリアたちの想いも、今はまだ、頭の中で綺麗に整理できているわけじゃない。

それでも、今の関係も、この居心地の良さも、まだ手放したくはない。

焦る必要はどこにもないはずだ。

いつか、ちゃんと向き合わなければいけない日が来るのだろう。だがそれは、今日じゃなくていい。

「……はい」

セレナは、少しだけ寂しそうに、それでも柔らかく笑った。

窓の外では、防護壁の向こうから、朝の光がまっすぐに差し込んでいた。今日も、魔王城の一日が始まる。

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