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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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10. 痛い記憶 『あまり無理するなよ』『ご心配ありがとうございます』

今回から「狂い始めの侵入事変」編です。ここからR15とシリアス成分増えます。


【今回の注意要素】

痛い描写(過去の記憶)、病み気味



『お馬鹿なエリエノール。寝たら駄目って言ったじゃない』

『ご、ごめん、なさい……ごめなさ、い……。っ……う、ぐ……あっ……』


 痛い。熱い。痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。


『……はっ……はぁ……ぁ……ご、め……さい……あ、あ……っ』


 嫌だ。怖い。怖い。


 動けない。瞬きすら、できない。


 火が、目に、近づく。





「いやあぁぁあっ!!」


 自分の叫び声と共に、目を覚ます。


 まず天井を見て、次に周りにある家具を見て、屋敷ではないことに安堵する。義姉がそばにいないことに、安堵する。荒い息をゆっくりと整え、現実をしっかりと思い出す。


 ここは、リュウールシエル王立第一学園の高等部の学生寮だ。だからこの部屋にはエリエノールひとりしかいない、誰にも傷つけられることはない。あれは悪い夢でしかなく、痛みなんてただの幻想だ。


「はぁ……はぁ……」


 ぐっしょりとかいた寝汗で、シュミーズや髪が肌に張り付いていて気持ち悪い。風呂に入りたいところだが、部屋の置き時計を見てみると時刻は零時すぎくらい。他の人がいそうな時間帯には風呂に入れない。


 醜い傷痕を人に晒してしまうのが申し訳ないから、いつも他の人が寝静まった頃にこっそり風呂に入っている。


 一度悪夢で目覚めてしまうと、もう寝られない。月明かりを頼りに気を紛らわすように読書をするときもあるが、今日は夢の内容が強烈すぎてそんな気力もなかった。


 ベッドの隅に、自分の体を抱きしめるようにしてうずくまる。じわじわと涙が滲んでくる。布団を引き寄せ、それに(くる)まる。


 隠れていれば見つからないとでも言うように、隠れていれば痛くならないとでも言うように、布団を被って目を瞑って何も見えないようにした。耳も塞いで、外界の全てから逃れようとする。


 ここ最近、義姉に暴力を振るわれたときの夢を見てばかりだ。





 成人祭から一週間が経ち、今日はまた水曜日。


 三限目は選択科目のひとつの「リュウールシエル王国史」だった。これはAクラスの何人かと一緒の授業で、隣の席にはサイードがいる。


 とんとんと机を軽く叩く音がして、右隣を見た。彼が視線で示す先を追うと、紙切れが置かれている。ぼーっとしていたせいで、今の今までその存在に気づいていなかった。


『顔色が悪いようだが、大丈夫か?』


 四角い紙には、そう綴られていた。紙の上のその文字を、指先で撫でる。たしかに文字がそこにあることを確認するように、そっと触れる。

 ふわりとインクの香りがして、まだ乾き切っていないその色が淡く掠れた線になり、指の先にはほんの少しの色が付いた。


 サイードの字は、けっこう綺麗だ。少し角張っていて、跳ねが強めの文字。曲がるところのインクがわずかに濃くて、跳ねた先は鋭い針のように尖っている。


 その字を見るのを好ましく思うようになったのは、いつからのことだろう。


 暗い橙色(バーントアンバー)の彼の問いに、夜空の色(ブルーブラック)で返答を綴る。


『寝不足気味なだけです。大丈夫です』


 そっとサイードの机の左上あたりに紙を置くと、彼はすぐにそれを見てまた何かを書き始めた。ぽいっと紙が机に投げられ、彼はそっぽを向く。


『あまり無理するなよ』


 エリエノールはそれにも返答を書き、また彼の机へと置いた。触られはしていないが、こうしていると絡まれていたときに少しだけ戻ったみたいだ。


『ご心配ありがとうございます』


(ちょっと嬉しいかも。……ん?)


 自分が嬉しいと思ったことには気づいたが、何が嬉しいのかは分からなかった。

 だからとりあえず、きっと人から心配されたことが嬉しいのだということにしておいた。





「――見て、虫食い姫よ」


「王太子殿下とのあの噂は本当なのかしら?」


「成人祭の日のことをご存知? 殿下と密会していたって」


「ええ、虫食い姫が誘惑したそうね。でも問題は……」


「すっかり惚れた殿下が、レティシア様でなく虫食い姫を妻にするかもって話ね」


「うわぁ、気持ち悪い! ちょっと想像してみて。あれが虫を食べた後の唇で殿下と接吻していたら――」


「嫌だわ、怖い話しないでよ。鳥肌が立つじゃない」


「でも虫食い姫って本当は性格が悪いのでしょう? ミク嬢を虐めて泣かせたって聞いたわ」


「虐めと言えば、妙な噂があるわよね。……レティシア様が嫉妬なさって、虫食い姫を虐めているっていう」


「レティシア様がそんなことなさるわけないわ。……でも、虫食い姫が痛い目に遭うならざまあみろって感じかもしれないわね」


「ふしだらな女なんて、何か問題でも起こして退学になれば良いのに。学園の品位を損なうわ――」



(すごく、よく聞こえる)


 成人祭の後から、変な噂が囁かれるようになった。「虫食い姫がふしだらな女だという噂」「王太子殿下が虫食い姫に惚れて妻にするのではないかという噂」「殿下を取られたレティシア様が嫉妬で虫食い姫を虐めているらしいという噂」。


