ep13 お風呂を作ろう 後編
皆でイメージ図を眺める。
「――やはり、和風のテイストは外せないな」
「和風?ですか?」
ザークは一人、深く頷いた。前世が日本人だった以上、この一点だけは、絶対に譲れなかった。
「建築の職人は……いないか?」
「検問所に、一人、ドワーフの職人がいますので、呼びましょう」
そう言うと、リリアはすぐに人をやった。
ほどなくして、がっしりとした体躯に、立派な髭をたくわえたドワーフが、中庭に姿を現した。
「魔王様。イメージ図、拝見いたしました」
ドワーフの職人は、図面を広げながら、感嘆したように唸った。
「素晴らしい構図でございます。長年、石と木を扱ってまいりましたが、これほど独創的な設計は、初めて目にしました」
「あぁ、よろしく頼む」
図面には、檜風呂の構図と、露天風呂の構図が、両方とも描かれていた。
「この図面も魔王様が?」
「あぁそうだ寸法などはざっくりだからそこは任せる」
「承知いたしました。」
「まず、屋内の檜風呂。各所に排水溝を作り、そこへ魔石を埋め込む。湯の掃き出し口には、赤と青の魔石を仕込んでおく」
「なるほど……先ほど拝見した、お湯を出す魔石の仕組みですな」
「露天風呂の方は、岩風呂だ。底に、あの透明な浄化の魔石を仕込む」
「ほう」
「そして、無造作に組み上げた岩壁の上にも、もう一つ仕込む。……打たせ湯と、滝の演出だ」
「――!」
ドワーフの目が、みるみる輝いていった。
「魔王様、こいつは……男心をくすぐる設計ですな。滝の裏に打たれるなど、聞いただけで胸が熱くなります」
「分かってくれるか」
「もちろんです! ドワーフの血が騒ぎます!」
意気投合した二人を見て、リリアたちは顔を見合わせ、小さく笑った。
「よし、それじゃあ、資材の調達に向かうか」
「――俺は、ガレオンが言ってた香りのいい木が気になる。木材調達に同行しよう」
「分かりました」
石材の採掘は荒野へ向かうことになっていたが、いざ班分けをしようとすると――
「……あれ?」
ドワーフ以外の全員が、綺麗にザークの後ろへ並んでいた。
「お前ら、なんで全員こっちなんだ」
「えっ、だって、ザーク様と行きたいですし」リリアが当然のように答える。
「こ、これじゃあ、班が分けられないじゃないか」
誰も譲る気配はなく、リリア、ガレオン、メルティナ、ドルシア、セレナの間で、小さな小競り合いが始まった。
「では、こうしましょう」
声を上げたのは、ドワーフの職人だった。
「私一人で地層を調べ、防水効果に適した採掘場所を探して参ります。魔王様は、皆さんと納得のいく木材を選んできてください」
「そうか。……助かる」
ザークがドワーフを見ると、あからさまに「ナイスアシストをしてやったぜ、俺は」と言わんばかりの顔で、こちらを見返してきた。
(――こいつ、憎めないやつだな)
「う、うむ。じゃあ、お願いできるか。……そういえば、名前を聞いていなかったな」
「ボルガと申します」
「ボルガか。頼んだぞ」
「かしこまりました」
ボルガは深々と一礼すると、荒野へ向けて歩き出した。その途中、一度だけ振り返り、ザークに向かってニヤリと目配せをしてくる。
(……面白いやつだな)
心の中で、そう思わずにはいられなかった。
思えば、こちらへ来てから――贅沢な話だが、周りは女性ばかりで、男と気安く軽口を叩き合うようなことは、一度もなかった。
(後輩ができたような気分、ってやつか)
その感覚は、決して嫌なものではなかった。
――《スキル「アオハル」が発動しています》
「うん。自覚してる」
この世界に、檜そのものがあるとは限らない。それでも、あの独特の香りと肌触りに近いものを、なんとか見つけ出したかった。
「森の奥に、香りのいい木があったと思います」ガレオンが先導するように歩き出した。「あれなら、近いかもしれません」
一行は森へ入ってすぐ、手分けをすることにした。リリアたちは薬草や下草の状態を確認しながら別方向へ、ザークはガレオンの案内で、記憶にあるという奥地の大木を目指す。
