08. 魔力の気配 「あ、紅茶がとてもおいしいです……!」
「お守りできなくて本当に申し訳ございません、エリエノール様」
「いえ、イヴェットは悪くありませんから」
サイードはパーティー会場に戻り、部屋にはイヴェットとアベル、そしてジャンが来た。何故アベルがと思ったが、サイードが命じてのことらしい。衝立を立てられ、アベルとジャンはその向こう側にいる。
「もう痛みはありませんか? ちゃんと動かせますか?」
「大丈夫です。殿下が治してくださいましたので」
イヴェットがエリエノールの肩の血を拭い、綺麗にしてくれている。それが終わると魔法を使って袖に染みた血を抜いていってくれた。裂けた部分は手芸が得意なエリエノールが縫い、ある程度見られるような見た目になったところで衝立を取っ払った。
「お待たせいたしました。ジャン様、アベル様」
エリエノールが顔を出すと、不安そうな顔のジャンと深刻そうな顔のアベルが見えた。ジャンがさっと立ち上がって駆け寄る。
「エリエノール、大丈夫か?」
「はい、ご覧の通りもう治っています。元気ですよ」
エリエノールが微笑むと、ジャンはほっとしたような顔をした。
「そうか、良かった」
「ご心配をおかけして、すみません」
ぺこりと頭を下げると、長い髪が頬にかかる。そういえばサイードに解かれてしまったので、今の髪はぐしゃぐしゃで可愛くないのだった。
手櫛で申し訳程度に整えつつ、ソファへと座る。向かいのソファにジャンとアベルが座っていて、イヴェットはいま紅茶を用意してくれているところだ。
「よく分かんないけど、俺に当たらないようにしてくれたんだろ? ありがとな、エリエノール。でも、怪我させちゃってごめん」
「ジャン様にお怪我がなくて良かったです。わたくしが鈍くさくて避けられなかっただけなので、ジャン様はお気になさらないでください」
「避けられなかった――と言いますと、エリエノール様は何か気づいていらっしゃったのですか?」
驚いたようにそう言ったのはアベル。頷くと、さらに訝しげな顔をした。
「何に気がつかれましたか?」
「強い魔力の匂いが一瞬しました。魔力自体は闇属性が強くて、たぶん魔法ではなく魔力波ですね。魔力がこちらに飛んできて、あのような事態に」
何か特定の効果を出す魔法ではなく、あれはきっとただの魔力だった。ただ真っ直ぐに魔力を外に放出しただけ。
強い魔力だとは感じたが、まさか皮膚が裂けるまでの力だとは思っていなかった。あんなに恐ろしいまでの魔力を出せる人間は、そう多くはないだろう。
「エリエノール様はそこまで気づかれたのですか? 闇属性適性のわたくしと愚弟は、情けなくも闇属性の気配が一瞬あったことしか分かりませんでしたのに……」
イヴェットがそう言いながら、紅茶を各々の前に置いていった。隣に座った彼女にお礼を言い、みんなの様子を窺いながら自分のティーカップに砂糖やミルクを入れてみる。
「たぶん、隠してたのではないでしょうか」
「隠してた?」
「はい。踊っている最中、魔力の気配が全くないふたり組がいまして、そのうちのひとりと目が合った後こうなりました。方向的にその人で間違いないはずなので、彼は強い魔力を持っていたのに魔力の気配がしなかったということになります。魔力を放てたということは他者から何か制限をかけられているのではないでしょうし、きっと自ら隠していたのでしょう」
紅茶をティースプーンでくるくるとかき混ぜながら、今回の事件についての自分の考えを話していく。頭の中にある考えが、淀みなく口から流れていく。
「隠す方法としては、自分にかける封印魔法か、周囲にかける精神魔法でしょうか。何にせよ高度な魔法の使い手であることは確かです。詳しい理由は分かりませんが、魔力の匂いを当てられたら困る人だったのでは? 例えばその魔力で過去に犯罪行為をしてきたとか、今日誰かに危害を加える計画をしていたとか。近くには殿下やレティシア様もいらっしゃったわけですし、魔力を隠して周りに気づかれることなく、一瞬で攻撃して逃げる算段だったのかもしれません。わたくしに当たったのは偶然で、他の人が狙われていたという可能性も――あっ、すみません。長々と」
