第70話:再起動(リブート)プロセスと、過学習(オーバーフィッティング)の修正
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迷宮都市の宿屋の一室。
ベッドに横たわるガルドの分厚い胸板には、幾重にも清潔な包帯が巻かれていた。
「……よし。毒は完全に抜け切ったな。裂けた筋繊維の結合(修復プロセス)も順調だ」
ルカが杖を下ろし、ホッと息をつく。
「へっ、治癒士様の極上メンテのおかげで、明日にはまた大盾を振り回せるぜ」
「馬鹿を言うな。失った血液が戻るまで、あと数日は絶対安静だ。……ほら、ヴァレリアとガストンが『燃料』を持ってきたぞ」
ルカが顎でしゃくると、両手いっぱいに巨大な肉の丸焼きやスープを抱えた二人が部屋に入ってきた。
「ガハハッ! アタシの特製スタミナ飯さ! 血を造るにはとにかく肉(タンパク質)をぶち込むのが一番だからね!」
「ガルド、俺の分まで食って早く復帰しやがれ。お前がいないと背中がスースーして落ち着かねえんだ」
二人が次々とベッドの脇に料理を並べ、ガルドが苦笑しながらも豪快に肉に齧りつく。
その確かな再起動(回復)の光景を見届けた後、部屋の片隅の丸テーブルで、パーティーの頭脳を担う三名――ミク、ユリウス、ルカによる事後分析会議が静かに始まった。
机の上に広げられた迷宮の地図と、ユリウスが書き留めた魔力波形のログデータ。
その前に腕を組んで座るミクの表情は、PMとしてかつてないほどの険しさを帯びていた。
「……まずは現状の認識から整理しましょう」
ミクが、机の上に二つの赤い駒を置く。
「一度目の重大インシデントは、『アリアの拉致』。背後の空間を物理的に破られるという、完全なバックドア(裏口)からの不正アクセスだったわ」
「ああ。そして二度目のインシデントが、先日の『ガルドの重傷』だ。囮すら逆手に取り、死角から治癒士を狙ったゼロデイ攻撃だったな」
ユリウスがログを指差しながら同意する。
「二つの事象から導き出される、敵の行動原理は極めて明白よ」
ミクが赤い駒を、陣形の後ろ側へと押し込んだ。
「迷宮の深層を統括するシステムは、前衛であるヴァレリアたちの『物理防壁』が突破不可能であると既に学習している。だから奴らは、正面からの力押しを完全に放棄し、あらゆる手段を使って『脆弱な後衛への直接攻撃』にリソースを全振りしてきているのよ」
ミクが断言した、その時だった。
「……待ってくれ、ミク。その分析は、少々『過学習』を起こしていないか?」
ユリウスが、冷静な声でミクの論理に待ったをかけた。
「過学習……?」
「ああ。君はアリアの喪失と、今回のガルドの負傷という『痛みを伴う二つの重大エラー』に意識を引っ張られすぎている。……冷静にこれまでのログ(履歴)を見直してくれ。第61層のゴーレムも、第62層の氷狼も、第63層の毒蛙も、奴らはすべて『正面の前衛』に向かって攻撃を仕掛けてきていたはずだ」
ユリウスは赤い駒を指先で弾き、地図の中央へと戻した。
「先日の暗殺者が後衛を狙ったのは、迷宮全体が学習して戦術を変えたからではない。単に奴らが『暗殺者という仕様(クラス特性)』に沿って動いただけだ。……敵が正面からの力押しを放棄した、という君の読みは、手痛い失敗から生まれた『確証バイアス』に過ぎない」
ユリウスの冷徹で、しかし極めて正確な指摘を受け、ミクはハッと息を呑んだ。
(……本当だ。私は、仲間を傷つけられた焦りと責任感から、一部の極端なエラーデータだけで、システム全体の傾向を決めつけていた……!)
PMとしてあるまじき、致命的な論理の飛躍。
ミクは両手で顔を覆い、深く、長く息を吐き出した。
「……ごめんなさい、ユリウス。あなたの言う通りね。私のロジックが、焦りと恐怖でバグっていたわ」
「謝る必要はないさ。それだけ君が、このパーティーの命運を重く背負ってくれているという証拠だ」
ユリウスが薄く笑い、ルカも優しく頷く。
「前衛への高負荷攻撃も、後衛への奇襲も、深層ではその『両方』が同時に起こり得る。……それを踏まえた上で、ミク。君の考えた新しい対策を聞かせてくれ」
ユリウスに促され、ミクは顔を上げ、再びPMとしての鋭い瞳を取り戻した。
「ええ。前提(仕様)は修正するわ。でも、対策の根本は変わらない。これまでの『ガストンたちの盾の内側なら絶対に安全』という古いセキュリティモデルを捨て、これより本陣形は【ゼロトラスト・アーキテクチャ(何も信頼しない設計)】へ移行するわ」
ミクは地図上の駒を動かし、新しい陣形を構築してみせた。
「一つ。ユリウス、ルカさんの周囲半径二メートルに『魔力異常を検知する不可視のセンサー(侵入検知システム)』を常時展開してちょうだい。視覚や物理的な幻影に誤魔化されない、純粋なパラメータ監視よ」
「了解した。私の魔力の数パーセントを常時バックグラウンドで割り当てよう」
「二つ目。ルカさん、広域結界の出力を下げて、その分のリソースを『ルカさん自身の肌に密着する自動迎撃の物理反射結界』に回して。もしユリウスのセンサーをすり抜けるバグがあっても、一撃目は必ず結界で弾き返すように」
「承知した。私自身がサンドボックス(隔離環境)の罠になるということだな」
「そして三つ目。……私は、前線から下がるわ」
ミクは、自身の分身である『双剣の駒』を、前衛と後衛のド真ん中――陣形のへその位置に置いた。
「正面の力押しは、これまで通りヴァレリアとガストンに任せる。私は前後左右すべてのデータフローを監視する『中間処理』に専念するわ。……ユリウスのセンサーが異常を検知した瞬間、あるいはルカさんの結界が作動したコンマ一秒後、陣形の中央にいる私が『最速の割り込み処理』をかけて、内部に侵入したバグを即座にデリートする」
ミクの言葉に、ユリウスとルカは深く頷いた。
前衛の突破を許さない強固な盾。そして、万が一内部に侵入されても瞬時に検知し、隔離し、排除する多層防御。
「……完璧だ。これなら、正面からの物理負荷にも、裏口からの不正アクセスにも、両方同時に対応できる」
ユリウスが満足げにメモを閉じる。
「ええ。仲間の指摘のおかげで、最高のシステムが組み上がったわ」
ミクは立ち上がり、窓の外――再び潜るべき迷宮の方向を鋭く睨みつけた。
個人の思い込み(バイアス)をチームの論理で修正し、より強固な形へと昇華させる。血の代償を払って手に入れた教訓を完全にシステムへと組み込み、『三律の連環』はかつてなく完成されたアーキテクチャへと進化を遂げていた。
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