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一人で空を眺めていた私が、廃部寸前の天文部で先輩に恋をするまで  作者: situ725


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2/7

第2話 廃部まで、あと二人

 翌日の空も、予報どおり曇っていた。


 昼休みに教室の窓から見上げても、雲の切れ間は見つからない。昨日とほとんど同じ、白と灰色の空だった。


 星の撮り方を教えてもらえる天気ではない。


 それでも私は、帰る支度を終えたあとも席を立てずにいた。


 昨日の部室は静かだった。


 ひかりが話している間、黒瀬先輩は必要なことだけを返していた。無理に自己紹介を求めることも、入部を迫ることもなかった。


 あそこなら、教室より落ち着けるかもしれない。


 そう考えてから、私は鞄の横に置いたカメラへ目を向けた。


 ただ写真のことを教えてもらいたいだけだ。


 そう決めて、カメラを鞄の一番上へ入れた。


     ◇


 特別棟へ続く渡り廊下に入ると、窓を細かな雨粒がたたいていた。


 教室を出たときには降っていなかったはずなのに、いつの間にか雨が始まっている。


 昨日よりも、星が見える可能性は低そうだった。


 引き返す理由は増えたはずなのに、私はそのまま特別棟へ向かった。


 天文部の札がかかった扉の前へ着き、ノックしようと手を上げる。


 その瞬間、扉が勢いよく開いた。


「わっ」


 反射的に後ろへ下がる。


 出てきたひかりも驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。


「澪、来たんだ」


「危ない」


「ごめん。ちょうど職員室に行くところだったの」


「何をしに?」


「入部届を取りに」


「誰の?」


「澪の」


「いらない」


「まだ渡してないのに」


「取りに行く時点で分かるよ」


 ひかりは何も持っていない両手を背中へ隠すようにして、部室の中へ戻った。


「とりあえず入って。雨、降ってるんでしょ」


「少しだけ」


「じゃあ、なおさら」


 私は断る理由を探したが、見つけられないまま部室へ入った。


 黒瀬先輩は、窓際の机に座っていた。


 昨日と同じように書類が広がっている。今日はその隣に、小さなカメラと撮影記録らしいノートが置かれていた。


 黒瀬先輩がこちらを見る。


「こんにちは」


「こんにちは」


「来たのね」


 驚いているようには見えなかった。


「晴れてはいませんけど」


「見れば分かる」


「昨日、晴れた日に教えるって言っていたので」


「今日は教えられないとは言っていない」


 黒瀬先輩は机の上のカメラを手に取った。


「星は撮れなくても、設定は見られる」


「今、教えてもらえるんですか?」


「そのつもりなら」


 私がうなずくと、ひかりが満足そうに笑った。


「じゃあ、私は職員室に行ってきます」


「入部届はいらない」


「念のため」


「念のためでもいらない」


「すぐ戻るから待ってて」


 返事をする前に、ひかりは廊下へ出ていった。


 足音が遠ざかる。


 部室には、雨が窓をたたく音だけが残った。


「ごめんなさい」


 黒瀬先輩が言った。


「先輩が謝ることじゃありません」


「朝倉さんは、思いつくと止まらないから」


「知ってます」


「昔から?」


「小学生の頃からです」


「大変そうね」


「慣れました」


 黒瀬先輩の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 笑ったように見えたが、確かめる前には元へ戻っていた。