気づけば、木々の合間から差し込む光の他には、物音一つしない静けさの中、二人きりになっていた。
やがて、ガレオンが足を止めた場所には、白い花を咲かせた、見慣れない大木が立っていた。近づくと、ふわりと、どこか懐かしい、甘く爽やかな香りが漂ってくる。
「――これだ」
ザークは、思わず幹に手を触れた。檜そのものではないが、香りも木目も、驚くほど近い。
「よく覚えていてくれたな、ガレオン」
「え、あ、はい! ザーク様の役に立てたなら、僕、嬉しいです!」
ガレオンは、照れたように頬を染めながら、木の幹をとんとんと叩いた。
「加工がしやすいように、まずはこの辺りから伐っていきましょう」
「頼む」
斧を構えたガレオンが、足場を確かめようと一歩踏み出した瞬間、折れて積み重なっていた枝が、ぐらりと崩れた。
「――っ!」
足を滑らせ、斜面へと体が傾ぐ。
「危ない!」
ザークはとっさに手を伸ばし、ガレオンの腕を掴んだ。だが、勢い余って支えきれず、二人はもつれるように地面へ倒れ込んだ。
気づけば、唇に、柔らかい感触があった。
「――え」
目を丸くして、互いに見つめ合う。
「い、いや、すまない、これは……」
慌てて離れようとするが、ガレオンは、驚いた表情のまま、なぜかずっと目を閉じている。
柔らかい。
これまで感じたことのないほど、間近に、ガレオンの吐息を感じた。
普段は快活で、やんちゃな「僕っ子」であるはずのガレオンが、今だけは――女の顔をしている。
(――可愛い)
素直に、そう思ってしまった。
唇を、離すことができなかった。
気づけば、ガレオンの手が、自分の服の裾を、ぎゅっと握りしめているのが見えた。ザークは、その手に、そっと自分の手を重ねる。
ガレオンの肩が、ピクッと小さく跳ねた。だが、振り払おうとする様子は、なかった。
胸の高鳴りが、まるで小動物のように速くなっていく。触れ合った体を通して、ガレオンの鼓動までもが、伝わってくるようだった。
そのまま、そっと、ガレオンの胸に手を添える。
「――んっ」
唇を交わしたまま、ガレオンが、吐息のような小さな声を漏らした。
「――すごい音がしましたけど、ザーク様ぁー!」
遠くから、リリアの声が響いた。
二人は、弾かれたように離れようとした。だが、握り合ったままの手だけは、なぜか離れずに残っていた。
息を切らして駆けつけたリリアは、その光景を見て、ぴたりと足を止めた。
「――無事でしたか、お二人とも? ……そして、なぜ、手を握っているんでしょうか?」
「い、いや、これは、その」
ザークが慌てて言い訳を探すが、うまい言葉が出てこない。
ガレオンは、顔を赤くしたまま、ただ俯いていた。
「ガ、ガレオン。……さっきのは、事故だ。すまない」
「――事故なんて、言わないでください」
消え入りそうな声で、それでもはっきりと、ガレオンはそう言った。
百体の魔獣にも、幻獣種の黒龍にすら怯まなかった魔王の力が、目の前の、たった一人の女の子の言葉一つに、まるで敵わない。
(――なんだ、この感覚は)
心臓が、うるさいくらいに鳴っていた。
「……分かった。事故とは、言わない」
それだけ言うのが、精一杯だった。
慌てたように離れていくガレオンの背中を見ながら、ザークは、少しだけ胸のざわつきを覚えた。
木材を担ぎ、集合場所へ戻ると、既に薬草の採取を終えていたリリアたちと合流した。だが、どこか浮かれた様子のガレオンと、それを横目でちらちらと見るザークの空気に、リリアは何かを感じ取ったらしい。
「――お二人とも、何かありました?」
「い、いや、何も」
「別に、何もないですよ!」
息の合った否定に、リリアの微笑みが、心なしか硬くなった。
「そうですか」
その目の奥に、これまでとは少し違う色が、確かに浮かんでいた。
ザークはまだ、気づいていない。この森の奥で芽生えつつある感情が、ただの忠誠や好意の域を、少しずつ超え始めていることに。
それぞれが目的の資材を手にしていく中、ザークは、完成した時の光景を思い描きながら、小さく笑みを浮かべていた。
