第5話 プラネタリウムを作ろう
月城さんが入部した翌日、部室の黒板には、昨日ひかりが書いた文字が残っていた。
『四人』
その下には、少し小さな字で、
『活動内容を決める』
と書かれている。
「消してないんだ」
部室へ入ったひかりが、うれしそうに黒板を見上げた。
「朝倉さんが消さずに帰ったから」
黒瀬先輩は机の上へ資料を並べながら答える。
「先輩も消さなかったでしょ」
「今日使うと思ったから」
「四人の方も?」
「それは消していい」
「残します」
ひかりは即答し、『四人』の文字を囲むように大きな丸を描いた。
「目立ちすぎない?」
私が言う。
「大事なことだから」
「活動内容を決める方が大事では?」
月城さんが、ひかりの隣から黒板を見る。
「それも大事。でも、こっちは記念」
「何の記念ですか?」
「天文部が四人になった記念」
「昨日も十分に喜んでいたと思います」
「喜びに回数制限はないよ」
「そうですか」
月城さんは完全には納得していない顔をした。
それでも、囲まれた『四人』を消そうとはしなかった。
「座って」
黒瀬先輩の言葉で、私たちは机の周りへ集まった。
机の中央には、文化祭の企画書が一枚置かれている。
上の欄には部活動名と提出期限だけが印刷され、それより下は空白だった。
「文化祭まで、どれくらいありますか?」
私が尋ねる。
「約三か月」
「まだ先ですね」
「企画書の提出は来月」
黒瀬先輩が用紙の右上を指す。
思っていたより早い。
「内容を決めて、必要な教室や機材も申請しないといけない」
「文化祭は九月なのに?」
ひかりが首を傾げる。
「学校側は、全企画を調整する必要があるから」
「もっと直前に決めるものだと思ってた」
「朝倉さんに任せたら、前日に決めそう」
月城さんが言う。
「さすがに前日はないよ」
「三日前ですか?」
「一週間前くらい」
「十分に遅い」
黒瀬先輩が言い切った。
ひかりは机へ頬杖をつく。
「でも、何をするか決まってないんですよね」
「だから今日は案を出す」
黒瀬先輩は企画書の隣へ白い紙を置いた。
「できるかどうかは後で考える。まず、思いついたものを出して」
「何でもいいんですか?」
「天文部の活動として説明できる範囲なら」
「月の形をしたクッキーを配る」
「食品の提供には別の申請が必要」
「もう却下された」
「天文部の活動でもない」
ひかりは残念そうに椅子へ座り直した。
「展示が無難だと思います」
月城さんが言う。
「天体写真や星座の解説を掲示する形式です」
「去年はそれに近かった」
黒瀬先輩が答える。
「部室の前に写真と観測記録を貼った」
「人は来ましたか?」
「ほとんど」
「ほとんど来た?」
ひかりが聞き返す。
「ほとんど来なかった」
「省略する場所が悪いですよ、先輩」
「昼休みに数人。あとは卒業生が一人」
「少ないですね」
月城さんが率直に言った。
四人になっても、文化祭で活動実績を残さなければ、正式な存続は認められない。
昨年と同じ展示だけでは、十分とは言えなかった。
「人が来てくれるものにしないといけないんですね」
私が言う。
「そう」
「でも、天文部なのに、昼間の文化祭では星を見せられません」
「望遠鏡を並べても、昼間は難しい」
黒瀬先輩が答える。
「星を見る部なのに、星を見せられないんだね」
ひかりの言葉に、全員が少しだけ黙った。
雲や時間に左右される以上、仕方のないことだった。
「写真なら見せられます」
私は言った。
「黒瀬先輩が撮った写真や、これまでの観測記録を並べるなら」
「それだけだと昨年と同じになる」
「私がこれから撮った写真も使えますか?」
「もちろん」
黒瀬先輩はすぐに答えた。
「ただ、写真を並べるだけでは、人が長く留まらないと思う」
「星座の説明をつけるとか?」
ひかりが言う。
「それなら展示としては分かりやすいです」
月城さんが白い紙へ、
『写真展示』
『星座解説』
と書く。
「でも、もう少し目を引くものが必要ですね」
案が止まり、部室が静かになった。
ひかりがペンを持ち、紙の端に星の絵を描き始める。