「座って」


 昨日と同じ窓際の椅子を示される。


 私は鞄を置き、そこへ腰を下ろした。


 黒瀬先輩は向かい側へ座ると、私のカメラへ視線を向けた。


「見てもいい?」


「はい」


 首から外して渡す。


 黒瀬先輩は両手で受け取り、レンズやストラップを確認した。


「大切に使っているのね」


「分かるんですか?」


「レンズに傷がない。ストラップもねじれていない」


「まだ買ってから一年くらいなので」


「自分で選んだ?」


「はい。最初はスマートフォンで撮っていたんですけど、もっときれいに撮りたくなって」


「何を撮ることが多いの?」


「空とか、校舎とか。あとは水たまりとか」


「水たまり?」


「空が映るので」


 黒瀬先輩は私のカメラから顔を上げた。


「見せてもらってもいい?」


「今ですか?」


「嫌なら見ない」


「嫌ではないですけど」


 カメラを受け取り、昨日撮った写真を表示する。


 灰色の空と校舎の屋根。


 窓枠を入れたもの。


 雨が降る前の、暗くなり始めた雲。


 黒瀬先輩は何も言わず、一枚ずつ画面を見ていた。


 黙って見られていると、急に写真がつまらないものに思えてくる。


「やっぱり、あまりうまくないので」


 画面を消そうとすると、黒瀬先輩が手を伸ばした。


「待って」


 指先がカメラの端に触れる。


 私は手を止めた。


 黒瀬先輩は、放課後の踊り場から撮った写真へ戻した。


「これは、どこから?」


「屋上へ続く階段の踊り場です」


「窓枠を入れたのは?」


「空だけだと、どこから見ても同じ写真になりそうだったので」


「同じにはならないと思う」


「そうですか?」


「空は毎日違うから」


 黒瀬先輩は窓の外へ目を向けた。


「雲の形も、明るさも違う。同じ場所から撮れば、その差が分かる」


 私はカメラの画面と、窓の外を交互に見た。


 似た写真を増やしても仕方がないと思っていた。


「黒瀬先輩は、同じ場所から撮ったことがありますか?」


「中学の頃に、一年間」


「毎日ですか?」


「学校がある日だけ」


「それでも、すごいです」


 黒瀬先輩は少しだけ視線をそらした。


「最初は記録のつもりだった。でも、あとから並べると季節が分かった」


「空だけで?」


「木や建物も入れていたから」


 黒瀬先輩はカメラを返してくれる。


「白石さんの写真も、空だけを撮っていない」


「それは、褒められてますか?」


「褒めている」


 即答だった。


 返事を忘れ、手元のカメラを見る。


 自分の好きなものを、誰かに見せることはほとんどなかった。


 良いと言ってほしい自分に気づくのが嫌だった。


 相手が困った顔をしたとき、見なかったふりをするのも疲れる。


 だから、誰にも見せない方が楽だった。


 けれど黒瀬先輩は、無理に良いところを探しているようには見えなかった。


「ありがとうございます」


 ようやく言うと、先輩は一度だけうなずいた。


「星を撮るときにも、地上の景色を入れる方法がある」


「星だけを撮るんじゃないんですか?」


「何を残したいかによる。景色と一緒なら、どこで見た空なのか分かる」


 黒瀬先輩は自分のカメラを操作した。


 画面に映ったのは、ほとんど真っ黒な写真だった。中央に白い点が一つだけ見える。


「星ですか?」


「街灯」


「星じゃないんですね」


「向きがずれていた」


 黒瀬先輩が次の写真を表示する。


 今度は、暗い空にいくつかの星が写っていた。


 鮮明ではない。


 それでも、白い点ではなく、本当に空に浮かんでいるように見える。


「同じ日に撮ったんですか?」


「一時間後」


「そんなに変わるんですね」


「設定を変えて、何度も試したから」


「黒瀬先輩でも、最初から撮れたわけじゃないんですね」


「最初からできる人は少ないと思う」


 その言葉を聞くと、見慣れないカメラの設定も、少しだけ試してみようと思えた。


「今の設定を見せて」


「はい」


 カメラを操作し、普段使っている画面を表示する。


 黒瀬先輩は椅子を寄せ、私の手元をのぞき込んだ。


 長い黒髪が肩から流れ、画面の端にかかる。


「このモードは?」


「いつもこれです」


「自動設定ね」


「駄目ですか?」


「駄目ではない。でも、星を撮るときは暗くなりやすい」


 黒瀬先輩がボタンを指す。


「ここで撮影モードを変える」


 言われたとおりに操作すると、見慣れない記号がいくつも表示された。


「難しそうです」


「今日は場所だけ覚えればいい」


「それだけでいいんですか?」


「晴れた日に実際に試す方が分かりやすい」


 説明を続けようとしたところで、廊下から足音が近づいてきた。


「持ってきました!」


 扉が開き、ひかりが紙を掲げて入ってくる。


「入部届!」


「走らないで」


「最後の三歩だけです」


 ひかりは私の隣へ来ると、机へ入部届を置いた。


 部活動名の欄には、すでに「天文部」と書かれている。


