第69話:完全撤退(フル・ロールバック)と、急がば回れの最短経路
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第63層と第64層を繋ぐ階段の踊り場――魔物が侵入できない安全地帯に辿り着いた五人は、荒い息を吐きながらその場に崩れ落ちた。
「……とりあえず、ここまで来れば追手は来ないわね」
ミクが周囲を警戒しながら、双剣を鞘に収める。
ヴァレリアの背中から降ろされたガルドは、壁に寄りかかりながら荒い息を繰り返していた。ルカの治癒魔法によって背中から脇腹にかけての凄惨な傷口は塞がっているものの、失われた血液と残留する毒のダメージによる顔色の悪さは隠しようがない。
「……すまねえ、みんな。俺が足手まといになっちまった」
「馬鹿を言うな。お前が体を張らなければ、私の首が飛んで即座にシステムダウン(全滅)だった。……礼を言うぞ、ガルド」
ルカがガルドの額に冷やした布を当てながら、静かに首を振る。
「さて、ミク。ガルドの応急処置(パッチ当て)は済んだが……これからどうする?」
ユリウスが杖を置き、PMであるミクに視線を向けた。
「ここで数日野営して、盾の旦那の体力が戻るのを待つかい? ルカとアタシの料理があれば、三日もすりゃあ動けるようにはなると思うけど」
ヴァレリアの提案に、しかしミクは明確に首を横に振った。
「いいえ。……このまま地上(拠点)の街まで、一気に帰還するわ」
「地上まで!? マジかよミク!」
ガストンが驚きの声を上げる。
「せっかく第64層まで、何日もかけて潜ってきたんだぜ!? ここで地上まで戻っちまったら、またイチから潜り直しじゃねえか!」
ガストンの言う通りだ。これまでの苦労を考えれば、せめてこの安全地帯で態勢を立て直したくなるのが人間の心理(サンクコストの罠)というものだろう。
だが、ミクの瞳には一切の迷いはなかった。
「冷静に状況を分析しなさい、ガストン。……ここは安全地帯とはいえ、常に魔力による防壁(結界)の維持が必要な『本番環境のド真ん中』よ。そんな極度の緊張状態の中で、ガルドの体力が完全に回復すると思う?」
ミクの的確な指摘に、ガストンは言葉を詰まらせた。
「それに、今回の敗因はガルドの怪我だけじゃないわ。私たちの対暗殺者用ロジック(ハニーポット)が、敵のアルゴリズムに完全に破られたこと。……この根本的なシステム要件を見直し、新しい対策を組み上げるためには、十分な睡眠と、安全な机の上(ローカル環境)での解析が絶対に必要よ」
「……確かに。中途半端なデバフ状態で深層に留まり続けるのは、いつ致命的なエラーが起きてもおかしくない爆弾を抱えているようなものだ」
ユリウスも深く同意し、手元のメモ(ログ)を閉じた。
「焦る気持ちは分かるわ。でもね、バグの原因が分からないまま本番環境で無理やり動かそうとするのが、一番の時間の無駄なのよ。……完全に安全な拠点に戻り、パーツを直し、ロジックを修正して、万全の状態で再デプロイする。それが結局のところ、アリアを助け出すための『一番の早道(最短経路)』よ」
「……違いない。PMの仕様書(判断)に従おう」
ガルドが、痛む腹を押さえながらニカッと笑った。
「へっ、そういうことならウダウダ言ってられねえな! ヴァレリア、ガルドを背負うのは俺が代わるぜ!」
「アハハッ! アタシの筋肉を舐めるんじゃないよ、盾の旦那! これくらい、ちょっと重いリュックサックみたいなもんさ!」
方針(仕様)は決まった。
彼らは迷宮の底へ向けていた歩みを完全に反転させ、地上を目指して階段を上り始めた。
驚くべきは、その帰還の圧倒的な速度だった。
第63層『腐毒の沼地』。
行きは丸太を切り出して道を作る土木作業に膨大な時間を費やしたが、彼らが沼に沈めた『強固な木の橋』は健在であり、帰りはその上を駆け抜けるだけでよかった。
第62層『氷柱の迷宮』。
ツルツルと滑る氷の床も、ヴァレリアとミクが行きに物理的に叩き割って作った『不格好な足場』がそのまま残っており、転倒のリスクなくスムーズに突破することができた。
「ハハハッ! 行きにあれだけ泥臭く整地しておいたおかげで、帰りのルートはまるで舗装された街道みたいだね!」
ガルドを背負ったヴァレリアが、大股で氷の迷宮を突き進む。
「……なるほど。一歩一歩確実なロジックで進んできた私たちの歩みは、そのまま『最速の帰還ルートの構築』に繋がっていたというわけか」
ユリウスもまた、一切の遅延なく進む行軍に感嘆の息を漏らした。
彼らが自らの手で物理的に切り開いてきた堅実な道のりこそが、手負いの仲間を最速で地上へと帰還させるための、何より確実な命綱となっていたのだ。
数日後。
太陽の光が差し込む迷宮の入り口――拠点の街へと辿り着いた『三律の連環』の五人は、大きく、深く、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「……帰ってきたわね」
ミクが、眩しい陽光に目を細めながら呟く。
一時撤退。
それは決して敗北ではない。より強固なシステムを組み上げ、再びあの深淵に挑むための、前向きな助走の始まりだった。
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