第10話 施術とオキシトシン
脱衣所から先ほどの部屋へ続くドアを開くと、照明はすっかり落とされアロマキャンドルの灯りがゆらゆらと揺れていた。
ベッドのそばに立っていた戌丸は、わたしに気がつくとすぐにそばへやってくる。
脱衣所の電気をさっと消しドアを閉め、そしてエスコートするようこちらに手を差し出した。
「夜宵さん、さぁこちらへどうぞ」
わたしは緊張の解けないままゆっくりとその手をとる。
そして手を引かれ、ふたりでともにベッドへ腰掛けた。
「結構ゆっくりでしたけど、のぼせてませんか?」
「えぇ、まぁ」
あなたにどこをどう触られようと、どこをどう舐められようと問題ないくらい全身ぴっかぴかに磨き上げてきました、だなんて言えるはずもなく。
真っ赤に染まっているであろうわたしの顔が、薄ぼんやりとした部屋のなかでは見られていないことをねがった。
「えー、まずはですね、本日はこちらを使います」
そう言うと彼女はサイドテーブルからガラスの小瓶を手に取る。
きゅぽんと音を立ててコルクの蓋を開くとこちらへ向けられたので顔を寄せる。
そうするとメープルシロップのような甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「……いい匂い」
パンケーキ食べたくなっちゃいそう。
ぽそりとそんなことを呟くと戌丸は「パンケーキはないんですけど」と前置きしてから「これは食べれますよ」と教えてくれた。
「へぇー」
「美容にもいいんです」
そうなんだ、そういうのもあるんだと少し驚いていると、戌丸はその小瓶のふたを開けたままサイドテーブルへ戻す。
そして腰掛けていたベッドから立ち上がり、わたしにうつ伏せに横になるよう促した。
「上からタオルをおかけしますので、バスローブは脱いでくださいね」
「はい」
厚いタオルの敷かれたベッドへ膝からのし上がると、普通のベッドとは違い身体が沈むような感覚はない。
少し躊躇してからバスローブの腰紐を一気に解き、あまり見られないうちにさっと脱いですぐにうつ伏せになった。
戌丸はすぐに上からタオルをかけてくれたようで、肩の辺りから太ももの辺りまで覆われたのがわかる。
そうするといよいよかと思い、わたしはぎゅっと目を瞑った。
「まずは足から始めていきます。痛いなーとか嫌だなーとかあったらすぐに言ってくださいね」
「はい」
はいだなんて返事をしておきながら、わたしの心臓はどどどどっとありえないほど早鐘を鳴らしている。
そんなわたしを知ってか知らずか、戌丸からは「身体の力抜いてくださいね」と声をかけられた。
力なんて抜けるわけないと思いつつ、深呼吸を繰り返す。
ことりと何かを置く音が耳に入り、あぁサイドテーブルに先ほどの小瓶を置いたのかと思い至る頃には、彼女の手のひらがわたしの足に触れていた。
「っ……」
ひくりと身体が小さく跳ね、声が漏れそうになるのをぐっと堪える。
気付かれていないだろうかと緊張が走ったけれど、戌丸は特に気にならなかったのかそのまま爪先から足首の辺りまで両足にぬるぬると滑りのある液体を塗りつけていく。
そこから土踏まずを指圧され、先ほどとは違う理由で小さく声が漏れた。
「ん、……」
思わず声が漏れてしまい恥ずかしいと思ったのも束の間、ぐっと沈み込むような心地よい感覚に、身体の力がじわじわと抜けていく。
弱過ぎず、強過ぎない力加減に、緊張がゆるゆるとほどけていくのを感じた。
彼女は足の指一本一本の間に細長い指を挟ませ、ぎゅ、ぎゅとほぐしていく。
それだけでも日頃酷使しているそこはとても気持ちが良かった。
「痛くありませんか?」
「すっ……ごい、きもちいです……」
「それはよかったです」
ぬちぬちと音を立てながら彼女の指がわたしの足の上を滑り、触れられた箇所からじんわりと熱を持っていく。
お風呂上がりで既に身体は温まっていたと思っていたけれど、さらにほかほかと血行がよくなるのがわかる。
人の手で身体を解されるのがこんなに気持ちがいいとは知らなかった。
そうなるともう、わたしのなかで好きな人に触れられる緊張感が保てなくて、心地良い手のひらに全身が脱力してしまう。
だんだんと気持ち良さからうとうと船を漕ぎ始め、よだれがこぼれそうになるのをとろとろに溶かされた脳で必死に耐えていたが、決壊は近いのかもしれない。
そのくらいわたしはリラックスしてしまっていた。
