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【百合】犬猿三歩、恋一歩【R15版】  作者: むすび


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第7話 隠せていると思っているのはたぶん本人だけ(前編)

「よ、よろしくおねがいします!」


 まったくなにがなんだか訳が分からないわたしだったが、思わず反射的に大人の笑みを浮かべて返事をする。


 そうしながらも脳内では、え、ぜったい戌丸だよね? なになんでここに、今日大事な用事があるって。や、でもほんとに戌丸か? いやわたしが間違える訳がないけどいやでも! と、そんな思いがぐるぐると回っていた。


 そんなわたしのことなんて気にもせず、目の前の人は手元の資料に目を通したかと思うと「猿渡夜宵様でお間違いないですか?」と聞いてくる。


 なかなか理解が追いつかず、もう頭から煙が出そうなほど考え込んでしまいもはや言葉も出てこないのでひとまずこくりと頷いた。


 だがしかし、絶対にこの人は戌丸。


 だって普段はメガネで隠れて見えにくい目元のほくろの位置まで同じなんだから人違いな訳がない。


 名前だってまんまだし、えっ普通に誰がどう見たって戌丸じゃん。でもほんとになんでここに?


 いったん落ち着こうとハーブティーに手を伸ばしたものの「夜宵さんって呼んでもいいですか?」と突然予想もしなかったことを言われ思わず動揺する。


 こくこくと頷きながら震える指先ではカップをうまく掴めていなかったようで、手元にパシャリとかかってしまった。


「わっ」


 驚いたもののなんとかカップは落とさずに両手で支える。


 幸い残りは少なかったし、もう冷めていたので火傷を負うようなこともなかった。


 しまったな。ひとまず拭くものを貸してもらおうと顔を上げる。


 すると、勢いよく手を掴まれた。


 驚いて身体をびくりと揺らすと、戌丸らしき人は、慌てた様子で詰め寄ってきた。


「だだだだいじょうですか!?」


「……へ、いや、あの」


「いま氷と拭くもの持ってきます!」


「あ、いや氷は大丈夫です」


「いやいやいやいや大丈夫じゃないです!」


「いや、あの」


 人間というのは不思議なもので、自分以上に慌てている人間を目の前にして、逆に不思議なくらい落ち着いてきた。


 なんだろう。


 他人行儀な態度を取られてるからなのか、いつもよりもなんだか普通に話せる気がする。


 いまも普段の戌丸相手だったらきっと「はぁ? このお茶入れてもらってから一体何分経ったと思ってるんですかぁ〜?(意訳:予約してるのにお茶が冷めるほど待たせるってどうなってんのこの店は)」くらい言うかもしれないけれど、いまは「もう冷めてたので大丈夫ですよ」と普通に言えた。


「よ、よかったぁ……」


「あっ、でも拭くもの貸していただけるとありがたいんですが」


「はいすぐに!」


 そう言うとその人は走って受付のカウンターのなかへ。


 引き出しをあちこち開けるような音を立てながら合間で「あれぇ?」だとか「どこだろう?」なんて独り言が聞こえてくるものだから、わたしは思わずくすりと笑ってしまった。


 かわいい、普段はこういう感じなんだ。


 髪の毛は下ろしているだけかと思っていたけれど、よくよく落ち着いて見てみれば巻いているのかくせ毛なのか普段よりも少しくるくるしていて、なんだかドタバタと走っている姿も相まってまるで大きな犬のように見える。


 しっかりもののイメージとは真逆のそんな様子に、普段彼女に抱えている想いとはまた別の、庇護欲のようなものが掻き立てられる気がした。


「……あっよかった、あったあった」


 お目当てのタオルが見つかったのか、笑顔でこちらに向かってくる彼女に、あらかわいいと思わずきゅんとしてしまう。


「すみませんお待たせしてしまって。これで拭いてください」


「ありがとうございます」


 あれあれ。


 不思議なことに素直な言葉がひとつ出てくると、そこから先は皮肉や嫌味なんて全然思いつきもしない。


 向こうからもなにも言ってこないし。


 そんなことを考えながら、受け取ったタオルで濡れた箇所を拭いていく。


 とんとんと水分をタオルに染み込ませながら少し考えを巡らせた。


 戌丸、なんでここにいるんだろう。


 それになんで他人のふりまで。


 考えてもわからないことだらけだ。


 いやもう本人に聞いてみた方が早いかと顔をあげて唇を開いたけれど、心配そうにこちらを見守る彼女の瞳を見た途端になんだかちょっと怖くなってしまい、なにも言わないまま唇をきゅっと結んだ。


 気にはなる、気にはなるけれど。


「……すみません、ありがとうございました」


「いえ! お怪我がなくてよかったです」


 疑問は無理矢理押し込め、お礼を言ってから濡れたタオルを戌丸に手渡す。


「お洋服も濡れてませんでした?」


 ──だっていまなら、この状況でなら、不思議だけど戌丸と普通に話せそう、な気がする。


 ずっと夢見ていたこの状況に自ら水を差すようなことはしたくない。


 だから大丈夫。平常心、平常心よ夜宵。


「大丈夫です」


 そう言いながら、言い聞かせながら、わたしはにっこり微笑む。


 そうすると部屋の準備はもう整っていたらしく「ご案内しますね」と言われ、促されるまま席を立った。

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