ep15 リリアのヤキモチとこの国の常識
このままここにいるわけにも行かないな。
そっと部屋を出て廊下の角を曲がった瞬間、リリアと目が合った。
タイミングが悪い。悪すぎる。
俺の部屋からガレオンと二人で出てきたところを、真正面から見られてしまった。
「……パリン」
リリアの眼鏡に、綺麗な放射状のヒビが入った。
――《観測:リリア様の眼鏡、破損。原因:精神的動揺による魔力の暴走と推定されます》
いや解説はいいから、と思っている間に、リリアが無言で俺の腕にひっついてきた。がっちりと、万力のような力で。
「……リリア?」
「なんでもありません」
なんでもない顔ではなかった。
なぜかガレオンは一切動じてない。
いつものように魔王城を見て回る朝の日課、今日ばかりはリリアが片腕を離してくれないせいで、妙な歩き方なっていた。
見回りの途中、番兵たちに
「おはようございます」
と声をかけられるたびに、リリアは顔を引き攣らせながら
「お、おはようございます」と返す。
笑顔のつもりなのだろうが、目が全く笑っていない。
途中で合流したメルティナとドルシアが、いつもより距離の近い俺たちを見て「え?」という顔をした。
二人とも言葉にはしないが、視線だけで雄弁に「何があったんです」と聞いてくる。
そりゃ不自然だよな。
離れてくれ、なんて言えるわけがないし離れたくない気持ちもある。
――《スゲべ》うるさい。
空気が読めない魔王だと思われるのも困るし、何より昨夜のことを説明する前に突き放すような真似はしたくなかった。
「ザーク様。本日はお風呂も完成した事ですし、検問所の進捗でもご覧になられては?」
リリアの声に、いつもより少し強い響きが混じった。有無を言わせぬ提案という体の、ほぼ命令だった。
「そ、そうだな」
俺は素直に頷いた。逆らえる空気ではなかった。
「朝食でもどうですか?」
「いや、まだ腹はすいて」
「いかがですか!?」
「……はい」
食い気味の圧に負けて即答した。明らかにリリアの様子がおかしい。
まあ、そりゃそうか。
この状況を見せられて怒らない方がおかしい。
怖い。しっかり説明しないといけないな、と俺は腹を括った。
食堂には、朝食らしい朝食が並んでいた。目玉焼き。干し肉を炙ってベーコンのようにしたもの。
森の野菜の新芽を摘んだサラダ。コーンスープを思わせる、とろみのあるスープ。
――《栄養バランス:良好。ただし炭水化物の主食が皆無です。前世の記憶が刺激されます》
パンか米が食べたくなるな、と密かに思う。
それはまた今度考えよう。
全員でテーブルを囲む朝食は、いつもより会話が少なかった。誰かが気まずさを察しているのか、それとも全員が察しているのか。
食器の音だけがやけに響く。
いち早く食べ終えたリリアが
「ところで」
と口火を切った。
きた。
「あの、実は――」
俺が切り出そうとした、まさにその瞬間だった。
「僕、昨日女になったんだ」
ガレオンが、実に堂々とした顔で言い放った。
――場が凍った。
リリアとドルシアの眼鏡が、同時に割れた。
メルティナが持っていたスプーンを取り落とし、その隣で普通に同席していたセレナが、口に含んでいたスープを盛大に吹き出した。
「ガレオン、もうちょっと言い方が」
俺は慌てて口を挟んだが、もう遅い。
「つ、つつつまり、そういう事でしょうか?」
リリアが震える声で尋ねてくる。
「ああ、間違いない。」
俺はそう認めた?