「はい、澪」


「書くとは言ってない」


「でも、今日も来たよね」


「写真のことを教えてもらうため」


「入部すれば、いつでも教えてもらえるよ」


「そういう決め方でいいの?」


「いいんじゃない?」


 ひかりは黒瀬先輩へ顔を向けた。


「先輩もそう思いますよね」


「本人が決めること」


「先輩は慎重すぎます」


「朝倉さんが急ぎすぎる」


「でも、部がなくなるかもしれないんですよ」


 ひかりは笑ったまま言った。


 けれど、入部届の端を押さえる指には、少し力が入っていた。


 私は机の上の紙へ目を向ける。


「本当に、四人いないと駄目なんですか?」


「正式な部として認められる最低人数が四人だから」


 答えたのは黒瀬先輩だった。


「四人集まらなかったら?」


「来年度は部ではなくなる」


「部室も使えなくなるんですか?」


「たぶん」


 黒瀬先輩は淡々と答えた。


 部室を見回す。


 色あせた本。


 小さな望遠鏡。


 棚に置かれた古い機材。


 昨日初めて入った場所なのに、なくなると聞くと少しだけ落ち着かなかった。


「でも、私が入っても三人ですよね」


「ええ」


「もう一人は?」


「探す」


「まだ決まってないんですか?」


「決まっていたら、ここまで困っていない」


 正しい答えだった。


 名前を書けば、部を残すための一人として数えられる。


 そう考えると、ペンを取る気にはならなかった。


「無理に書かなくていい」


 黒瀬先輩が言った。


「でも、先輩」


「人数を埋めるためだけに入っても、続かない」


 黒瀬先輩は私を見る。


「白石さんは、どうしたい?」


 答えを求められ、視線を入部届へ落とす。


 どうしたいのか。


 天文部を救いたいと思っているわけではない。


 星に詳しくなりたいと、はっきり決めたわけでもない。


 ただ、昨日と今日、ここにいる時間は嫌ではなかった。


 ひかりは相変わらずよく話す。


 黒瀬先輩は静かで、必要以上に何かを聞いてこない。


 私は写真を撮り、窓から空を見られる。


 ここでは、誰かが話している間に、必ず返事を考えなくてもよかった。


「毎日来たり、必ず何か話したりしないと駄目ですか?」


 黒瀬先輩はすぐには答えなかった。


 ひかりも黙っている。


 雨の音が、窓を細かくたたいていた。


「言えない日があってもいい」


 黒瀬先輩は静かに言った。


「でも、白石さんが何か言いたいときは、聞く」


 その言葉を、すぐには理解できなかった。


 何も言わなくてもよい、ではない。


 言いたいときには聞く。


 無理に求められないことと、最初から必要とされないことは、少し違うのかもしれない。


 私は机の上のペンを取った。


「澪?」


 ひかりが驚いたように私を見る。


「静かにして」


「はい」


 入部届の名前の欄へ、ゆっくりと文字を書く。


 白石澪。


 書き終えてから、日付を記入した。


「本当にいいの?」


 さっきまで急かしていたひかりが、今度は慎重に尋ねてくる。


「ここなら、無理に話さなくてもよさそうだから」


 正直に答える。


 黒瀬先輩は入部届を受け取り、書かれた名前を確認した。


「分かった」


 それだけだった。


 歓迎の言葉も、握手もない。


 それでも、その短い返事の方が私には落ち着いた。


「これで三人!」


 ひかりが黒板へ大きく『あと一人』と書く。


「圧が強い」


「目標は分かりやすい方がいいでしょ」


「消して」


 ひかりは笑いながら黒板消しを手に取った。


 黒瀬先輩は止めなかった。


「白石さん」


 名前を呼ばれ、顔を上げる。


「活動日は決める。でも、無理をして来る必要はない」


「はい」


「来られる日に来ればいい」


 実務的な言い方なのに、その言葉を聞くと少しだけ肩の力が抜けた。


「分かりました」


「それから、明日はカメラを持ってきて」


「晴れるんですか?」


「夕方から雲が減る予報」


 黒瀬先輩は窓の外を見た。


「星までは難しくても、夕焼けは撮れるかもしれない」


「持ってきます」


 返事をしたあと、机の上の入部届へ目を向けた。


 自分で書いたはずなのに、その名前が天文部の一員として置かれていることに、まだ実感がなかった。


     ◇


 帰る頃には、雨はほとんど止んでいた。


 雲の向こうに夕日があるのか、西の空だけがわずかに明るい。


 私は特別棟を出る前に立ち止まり、カメラを取り出した。


 まだ夕焼けと呼べるほどの色ではない。


 それでも、校舎の端と空を一緒に画面へ収め、シャッターを切った。


 撮れた写真を確認する。


 昨日と似た灰色の空だった。


 けれど、見比べればきっと違う。


 カメラを鞄へ戻しながら、明日も忘れずに持ってこようと思った。


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