ふと紅茶から目を上げてようやく、みんながぽかんとしていることに気づいた。エリエノールがこんなに喋るのに驚いたのかもしれない。そういえばたくさん話したせいか喉が乾いている。
自分の心を表す感情的なことを言葉にするのは苦手なのに、知識を根底とした学問的なことだと延々と話せてしまうようだ。こういう考え事を口にしはじめるとなかなか止まれないのは、最近できたエリエノールの悪い癖だろう。考え事に集中すると、周りがよく見えなくなる。
「……エリエノールって、魔力の気配なんて分かんの? 自分の適性じゃなくても?」
今度尋ねてきたのはジャンだ。頷くと、以前エリエノールが試験勉強をしていないことを古代魔術メンバーに言ったときみたいに、みんな信じられないものを見るような目をした。
「自分の適性はまだ知りませんが、他の人の魔力ならどの属性でも分かりますよ。イヴェットとアベル様が闇属性適性なのも以前から知っていましたし……ジャン様は地属性ですよね?」
「そ、正解。エリエノールってなんかすごいね。犯人の特徴は何か覚えてる?」
「あのときわたくしたちの近くで踊っていた人です。黒髪黒眼の男性で、相手の女性も黒髪黒眼でした。なんとなく夫婦っぽい感じでしたね。このあたりで黒髪黒眼のカップルなんて珍しいなと――あ、紅茶がとてもおいしいです……!」
ひとくち紅茶を飲んでみたら、予想以上に美味しかった。さすがイヴェットだ。
そういえば、こんなふうに何人かで紅茶を飲むのは久しぶりかもしれない。話している内容は深刻だが、ちょっとだけお茶会っぽい。
エリエノールがそんなことでちょっと嬉しくなっていると、アベルとイヴェットは顔を見合わせて怪訝そうな顔をしていた。
「お気に召したなら幸いです。それは良いのですが、黒髪黒眼の男女の方は……アベル、気づいた?」
「いや、見てない。姉さんも?」
「ええ。……エリエノール様。わたくしたちはそれぞれエリエノール様や殿下の方に注目していたのですが、黒髪黒眼の男女にはふたりとも見覚えがありません」
「そうなのですか、でも……」
たしかに魔力の気配がない黒髪黒眼の男女がいたはずだ。男の漆黒の瞳と目が合った後、そちらから魔力が放たれたはずだ。
それなのに――。
「……っ」
「どうした、エリエノール」
「あ……ちょっと、頭痛が」
思い出そうとしても、思い出せなかった。文章としての情報は脳内にあるのに、見たはずの彼らの姿が思い出せない。「黒髪黒眼の男女」「漆黒の瞳」という記憶はあるのに、その顔も服装も何も思い出せない。光景が頭に蘇らない。
「ごめん、なさい……見間違い、だったのかも」
痛む頭を押さえながらそう呟いた。思い出そうとすればするほど、あのときの記憶がどんどん薄れていく。次第に自分が見たものが現実だったのか、自信がなくなっていった。
「エリエノール様、大丈夫ですか? お水とか飲みますか?」
「……治まってきたので、もう大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
そうしてその後は休憩室にいるだけで、波乱の成人祭は幕を下ろした。何日もダンスの練習をしたのに、結局ジャンとしか踊れなかった。
エリエノールがダンスの最中に誰かの魔力で怪我をしたことは公にはされず、サイードはただ「体調不良の子がいたから介抱した」ということになっているらしい。捜査に関わる一部の人たちだけが知っていることになるようだ。
エリエノールはあの魔力の気配がなかったふたり組の容姿を、ついぞ思い出すことができなかった。