「朝倉さん」
「考えてます」
「星を描いているように見えます」
「星を見ながら考えてるの」
「実際の星は、その形ではありません」
「絵ではこれが一番伝わるの」
二人のやり取りを聞きながら、私は部室の棚へ視線を向けた。
古い天文雑誌。
何冊もの星座の本。
三脚とカメラ。
そして、棚の上に置かれた古い投影機。
月城さんが入部する前に見つけたものだった。
「あれを使うのはどうですか?」
私が指すと、三人の視線が棚へ向いた。
「投影機?」
ひかりが椅子から立ち上がる。
「教室を暗くして、星を映すとか」
「プラネタリウムですか」
月城さんが投影機を見上げる。
「それなら、天気や時間に関係なく星を見せられます」
「文化祭でプラネタリウム!」
ひかりの声が明るくなった。
「それ、絶対に人が来るよ」
「まだ使えるか確認していない」
黒瀬先輩はすぐに注意した。
「昨年は動いたんですよね?」
「昨年の春までは」
「まず、動作確認が必要ですね」
月城さんは投影機へ近づき、少し離れた場所から全体を確認した。
「仮に動いたとしても、教室全体へ映すには光量が足りない可能性があります」
「暗くすれば?」
ひかりが尋ねる。
「教室全体を完全に暗くするのは難しいです。窓や扉から光が入ります」
「カーテンを閉める」
「隙間があります」
「段ボールで塞ぐ」
「避難経路と換気の確認が必要です」
「月城さん、すぐ難しい話にするね」
「実際に行うなら必要なことです」
ひかりは不満そうにしながらも、否定はしなかった。
「教室全体を暗くしなくてもいいんじゃないでしょうか」
自分でも考えがまとまる前に、声が出ていた。
三人がこちらを見る。
「どういうこと?」
黒瀬先輩が尋ねる。
「星を映す場所だけ囲うんです」
「囲う?」
「黒い布や段ボールで、天井のある小さな部屋みたいなものを作って。その中だけ暗くするなら、教室全体を塞がなくてもいいと思います」
「簡易ドーム」
黒瀬先輩が言う。
月城さんも、机の上の紙へ視線を戻した。
「それなら、教室全体を暗くするより現実的です」
「中に椅子を並べて、星を映すんだね」
ひかりが紙へ大きな丸を描いた。
「入口はここ」
「一度に入れる人数は少なくなります」
「待っている人には、外で写真を見てもらう」
私が言う。
「写真展示も無駄になりません」
月城さんが丸の外側へ線を引く。
「星座の説明も掲示できます」
黒瀬先輩は、私が出した案を白い紙の中央へ書いた。
『簡易ドーム』
自分の言葉が、話し合いの中心へ残される。
これまでは誰かの意見を聞いていることの方が多かった。
自分が出した案を三人が使い、続きを考えていることが、少し不思議だった。
「それなら現実的かもしれない」
黒瀬先輩が言った。
その一言で、胸の奥にあった不安が少し小さくなる。
「中では何をする?」
ひかりが尋ねた。
「星を映すだけ?」
「星座をいくつか紹介する」
黒瀬先輩が答える。
「実際の空で見つける方法も説明する」
「先輩が話すんですか?」
「交代で」
「私は星の名前を間違えそう」
「台本を作る」
「それなら読めます」
「朝倉さんは、台本にないことを足しそうです」
月城さんが言う。
「楽しくするための話だよ」
「まずは台本どおりに読んでください」
「月城さんが監督みたいになってる」
「必要なら確認します」
ひかりは少し考えたあと、手を挙げた。
「私、ナレーションをやりたい」
「台本どおりに読むなら」
「ちゃんと練習するよ。暗い中で説明するなら、明るい声の方がいいでしょ」
ひかりの声はよく通る。
教室でも、離れた場所からすぐに分かる。
「朝倉さんが進行して、黒瀬先輩が星座を解説する形式がよいと思います」
月城さんが言う。
「二人で話すの?」
「一人が進行し、もう一人が詳しく説明します」
「掛け合いみたいで面白そう」
「ふざけすぎないで」
黒瀬先輩が先に釘を刺す。
「まだ何もしてません」
「する前に言っている」
ひかりは不満そうな顔をした。
けれど、ナレーションと書かれた横へ自分の名前を書き、すぐに機嫌を直した。
「映像も必要です」