 名も知らぬような人からさえも、悪意に満ちた視線を送られる日々。

 休み時間の教室でもひそひそ言われ、廊下でも言われるので、ほとんど何処にも居場所がない。


 逃げるように早歩きで廊下を歩く。こんなふうにこそこそしていると、まるで本当の罪人みたいだ。


(大丈夫、辛くない)


 引きこもっていたときよりは幸せだ。悪意に満ちた視線も言葉も、屋敷でちゃんと慣れっこになった。


 ミクはいつも通り話してくれる。レティシアは寮の部屋の前で会えばいつも通り話してくれる。

 サイードとは余計な関わりは絶っているけれど授業などで必要な業務連絡はできているし、今日は筆談で心配してくれた。

 アベルも何故かたまに話しかけてくれる。


 ジャンとは、放課後に会うことはなくなった。

 期末考査まではまだまだあるし、ダンスの練習ももういらないし、エリエノールがこの状況で人のいる自習室などに行くのは耐えられなかったからだ。

 けれど古代魔術の授業のときは、いつも通りの友だちらしく会話してくれる。


 ユーゴもエレーヌもルイズもいつも通りの仲だ。Bクラスと一緒の古代魔術の授業は週に二回しかないけれど、その時間はエリエノールの癒やし。


 三限目の後は昼休みだ。寮に戻って虫を食べて、時間があれば本を読もう。何かに没頭していれば嫌なことなんて忘れられるはずだから。


(大丈夫、大丈夫……)





 夜になると、寝るのが怖い。悪夢を見るのが怖い。でも授業に集中するためには寝ないといけないから、どうにか目を瞑って眠ろうとする。そしてまたきっと痛い記憶で目が覚めて、寝るのがまた怖くなる。



「エーリーエーノールっ!」

「何ですか、ミクさん」


 金曜日。朝からやたらとにっこにこの笑顔でミクが話しかけてきた。


 エリエノールは昨夜の夢――水魔法で水責めにされて部屋の中で溺れる――のせいでまたもや寝不足で、かなり具合コンディションが悪いというのに。

 正直そのテンションについていけるほどの元気はない。


「今日は何日ー?」

「六月の十七日ですね」

「ってことはつまりー?」

「つまり?」


「サイード様との恋愛事件ラブハプニングの発生日ー!」


 ミクはぱちぱちと拍手をしながら飛び跳ねるが、エリエノールにとっては何にも面白くない。何が「恋愛事件」だ。絶対ろくでもないことに決まっている。思わず大きなため息をついてしまった。


「……また小説の話ですね。成人祭は展開が違ったのに、まだ信じているのですか?」

「あれはたぶん何かの不具合バグだよ。だって小説通りにエリエノールが王太子妃になる噂は立ってるもん!」

「はぁ……あれも小説通りなのですね。本当勘弁して欲しいです。わたくしが王太子妃なんて無理ですから」


 先週の木曜日には泣き喚いて狂っていたミクだが、もう完全復活したらしい。エリエノールにとっては耳障りな噂も、彼女にとっては喜ばしいことのようだ。こういう点においては、彼女とは仲良くなれない。


「大丈夫! 今日の事件で噂はさらに加速するよっ」

「大丈夫じゃないです。減速させたいです」


 これ以上噂になったら本当に困る。サイードにとってもレティシアにとっても、迷惑極まりない噂だろう。

 痛む頭を抱えながら、ミクと共に食堂へと向かった。だるくて粥すらも食べられる気がしなかったので、今日の朝食はオレンジジュースだけにした。





 全然集中できない授業を受け、放課後の追加授業もぼんやりと受け、夕食もとらずに自室へと引きこもった。今日は何も食べる気がしない。


 明日は土曜日、臨時就労アルバイトに行く日だ。明日はちゃんとご飯を食べて、頑張ってお仕事をしよう。

 持っていく品を確認して鞄に詰めていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「すみませーん、ランシアンさんのお部屋ですかぁ?」


「そうですよ」


「ちょっと開けてくれません?」


「……はい」


 まったく知らない誰かの声に首を傾げつつ、ドアを開ける。


(いち、に、さん……四人か)


 四人の知らない女の人――おそらく上級生――が、部屋の前にはいた。ちっちゃなエリエノールを、皆さん見下ろしている。


(巨乳……)


 真ん前にいる女の人を見て真っ先に思いついた単語に、エリエノールは自分をぶん殴りたくなった。

 

 いったい自分はどこを見ているんだ。

 まるで本当にふしだらな女かのようではないか。


 できるだけその立派な乳に目を向けないようにしつつ、おずおずと口を開く。


「えっと……ご用件は、何でしょう、か?」

「ちょっと付いてきてくださる?」

「……はい」


 巨乳のお姉さんのたいへん強い威圧感に押されて、つい肯定してしまった。

 けれども四人の後ろを歩き始めるとすぐに、後悔の念に襲われる。嫌な予感しかしない。


 呼び出しと言えば、多くは良くないことが起こるものなのだ。

 愛の告白なんていうロマンチックな呼び出しもあるにはあるが、エリエノール相手にされるとは到底思えない。


 頭の中に、授業初日にサイードに壁ドンとやらをされて傷痕を暴かれて泣かされたことが思い浮かぶ。


 今回は私刑リンチだろうか、それともかつあげだろうか。


 もう本当に逃げたい気持ちでいっぱいだったが、足は大人しく四人に付いて歩いていた。

 義姉の記憶で心をやられている現在は特に、年上の女の人に抵抗しようとすることができなかったのだ。


 そして四人のうちの誰かのものらしい部屋に入ると、顔の横でドンっと壁に手を突く音がした。



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