「すまない」
「何を謝るのですか? すごくおめでたい話しじゃないですか」
「え?」
俺は思わず聞き返した。おめでたい、という単語がまるで頭に入ってこない。
「俺はガレオンを妻にすると決めた。だから、もし俺に少しでも好意を抱いてくれてるなら、その気持ちには――」
「はい?」
「ザーク様、何を仰ってるんです」
――皆が、揃って「??」の顔をした。
「ガレオン、お前まで」
俺の隣で、当のガレオンまで首を傾げている。
リリアが、深く息を吸ってから言った。
「ザーク様が何をお考えで、何を仰りたいのかは分かりませんが……こうですか? 俺はガレオンを妻にするから、他の者とは仲良くできない、と」
「いや、仲良くできない、というか」
「そういう関係にはなれない、と」
「……ザーク様。この国の夫婦についての定義は、ご存知ではないのですか?」
バレたらまずい。俺は必死に平静を装った。
「もちろん知っているが……もう一度、教えてほしいなーなんて」
明らかに不自然な間だった。
だがリリアはため息一つで流してくれた。
「この国では、より強く、より優秀な子孫を残すため、身分や魔力の高い者は何人もの妻を持つのが普通です」
「えっ」
「一夫多妻制って事か?」
思わず声が漏れた。
「なんですか、それは」
今度はリリアが聞き返す番だった。呼び方が違うだけで、この世界では当たり前すぎる制度らしい。
「子孫繁栄義務法で決まってるんです」
「法律で、決まってるのか」
「はい。私たちが物心ついた時には、既に存在していた法律です。ですが」
「――私たちは、やっぱり好きになった人と一緒にいたいんです。私たちは、子孫繁栄の道具じゃない」
リリアの声は静かだったが、芯があった。
「ですので、ガレオンとの事は祝福します。私たちとも、良好な関係を保っていただきたいです」
その説明を、一人だけ違う顔で聞いている者がいた。セレナだ。
人間である彼女の国では、妻はは一人と決まっている。
それが当然の常識として育ってきたはずだ。
今の話は、俺と同じぐらい、いや俺以上に理解の外側にあるらしい。
困惑した顔のまま固まっている。
ああ、これは魔族だけの法律なんだな、と俺はそこでようやく気づいた。
この世界の常識には、まだついていけない。
妻を数人持つことが、法律で許されている。日本人だった俺には、理解が追いつかない。
――《補足:前世の倫理観に基づく戸惑いは正常な反応です。ただし当地の法律遵守は義務となります》
と言うと。
――《長いものには巻かれろと言う事です》
さらっと「女になった」と言ったガレオンの言葉の意味にも、ようやく合点がいった。
あれは、そういう意味だったのか。
リリアたちの気持ちは分かった。
俺は変わらず、皆を大切な存在だと思っている。その気持ちに嘘はない。
それに、(修羅場にならなくて本当によかった。)
内心、胸を撫で下ろす。
「一つだけ、言っておきます」
リリアが顔を上げた。
「昔から根付いている法律でも――やっぱり、ヤキモチぐらいは焼いてしまいます。理解はします。ですが、悔しくて」
その言葉には、隠しきれない本音が滲んでいた。
「知っていたが――」
嘘だったが。
「改めて教えてくれてありがとう」
俺がそう言うと、リリアは小さく、それでもちゃんと笑ってくれた。
「さあ、検問所視察に行きましょう」
いつもより強い口調に、俺は思わず「はい」と答えてしまった。
検問所へ向かう道中、ふとある事に気づいた。
隣を歩くガレオンの魔力の質が、昨日までと明らかに違う。
ちょっと鑑定してみるか。
――『ガレオンの戦闘能力が、以前より格段に上がっています』
「ええ、なんでだ?」
――『昨日の出来事が原因かと考えます。昨日の出来事が!』
「なぜ2回言った?」
――『うるさい』
聞き取れないほどの小さな声だった。
「え? 今、うるさいって言った?」
――『言ってない』
「今言ったよな」
(最近普通に暴言、タメ口使ってくるこいつ)
『質問回数の上限に達しました。アップグレードしますか?』
こいつ、ワザとだな。
そこへ、道の向こうからボルガが歩いてきて声をかけてきた。
「魔王様、おはようございます」
俺の腕にべったりくっついたままのガレオンを見て、ボルガがにやりと笑う。
「おや、ガレオン様。ずいぶんと仲がよろしい事で」
ピキッ、とリリアの眼鏡から嫌な音がした。
ボルガ、頼むから刺激するなよ。俺は内心で祈りながら、慌てて話を切り替える。
「そ、それより、建築の進捗はどうだ?」
「はい」
ボルガが表情を切り替えて報告する。
「猛獣の森からの魔獣の流出を抑える防護壁の建築が、魔獣の妨害によりなかなか進んでおりません」
「なるほどな」
「魔獣のを出さないための防護壁、その建築中に魔獣が現れてもおかしくはない」
「猛獣の森からの魔獣の被害は、人間側でも多数あります」
セレナが横から口を挟んだ。
「魔獣の流出を防ぐため防護壁を建築するなんて誰も考えつかないです、何年もかかる作業のはず……」
