09. 大丈夫、辛くない 「なんで小説と違うの!!」
成人祭の次の日の木曜日は、午後からふたつだけ授業があった。この時間帯はエリエノールは隔週で「実戦魔法」の見学だ。
見学するときはみんなの様子を見てレポートをまとめたり、何かの記録を取ったり、準備や片付けを先生に手伝わされたりしている。
今日は座って、みんなが防御壁を展開したりそれを魔法で破壊したりしているのを見て分析しているところだ。
「……ねえ、エリエノール」
「何ですか、ミクさん」
レポート用紙に影が差し、見上げるとミクと目が合った。ミクは何か混乱していそうな、何か泣きそうな、変な表情をしている。
「先生が、呼んでる」
「教えてくださってありがとうございます」
「……あと!」
「はい」
スカートに付いた短い芝生を払いながら立ち上がると、左腕を掴まれた。何故か睨みつけられているような感じがする。
「昨日の、何?」
「何とは?」
「小説の展開と、違うじゃん」
「知りませんけど」
「だって! 小説だとサイード様と踊るんだもん。サイード様と踊ってるときにあいつの取り巻きが、魔法でエリエノールのスカート切るんだもん!」
「昨日切れたのは肩でしたね。残念です」
彼女の言う小説通りにいけば痛い思いをせずにすんだのに。
今回の件については、現実の方が小説より不穏だったようだ。
「なんでよ? エリエノールがスカート縫って、その後また踊るはずだよ? それでレティシアが『婚約者でもないくせに一回以上踊るなんて』って怒るんだよ。でもサイード様が『一回半だから大丈夫だよ』って、落ち込んでるエリエノールを慰めるんだよっ!? それでふたりがよりいっそう想い合うんでしょ!?」
はっきりと言うなら、「何その意味分からん展開」だ。
パーティーなどの正式な場でのダンスは、普通は同じ人とは一曲しか踊れない。
婚約者になってようやく二曲、夫婦となって初めて三曲以上踊ることを許される。
一回半ということはつまり、一曲目を途中退場した後に違う曲でも踊ったということで、これは確実に駄目だ。〝レティシア〟が怒るのも当然だし、〝サイード様〟の言い分はおかしい。
――そう思いつつ何も文句を言えなかったのは、いよいよミクが泣きそうな顔をしていたからだ。昨日エリエノールもサイードも泣いたし、もう涙を見るのは御免だ。
「なんで小説と違うの!!」
「……やっぱり、小説の世界ではなかった、のでは……?」
ためらいながら小さくそう言うと、ミクは声を上げてぼろぼろ涙を溢し始めた。
涙を見たくなかったのに泣かれてしまった上に、まさか大泣きされるとは思っていなかったので狼狽える。
「うえぇぇえん……!! びぇぇえええ!! え、エリエ、ノールの、ばかぁあ!!!」
「いや、何ですか。情緒不安定ですか……」
こんなにわんわん泣かれたら、どうしていいか分からない。そもそも泣いている人の扱い方なんて知らないのだ。
昨日のサイードのように大人しく泣いてくれればいいものを、こんな大声で喚かれてはかなり注目を集めてしまう。刺さる視線が痛く、こっちまで泣きたくなってくる。
「エリエノール様、どうなさったのですか?」
「あ、アベル様」
こちらに心配そうにやってきたのは、ミクのペアのアベルだった。頼りになりそうな人が来てくれて、少し安心する。
アベルは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのミクを困惑した顔で見ていた。ミクは全く泣き止む気配がない。
「……ミクさんが、体調悪いかもしれないので、医務室に行った方がいいかも、です」
異世界の小説の話をしていたら泣かれてしまったなんて言えるはずもなく、曖昧な台詞を吐いた。
さすがにこんな泣き喚いている姿を、クラス全員の前でずっと晒し続けるのは良くないだろう。
泣きすぎたら過呼吸などになりそうだし、医務室に行くのが最適だと思う。
「ではわたしが連れていきますね。彼女のペアですから」
「畏まりました。先生にはわたくしからお伝えしておきます。では、お願いします」
エリエノールではとてもじゃないがミクを医務室に連れて行くことはできなさそうだったので、快諾してくれて良かった。
「はい。……行きますよ、ミク嬢」
「うえぇえ……やだぁああ!」
エリエノールから引き剥がされたミクは駄々をこねて地団駄を踏み、歩こうとはしなかった。
無理矢理引きずっていくことも彼ならできるだろうが、さすがにそんな紳士らしくない振る舞いはするとは思えない。
どうするのだろうとエリエノールが見守っていると、少しの間があった後アベルがミクを抱え上げた。
(おぉ、殿下みたい)
アベルも女の子をお姫様抱っこできるのかと感心していると、腕の中にいるミクが彼をぼこすかと殴り始めた。鈍い音がこちらにまで聞こえ、なんだか痛そうだ。
エリエノールがミクを託してしまったがゆえなので申し訳なさを覚え、また心配にもなった。
「アベル様、大丈夫ですか……?」
「このくらい平気ですよ。では行きますね」
「……はい」
アベルは涼しい顔をして、ミクに殴られながらそのまま歩いていく。ミクの喚き声も、だんだん遠ざかっていった。
「うあぁあっ! エリエノールぅうう! ……布教、してやるんだからぁ! あの小説の魅力、ぜったい分からせるんだからあっ。覚えてろ馬鹿ぁあっ!!!」
(本当に大丈夫かな??)