「このまま少しずつ上に移動していきますね」
その言葉にはーいと返事を返したものの、うつ伏せのまま返したそれは随分くぐもっていた。
戌丸の手が一度離れ、再びことりと小瓶を置く音が聞こえると、わたしのふくらはぎにぬるりとした感触のそれが塗り込められる。
筋に沿うように親指がぐっと滑っていき、思わず「あ゙ー」と声が漏れた。
どうしよう、びっくりするほど気持ちがいい。
これからも通いたいなぁ。
いやでもそれはさすがにダメだよなぁなんて考えていると彼女の手はじわじわとあがっていき、膝裏を指圧した後太ももに触れた。
ぬるぬると滑りのよくなった手で、膝裏からお尻へ向かって何度もぐーっと押し上げられる。
身体の上にかけられたタオルも同じように押し上げられ、お尻がぎりぎり隠れているくらい際どい格好をしてしまっているのはわかっていたけれど、このときは恥じらいよりも先に気持ちよさが優っていた。
思考がとろとろに蕩けてしまったわたしはもはやなにも考えることはできなくて、ただただ為されるがままに凝りをほぐされていた。
好きな人に触れられている喜びだとか、大人のマッサージのことだとか、このときばかりはすべて頭から吹っ飛んでいたのに。
けれど彼女の手がさらに上、お尻に触れてからじわじわと身体は熱を持ち始めてしまった。
尻たぶを両手で支え、親指でぐりぐりと筋肉に沿うように外側へ向かって揉まれていた頃はなんともなかったのに、足の付け根の辺りを何度も擦られているうちに、わたしの唇からはどんどん熱いため息がこぼれた。
先ほどまでの気持ちよさとは少し違う、けれど決して嫌ではない類のもの。
ほんの小さな火種を得た身体はゆっくりと、けれど確実に熱を帯びていきそれはやがて全身にゆるゆると広がっていく。
お腹の奥からじんわりと熱くなるようなそれに、抵抗することができない。
いや、する必要もなかった。
「そろそろ上半身をほぐしますね」
「……はい」
そういうとベッドがわずかにぎしりと音を立て、彼女の手のひらがタオル越しに背中に触れる。
直接見ずともわたしの身体の上に馬乗りになっているであろうことはすぐに理解できた。
無理矢理押さえつけられているわけでもないのに、身体の自由を奪われるようなそれにくらくらして、彼女の一挙手一投足すべてに身体が反応してしまう。
上半身のタオルを腰の辺りまで下げられて、そのわずかな衣擦れでさえ身体がひくりと小さく跳ねた。
唯一お尻だけがタオルで覆われた状態で、好きな人に馬乗りになられて、そんな状態で背中に指がそろりと触れてきては甘く痺れてしまうのは仕方のないことだと思う。
「っ……」
唇を噛み締めて声が漏れそうになるのを堪える。
シーツをぎゅっと握りしめて目も瞑った。
けれどそうすると余計に鮮明に彼女の指先を感じてしまって。
「……は、ぁ」
肩甲骨をほぐしていた指先は背中の筋にそって腰にスライドしていき、わたしは身体に力が入る。
向こうは指圧しているだけなのに、わたしの身体はもはや完全にただのマッサージではなく、好きな人に触れられていると認識してしまっている。
全身がぴりぴりと甘い電気が流れたみたいにくすぐったくて、けれどもっともっとあちこちに触れて欲しくて。
好きな人に触れられる気持ちよさにわたしは夢中になってしまっていた。
やがて仰向けにされる頃にはわたしはもう息も絶え絶えになっていて、それを悟られないように手で口元を抑える。
するとタオルをかけ直してくれていた戌丸がそれに気付いたようで、ぼんやりと天井を見つめていた視界に唐突に好きな人が入り込んだ。
「大丈夫ですか? どこかしんどいところがあったら今日はもう終わりに……」
その言葉にわたしはぶんぶんと頭を横に振る。
実際にはもっと弱々しかったかもしれない。
けれどいまはこのまま終わりにはしたくなかった。
「今日って……大人のマッサージも、これからするんですよね?」
戌丸の目を見つめてそう言うと、彼女の瞳の中に映ったわたしは自分でも見たことがないようないやらしい顔をしていた。
絶対にそんなことを言うのは恥ずかしいはずなのに、この時のまわらない頭ではそう思えるほどの余裕はなく。
「……いいんですか」
けれど戌丸がごくりと唾を飲み込んだ音はやけに鮮明に聞こえて、問いかけに頷くと彼女はわたしの身体にかかったタオルをゆっくりと剥ぎ取るのだった。




