第76話:『瘴気の森』のメモリリークと、スプリント(探索期間)の徹底
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翌朝。
完全な休止によって体力と魔力、そして精神的なリソースを上限(100%)まで回復させた『三律の連環』の六人は、再び迷宮の入り口を潜った。
第66層までの道のりは、すでに開通済みのインフラと最適化された陣形のおかげで、もはや「消化試合」に過ぎなかった。
彼らは一切の消耗を許さず、驚異的な処理速度で深層を駆け抜け、ついに未知の領域――第67層へと足を踏み入れた。
「……なるほど。今度は一転して、視界の悪い環境というわけか」
第67層に降り立ったユリウスが、油断なく杖を構えながら周囲を見渡す。
そこは、ねっとりとした紫色の霧が立ち込める、薄暗く腐敗した巨大な森だった。枯れ木が不気味なシルエットを描き、足元は腐葉土でぬかるんでいる。
「臭いねぇ……。息をしてるだけで、肺の中にヘドロが溜まっていく気分だ」
ヴァレリアが顔をしかめ、鼻をすする。
「ただの悪臭じゃないわ。ユリウス、ルカさん、環境データ(パラメータ)の解析を」
ミクの指示に、後衛の二人が即座に魔力によるスキャンを実行する。
「……厄介だな。この紫の霧、微弱な毒性と魔力吸収の性質を持っている。ここに留まっているだけで、我々の体力と魔力が少しずつ、しかし確実に削られていく設計だ」
「いわゆる『メモリリーク(領域の常時圧迫)』の環境か。ルカ、広域の浄化魔法で霧を払えるか?」
ユリウスの問いに、ルカは目を閉じて短く詠唱し、首を横に振った。
「ダメだ。霧の発生源が森全体に及んでいる。一時的に浄化して領域を空けても、数秒でまた新しい霧に埋め尽くされる。……完全に無駄なリソースの消費になるな」
「了解よ。なら、環境デバフは『許容すべき仕様』として受け入れるしかないわね」
ミクは双剣を抜き放ち、全員に向けて明確な基準(SLA)を提示した。
「みんな、聞いて。この階層での探索は、『時間』ではなく『残存リソース』を絶対の終了条件とするわ。ルカさんとユリウスの魔力、あるいは前衛の体力のどれか一つでも【残量40%】を切った時点で、即座に探索を打ち切り、セーフエリアまで完全撤退する!」
「40%? そりゃまた随分と早い見切り(撤退ライン)だな。俺らなら、20%まで粘っても余裕で帰れるぜ?」
ガストンが大盾を構えながら、少し意外そうに尋ねる。
「未知のバグに対処するための予備領域よ。これまではギリギリまで粘って、イレギュラーが起きた時に対応できずクラッシュしかけた。……余裕があるうちに引く。これが今の私たちの絶対のルールよ」
「……違いねえ。PMの言う通りだ」
ガストンが納得したように深く頷く。
「陣形展開! ゼロトラスト・モードで前進よ!」
ミクの号令と共に、六人は紫の霧の中へと進み始めた。
視界が極端に狭い中、どこから敵が襲いかかってくるか分からない。だが、ユリウスの『不可視のセンサー』が稼働している以上、光学的な死角からの奇襲はすべて事前に検知(捕捉)されていた。
『――右後方、上空の枝より落下接近! 複数!』
「ルカさん!」
「任せろ! 『水鏡の盾』!」
ユリウスの警告と同時、ルカが上空に向けて水属性の反射結界を展開する。
直後、霧に紛れて木の上から飛び降りてきた猿型の魔物――『ポイズン・エイプ』たちが、張られた結界に激突して無様に地面へと転がり落ちた。
「落ちてきやがったな! そらよッ!」
ガルドが大盾で素早く地面のエイプを押し潰し、拘束する。
そこへ、ミクが赤い稲妻となって駆け抜け、正確にエイプの急所(処理ポイント)のみを斬り裂いて確殺していった。
「前方も来るぜ! 数は二十!」
ガストンが正面の霧の中から現れたエイプの群れを大盾で受け止める。
「ルカの旦那! 露払い(前処理)を頼む!」
「ああ! 『泥濘の縛鎖』!」
ルカの魔法がエイプたちの足元の腐葉土をさらに液状化させ、その機動力を完全に奪い去る。
「よし! 動けねえ的なら、アタシの斧の独壇場さ! 『大旋風』!!」
ヴァレリアの戦斧が唸りを上げ、足を取られたエイプの群れを次々と木っ端微塵に粉砕していく。
一切の無駄がない、洗練されたプロセス。
環境によるリソースの減少という負荷を背負いながらも、彼らは極めて安定したパフォーマンスで『瘴気の森』の構造を少しずつ、しかし確実に紐解いていった。
やがて、数度の戦闘と探索を繰り返し、森の深部へと続く太い獣道を発見したその時だった。
「……ミク。私の魔力残量が、規定値(40%)を割った。環境デバフの吸い出しが予想以上にキツい」
ユリウスが、杖を下ろして静かに申告する。
目の前には、未踏のエリアへと続く道。
あと少し進めば、階層のボスエリア、あるいは次の階層への階段が見つかるかもしれない。かつてのミクなら「もう少しだけ」と欲を出し、探索を続行していた局面だ。
だが、今のミクに一切の迷いはなかった。
「報告ありがとう、ユリウス。……全員、攻撃停止! これより本日のスプリント(探索)を終了し、第66層のセーフエリアまで撤退するわ!」
「おっ、もう店じまいか。まだまだ暴れ足りねえけどな!」
ヴァレリアが斧の血を払いながら笑う。
「我慢しな。リソースが枯渇してシステムダウンを起こしちゃ、元も子もねえからな。……ガルド、最後尾の守りは任せたぜ」
「おう。俺の背中には、一匹たりとも触れさせねえよ」
ガストンとガルドが前後を完璧に固め、パーティーは来た道を迅速に引き返し始める。
「撤退ルートのクリアリングは私がやるわ! ユリウスとルカさんは、索敵と自己防衛だけにリソースを絞って!」
ミクが先頭に立ち、双剣で道を切り開く。
欲を出さず、決められた基準を冷徹に守り抜く。その「アジャイル(反復的)」なアプローチこそが、未知の深層という巨大なブラックボックスを解体するための、最も安全で確実なメソッドだった。
「……今日はここまで。でも、明日は確実に、この先のデータ(領域)を切り開いてみせるわ」
ミクは撤退しながら、紫の霧の奥を鋭く見据えた。
着実な前進と、安全な後退。『三律の連環』は、決して崩れることのない強固なサイクル(ループ処理)を確立し、迷宮の深淵へとその歩みを進めていく。
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