(――檜に似た木の香りに包まれながら、皆で温泉に浸かる。……最高じゃないか)
木材を抱えて城へ戻ると、既に荒野から戻っていたボルガが、良質な石材を大量に積み上げて待っていた。それも、明らかに一人で運べる量を超えた石材が、山と積まれている。
「魔王様、石の方は問題なさそうです。防水効果も申し分ありません」
「……お前、調査だけって言ってなかったか? これ、どう見ても調達までやってるだろ」
「へへ、それほどでも」
「有能すぎるだろお前」
「魔王様のためならば、こんなこと造作もございません」
誇らしげに胸を張った、その直後だった。
「――ゴフッ」
ボルガが、口元を押さえながら血を吐いた。
「え!?」
「い、いえ。良質な粘土や石材を運ぼうとして、一度、下敷きになりまして」
「下敷きになってから、どうやって帰ってきたんだ」
「……気合いで」
「血吐いたら、もう終わりじゃないか!」
パァ、と、ボルガの体が、淡く光り始めた。だが、それは治癒の技などではない。命の灯が尽きかけている者が発する、儚い光だった。
「――っ、おい! 死にかけてるじゃないか!」
ザークは血の気が引くのを感じながら、慌てて手をかざした。淡い光と共に、青ざめていたボルガの顔色が、みるみる戻っていく。
「全く、無理をするんじゃない。お前がいなかったら、風呂が完成しないんだからな」
「……ありがたきお言葉」
ボルガは、目元を拭うようにしながら、深く頭を下げた。
「魔王様に、いいところをお見せしたい一心で……無理をしてしまいました」
「分かってくれたなら、もう大丈夫だ」
頭を掻きながらも、まんざらでもなさそうなボルガを中心に、建設は驚くほどの速さで進んでいった。
石を積むのはボルガとメルティナ。魔石の配線――というより、配置を担うのはドルシアとザーク。木材を加工するのはガレオンとキャロット。そして、全体の指揮を執るのはリリアだった。
「ザーク様、こちらの魔石の埋め込み位置、これで合っていますか?」
リリアが図面を片手に、屈み込んでザークの隣に顔を寄せてくる。距離が近い。
「あ、ああ、そこで合ってる」
「……何か、緊張されてます?」
「してない」
リリアは、くすり、と小さく笑った。その笑顔に、ザークの方こそ、妙に落ち着かない気持ちにさせられる。
一方、少し離れた場所では、木材を運ぶメルティナが、うっかり足を滑らせていた。
「――っと」
とっさに、ザークが駆け寄って支える。細い体を抱き留める形になり、メルティナの髪から、ふわりと石鹸のような清潔な香りがした。
「大丈夫か?」
「……は、はい。ありがとう、ございます」
メルティナにしては珍しく、声が上ずっている。いつも規則正しく淡々としている彼女の頬が、うっすらと朱に染まっているのを見て、ザークは思わず目を瞬かせた。
(……メルティナも、こんな顔するんだな)
その様子を、少し離れた場所から、ドルシアが眼鏡の奥の目を細めて見ていた。
「――ザーク様。魔石の在庫の件で、少しお時間よろしいでしょうか」
わざとらしいほど、事務的な声だった。だが、報告を終えた後も、なぜかドルシアはその場を離れず、そっとザークの隣に並んで作業を続けていた。
「……ドルシア?」
「いえ、これも財務部の管轄ですので」
まったく管轄ではないのだが、指摘する気にはなれなかった。
セレナは、少し離れた場所から、水属性の魔石を使って水を運ぶ作業を担当していたが、ふとした瞬間、ザークと目が合うたびに、そっと視線を逸らしては、また盗み見るように戻す、というのを繰り返していた。
「……セレナ、水、こぼれてるぞ」
「え!? あ、す、すみません!」
気づけば、六人それぞれが、思い思いの距離感で、ザークとの時間を確かめるように、作業に励んでいた。
(……なんだろう、この空気)
誰か一人が特別というわけではなく、けれど、それぞれが、確かに違う熱を持って、こちらを見ている。ザークは、その正体に、まだ名前をつけられずにいた。