月城さんが言う。
「投影機は星を映すために使うとして、写真や説明用の画像は、学校のプロジェクターで投影できます」
「普通の映像を映すものですよね?」
私が尋ねる。
「はい。上映の前後や、待っている人への説明に使えます」
「借りられるか確認が必要」
黒瀬先輩が企画書の端へ書き足す。
「簡単な映像編集ならできます」
月城さんが続けた。
「写真の切り替えや、字幕を入れる程度ですが」
「じゃあ、月城さんは映像担当?」
ひかりが尋ねる。
「勝手に決めないでください」
「嫌?」
「嫌ではありません。ただ、実際に使える機材を確認してからです」
「じゃあ、仮の映像担当」
「仮なら」
月城さんが受け入れる。
「私は写真?」
私は自分を指した。
「白石さんの写真は使いたい」
黒瀬先輩は迷わず答えた。
「文化祭までに撮ったものと、これまでの写真を選ぶ」
「でも、星の写真はまだありません」
「これから撮る」
「間に合いますか?」
「晴れた日に練習すれば」
迷いのない答えだった。
黒瀬先輩は、本当に私の写真を企画に使うつもりらしい。
うまく撮れるか分からない。
文化祭で人に見せられるものになるかも分からない。
けれど、最初から無理だとは言われなかった。
「やってみます」
「無理に全部一人で撮らなくていい」
「はい」
「これまでの天文部の写真もある。それと組み合わせる」
任せるだけでなく、困ったときには支えるつもりなのだと分かった。
少しだけ肩の力が抜けた。
「先輩は企画全体と星座の解説」
ひかりが紙へ書く。
「私はナレーションと宣伝」
「宣伝?」
「人を集めないといけないでしょ。ポスターを貼って、クラスの人にも声をかける」
「朝倉さんには向いています」
月城さんが言った。
「褒めてる?」
「はい。知らない人にも話しかけられるので」
「よかった。今度はちゃんと褒められた」
「前回も褒めたつもりです」
「もっと分かりやすく言って」
「検討します」
ひかりは満足そうに笑った。
紙の上に、四人の名前と役割が並んだ。
私の写真。
黒瀬先輩の解説。
ひかりの声。
月城さんの映像と機材。
どれか一つだけでは、今考えている星空にはならない。
「今までの案をまとめる」
黒瀬先輩は企画書へ目を落とした。
「簡易ドームの中で、短いプラネタリウムを上映する。星座を解説して、写真や映像も使う」
「昼の空から始めるのはどうでしょう」
私は言った。
「昼?」
「夕焼けや雲の写真から始めて、だんだん暗くなって、星が見えるようになる流れです」
文化祭のプラネタリウムなら、最初からきれいな星空を映すものだと思っていた。
けれど、私がこれまで撮ってきたのは、雲や夕焼け、窓枠の向こうにある空だった。
「星が見える前にも、空はあるから」
口にしてから、少し変な答えだったかもしれないと思った。
けれど黒瀬先輩は、すぐに否定しなかった。
「それなら、白石さんの写真を最初に使える」
「時間の変化を映像でつなぐんですね」
月城さんが言う。
「写真があれば、簡単な映像にできます」
「澪の写真から始まるんだ」
ひかりがうれしそうに言った。
「まだ決まってない」
「でも、いいと思う。いつもの空から始まって、だんだん星が見えてくるの」
いつもの空。
誰にも見せるつもりがなかった写真。
一人で見て、一人で残した空。
それが、文化祭で誰かに見てもらう映像の一部になるかもしれない。
「白石さん」
黒瀬先輩が私を見る。
「写真、選べそう?」
「やってみます」
「一人で決めなくてもいい。次に持ってきて」
「先輩も選んでくれますか?」
「必要なら」
いつもと同じ、短い答えだった。
それでも、胸の奥が少し軽くなる。
「私も見たい」
ひかりが手を挙げる。
「映像へ使えるか、私も確認したいです」
月城さんも続けた。
三人に見られると思うと、少し恥ずかしい。
けれど、嫌ではなかった。
「分かりました」
私はうなずいた。
◇
企画の大枠が決まると、次は必要なものを確認することになった。
黒瀬先輩は紙を新しく一枚取り出し、中央に線を引いた。
左に必要なもの。