あまりにも狂っているミクの様子に、本当に頭の具合が心配になり始めた。何も問題がなければ良いが。
ふたりをぼんやりと見送ってから後ろを振り向くと、クラスメイトたちからの視線を感じた。なんだかやばいものを見る目で見られている。
「――何、虫食い姫がミクのこと泣かせたの? 最低だな」
「いったい何を言ったのかしら。ほとんど喋らないくせに悪いことは言えるのね」
「あの子いつも気味悪いわ。全然笑わないし、変な子よね」
「そりゃあ虫食ってるくらいだしまともなやつなわけないだろ」
「そういえばそうね。ミクさんは大丈夫かしら――」
(……聞こえてますよ)
ひそひそと話す声が、耳にはっきりと入ってくる。おそらく悪いところばかりがやけによく聞こえてしまっている。
(でも、悪く言われても仕方ない)
たいして仲が良いわけではないクラスメイトたちだ。ミクはクラスみんなとそれなりに仲良しだが、エリエノールは今もなおやや浮いている。
きっと、エリエノールは社会に馴染めないような人間なのだ。
(昨日から、よく屋敷のこと思い出すな)
今日は彼らの声を聞いて、屋敷のメイドたちのことを思い出した。
エリエノールのことで不平不満を言い、あまつさえ「死んでしまえば良い」とまで言ったその声を。
もしかしたらクラスメイトのなかにも、そう思っている人がいるのかもしれない。
エリエノールは今日も、誰かに死を望まれているのかもしれない。
(……先生のとこ、行かなきゃ)
ひそひそ声に背を向けて、先生を探すことにした。ネガティブに考え続けてしまうのは良くない。
先生が呼んでいるとミクが言っていたし、ミクとアベルが医務室に行ったことも知らせないといけない。
聞いていたって何にもならないのだから、都合の悪いことは聞かない方が良い。
(大丈夫、辛くはない)
さっき言われたことは事実だから。みんなと仲良くなれていないのも、分かっているから。
クラスで一番の仲良しはミク。次がレティシア。
サイードのことは避けているが、少しは慣れたので会話はしようとすればできる。
アベルも友だちとまでは言えないが、普通に必要な会話くらいはできる。
Aクラスの友だちは少ないけれど、Bクラスには友だちのジャンもいるし、ユーゴもエレーヌもルイズも仲良くしてくれている。
このなかの誰かがいたら、それなりに会話できているはず。周りの助けを借りれば、こんな自分でも普通に生きられるはず。
(でも、やっぱりひとりじゃ何もできないのかな。こんな駄目な子な自分が嫌で、生きてて良いのか分かんない、なんて……お友だちがいるのにそんなこと思っちゃ駄目だよね)
意識しないとうつむいてしまう首を、ぱっと上げる。前を向いて歩く努力をする。
大丈夫。慣れていない人の前では笑えないけど、話すのもうまくないけど、仲良くしてくれる人は少ないけどたしかにいるから。
心を許せた人の前では笑えるようになってきているから。
「先生」
「お、ランシアン。次の授業で使う道具出すの手伝ってくれ」
「はい、了解です。あと、先生にご連絡です。先程ミクさんの体調が優れないようでしたのでアベル様――カスティーユ君が、医務室に連れていきました。なので今ふたりは医務室にいます」
「おう、分かった」
倉庫から道具を出しながら、遠巻きにみんなを眺める。魔力が封印されているせいでみんなと同じことができないのは、少し惨めだ。
(……ネガティブ良くない! 頑張れ自分!)
自分で自分を鼓舞する。大丈夫。きっと大丈夫。ちゃんと毎日頑張れる。
(わたくしは、大丈夫)
屋敷で引きこもっていたときよりは、すごく幸せなはず、だから。
これで「はじまる予感の成人祭」編は終わりです。次からは「狂い始めの侵入事変」編になります。