その視線には、素直な感心が滲んでいた。
「あの防護壁には、二つの意味がある」
俺は説明を始めた。
「一つは魔獣の流出を防ぎ、外部の被害を防ぐ事」
「そしてもう1つが」
「はーい!」
ガレオンが元気よく手を挙げた。
「じゃあガレオン」
「人間から魔王城がとてつもなく大きいお城に見える様にするためです!」
「違います」
「じゃあじゃあ人間が攻めてきた時城壁の上から弓矢部隊の一斉射撃で」
「違います」
即座に否定した。
「前の事件を覚えているか?」
「魔性窟ですか?」
「そうだ。核は制御しても、森にも魔性窟にも魔獣はいる。知らない間にまた侵入されたら、被害を抑えることもできないだろう?」
「そして、防護壁とは別にこのルートに道を整備しようと思う」
「そこは、隣国へ行く最短ルートですよね」
セレナが地理を思い出したように言う。
「ああ、そうだ。我々は通行料を徴収する。人間達は通行料を払っても、日数を圧縮できる方がメリットに感じるはずだ」
「無料で開放しないのですね」
「いずれそれも視野にはある。だが、最初から無料にすると交渉がしづらくなり、足元を見られる結果になる」
「そこまでのお考えを……」
ドルシアが感心したように呟く。
俺は元人間だ。人間の欲望には際限がないのを、身をもってよく知っている。それは口には出さず、心の中だけに留めておいた。
「ザーク様を舐めるやつは、僕が一網打尽にします!」
「話がややこしくなるから、ガレオンは黙ってなさい」
「……」
しゅん、と分かりやすく肩を落とすガレオン。泣かせてしまったか。
ガレオン、俺の事を思っての発言なのは、嬉しいんだ。
「じゃあ、にんげ――」
「待てい」
まだ何か言おうとしていたガレオンを慌てて止める。
「だがこちらから攻撃してしまっては、皆で穏やかに暮らすこの生活が遠のいていく。」
「それは嫌だ。」
「だろ?」
「ビジネスは、駆け引きだ。」
「まずは防護壁の建築を急がなければな」
「そこで、小鉄の出番だな」
「おいで」
呼ぶと、小鉄が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「よしよしよしよし」
小鉄に図面を見せようとした。
だがふと気づくと、小鉄はへそ天状態で、尻尾を信じられない速さで振っていた。
足りなかったんだな。
「よしよしよしよしよし」
さらに可愛がる。
ふと手を止めてみる。
小鉄は「えっ?」みたいな顔でこちらを見た。
何もしない。すると、もっとやれと言わんばかりに、俺の手を前足でカリカリしてくる。
もっとか。
「よしよしよしよし」
「ぎゃー! 嬉しょんしたー!」
流石に疲れた。でも、癒された。
気づけば、女性陣が羨ましそうな眼差しでこちらを見ていた。
「無邪気に戯れるお姿も可愛くて、満点ですね」
「私も、よしよしされたいです」
「小鉄になりたい……」
ひとしきり可愛がった後、満足したのか小鉄が自ら図面を覗き込んできた。
クンクンと鼻を鳴らしながら図面を嗅ぎ始める。
かと思うと、その場でクルクルと回り始めた。
まさか。
咄嗟に図面を抱えて守る。
プリプリ。
「えー」
「うんちしたやん」
「もう犬やん」
呆れる俺をよそに、小鉄はスッキリした様子で満足げにしている。
かと思えば、すぐさま魔力を込め始めた。
すっきりした後は調子がいいらしい。
ゴゴゴゴゴ、と地響きと共に防護壁が地面から迫り上がってくる。
――が、途中でピタッと止まった。
「どうした、小鉄」
はぁはぁと荒い息をしている。
これだけの質量を持ち上げているんだ、無理もないか。
「小鉄、おいで」
俺は小鉄を抱き抱えた。
「俺の魔力を使ってやってみようか?」
小鉄はもう一度、体の奥から魔力を込め直す。
すると、あっという間に――ゴゴゴゴゴと、魔獣では到底超えられない高さの防護壁が完成した。
「これは、どこまで続いているのです?」
「見てれば分かる。少し待ってくれ」
時計回りに造形されていく防護壁が、一同の右側からぐるりと迫り上がってくる。
そしてやがて、検問所のトンネル部分にぴたりと繋がった。
「まさか、猛獣の森を一周してきたのですか?」
「ああ」
「なんて強大な力……さすがザーク様」
「俺は魔力を貸しただけだ。褒めるなら小鉄を褒めてやってくれ」
これで、このトンネルだけが唯一の出入り口になる。まずはここさえ突破されなければ、被害は出ないはずだ。
「次は」
トンネルの脇から、馬車でも上れそうな幅の石畳の道が、防護壁の上へと伸びていく。
石畳は規則正しく、隣国があるという方向へまっすぐ延びていった。
「なんと雄大な光景だ」
ボルガが感動したように呟いている。
魔獣が寄りつけないほどの高さ。これで、道の整備もできた。
そう思っていた矢先だった。
「おい、魔族ども」
野太い声が背後から響いた。振り返ると、そこにいたのは――
まさかの、軍勢を引き連れた国王と、その国王軍だった。