「魔王様、少しよろしいですか」
建設も佳境に差し掛かったある日、ボルガが図面を片手に、難しい顔でザークのもとへやってきた。
「この部分なのですが……今の建築技術では、再現するのが不可能な部分がありまして」
「なるほど」
ザークは腕を組んだ。
「……仕方ない。諦めて、違う設計に変えるか」
そう話していると、ザークの肩に乗っていたゴーレムの小鉄――そう名付けたチワワ姿のゴーレムが、ひょいと身を乗り出し、図面を覗き込んだ。
「小鉄? どうした」
五秒ほど、じっと図面を見つめていた小鉄は、やがてザークの肩から飛び降りると、小さな体から魔力を発した。
ゴゴゴゴゴ、と地面が唸る。
見る間に、不可能だと言われていた部分の岩組みが、あっさりと形作られていった。
「な、なんと……!」
ボルガが、目を丸くして絶句する。
「小鉄、すごいじゃないか」
ザークは、しゃがみ込んで小鉄の頭をスリスリと撫でた。小鉄は、誇らしげに「ワン!」と一声鳴く。
(――そうか。小鉄は、元はゴーレムだったんだったな。地形を操れても、不思議じゃないか)
思わぬ助っ人の活躍もあり、工事は、さらに勢いを増していった。
そうして、数日をかけての突貫工事は、ついに最終日を迎えた。
外壁で囲い天井は開放感ある吹き抜けになっていて空を一望できる。
露天風呂は魔王城防護壁を一部撤去。景色が一望できるつくりに。
「――完成です!」
ボルガの声を合図に、覆っていた布が取り払われる。
中庭の一角に現れたのは、木の香り漂う檜風呂の湯屋と、岩を組み上げた露天風呂。滝のように流れ落ちる水は、陽の光を受けて、きらきらと輝いていた。
「おお……!」
一同から、感嘆の声が漏れる。
ザークが試しに魔石へ魔力を通すと、掃き出し口から、ちょうどいい温度の湯が、とくとくと湧き出してきた。
「成功だ」
「私も、お手伝いします!」
張り切ったセレナが、露天風呂の湯船に、追加の湯を注ぎ始める。だが、あまりの嬉しさに、止め時を見失っていたらしい。
「セレナ、お湯溢れてるぞ」
「――え? わ、わわっ!」
慌てて魔石から手を離すセレナに、その場の空気が、どっと和んだ。
「素晴らしいです、ザーク様!」
リリアが目を輝かせながら、湯気の立つ湯船を覗き込む。
「早速、入ってみたいです」
「私も」「僕も!」「わ、私もです」
女性陣の視線が、一斉にザークへと集まった。
「……いや、俺は別に、一緒に入るとは言ってないんだが」
「え? 違うんですか?」
きょとんとした顔で、五人が首を傾げる。
(――そうか。この世界には、混浴が変なことだという概念自体、ないのか……)
説明しようとして、ザークは一瞬、言葉に詰まった。
「……いや、まぁ。今日のところは、まず皆で完成を祝おう。キャロット。準備は出来ているか?」
「そういえば途中からキャロットの姿見なかったですね」
「ああ先が見えたので先に宴の準備をお願いしといたんだ」
「素晴らしい段取りです。」
そしてキャロットのネーミングも素晴らしくなった。
料理が並ぶ。
「各部署各人員の素晴らしい方々の助力をいただき素晴らしいお風呂が完成いたしました。完成を祝しまして」
「ザーク様?その話し方は一体?」
(しまった。こう言う時はサラリーマンだった時の口調が拭いきれない。)
「こう言う時はこう言うのが普通だっ」
と言い張るザーク。
「そうなのですね勉強になります。」
とリリアはメモをとっていた。
(よしごまかせたな。)
「よし行くぞっ!!」
とメモを取るリリアの手を取り
「「「乾杯っ」」」
この世界で初めて形に残るプロジェクトを完成させた様でこの俺の心は満たされていた。
皆も達成感でいっぱいの顔をしている。
よかった。
ザークの脳裏には、先ほどまでの――それぞれの距離の近さ、それぞれの熱の込もった視線が、鮮やかに焼き付いていた。
(――これから、どうなっていくんだろうな、俺)
魔王城の中庭に、新しい景色と、そして新しい関係の予感が、静かに生まれ始めていた。