右に確認すること。
「まず、投影機」
「動作確認」
月城さんが答える。
「プロジェクター」
「学校から借りられるか確認」
「暗幕」
「教室のカーテンだけでは足りない可能性があります」
「黒い布?」
ひかりが言う。
「量によっては予算がかかる」
「段ボールは?」
「ドームの骨組みに使えます。ただし、強度を考える必要があります」
「椅子」
「一度に何人入れるか決めてから」
「音響」
「教室のスピーカーを使えるか確認します」
月城さんは答えながら、紙の端へ小さな図を書いた。
四角い教室の中に、半円形のドーム。
入口と出口を分け、その外側に写真展示の場所を作る。
「入口と出口は同じでは駄目なんですか?」
私が尋ねる。
「人が重なる可能性があります。狭い場所では、分けた方が安全です」
「ドームに二つも穴を開けたら、光が入らない?」
ひかりが言う。
「布を重ねれば減らせます」
「カーテンみたいにする?」
「はい」
「作るの大変そう」
「四人で作るんでしょう」
月城さんは当然のように答えた。
その言葉に、ひかりが顔を上げる。
「月城さん、もうやる気だね」
「入部したので」
「それだけ?」
「企画には興味があります」
「楽しい?」
「まだ計画段階です」
「完成したら楽しいと思う?」
月城さんは図を見つめた。
「完成すれば」
「じゃあ、完成させよう」
「その前に、実現可能か確認してください」
「そういうところも月城さんらしいね」
「まだ数日しか知りませんよね」
「でも、ちょっと分かってきた」
ひかりが笑う。
月城さんは否定しなかった。
「今日はここまで」
黒瀬先輩が机の上の紙をそろえる。
「次は投影機の動作確認と、プロジェクターを借りられるか水野先生に相談する」
「ドームの試作品も作りたい」
ひかりが言う。
「まず、小さい模型からです」
月城さんが答える。
「本物を作った方が早くない?」
「失敗したときに材料が無駄になります」
「段ボールならまた集めればいいよ」
「集める手間も必要です」
「二人とも、次回にして」
黒瀬先輩が止める。
ひかりと月城さんは同時に黙った。
その様子がおかしくて、少しだけ笑ってしまう。
三人が私を見る。
「どうしたの?」
ひかりが尋ねる。
「何でもない」
「今、笑ったよね」
「二人が同時に止まったから」
「月城さんと一緒だった?」
「不本意です」
「そこまで言う?」
「朝倉さんも同じことを思ったでしょう」
「私はうれしいよ。息が合ってきたってことだから」
「そういうことではありません」
否定する月城さんの声は、最初に会ったときより少しだけ柔らかかった。
黒瀬先輩は企画書を持ち上げる。
まだ空欄は多い。
予算も、使える教室も、投影機が動くかどうかも分からない。
それでも、最初は白紙だった企画書に、四人で決めた文字が並んでいた。
『手作りプラネタリウム上映』
『写真・映像・星座解説を組み合わせた短時間上映』
「企画名は、まだ空白ですね」
月城さんが言う。
「今は内容を決めたばかりだから」
「『天文部プラネタリウム』でいいんじゃない?」
ひかりが言う。
「分かりやすいけど、そのまますぎる」
黒瀬先輩が答える。
「正式な企画名は、それでもよいと思います」
月城さんが言う。
「展示の題名を別に決めればいいのでは?」
「展示の題名?」
「来た人に見せる名前です」
ひかりが黒板へ向かった。
『活動内容を決める』
その文字を消し、新しくチョークを走らせる。
『プラネタリウムを作る』
その下へ、少し小さく書いた。
『四人で作る星空』
「勝手に決めないで」
黒瀬先輩が言う。
「仮です」
「都合のよいときだけ使うのね」
「先輩から教わりました」
「教えていない」
ひかりは笑いながらチョークを置いた。
月城さんは黒板を見つめたが、修正しようとはしなかった。
写真を選ぶことも、知らない人に見せることも、まだ少し怖い。
それでも、その文字を消してほしいとは思わなかった。
一人で見ていた空を、今度は四人で作る。
まだ形のない星空が、白い文字の向こうに見えた気がした。




