第65話:『氷柱の迷宮』の環境デバフと、物理による強引なパッチ適用
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第61層『水晶の回廊』に蔓延っていた初期スポーンの群れを一掃した『三律の連環』は、さらに続く階段を下り、未開拓の領域である第62層へと足を踏み入れた。
「……うぅっ、寒っ!! 何よここ、急に気温が下がったわね!」
ミクが身震いして自身の二の腕をさする。
彼らの目の前に広がっていたのは、壁も床もすべてが分厚い氷で覆われ、天井から巨大な氷柱が乱立する極寒の階層――『氷柱の迷宮』だった。
「ルカさん! パーティー全体に保温の結界を回せるか!?」
「任せておけ! 『温もりの水膜』!」
ルカの杖から放たれた淡い光が五人を包み込み、刺すような冷気を和らげる。
しかし、本来であればこの役割はアリアの炎(持続熱)でカバーするべき領域だ。彼女がいれば何の問題もなかった環境ダメージが、魔法特化を失った今のシステムには重い負荷としてのしかかってくる。
「……悪いね、ルカ。アリアちゃんがいれば、こんな寒さなんて一発で解決だったんだろうに」
ヴァレリアが巨大な戦斧を担ぎながら、白い息を吐く。
「気にするな。アリアがいない前提で組んだシステムだ、私の魔力で十分にカバーできる。……それよりも、警戒すべきは足元だぞ、前衛諸君」
ルカの忠告と同時だった。
『ワォォォォォォンッ!!』
乱立する氷柱の陰から、真っ白な体毛に覆われた巨大な狼――『ホワイト・ファング(氷狼)』の群れが飛び出してきた。
「敵襲! ヴァレリア、正面から薙ぎ払え!」
ユリウスの指示が飛ぶ。
「任せな! 『大旋風』……って、わぁぁっ!?」
ヴァレリアが戦斧を振り抜こうと大きく踏み込んだ瞬間。
ツルツルに凍りついた氷の床が彼女のブーツの摩擦係数を完全に奪い、凄まじい遠心力によって彼女の体はコマのように回転しながらスッ転んでしまった。
「ヴァレリア! しまった、重装甲は氷の上では踏ん張りが――」
「隙ありだ! ガストン、カバーに入れ!」
転倒して無防備になったヴァレリアの首を狙い、三体の氷狼が襲い掛かる。
ガストンが咄嗟に大盾を構えて割り込み、氷狼の鋭い牙と爪を真正面から受け止めた。
ガァァァンッ!!
「ぐおぉぉぉっ!?」
しかし、ガストンの絶対防壁も、今回ばかりは勝手が違った。
氷狼の突進の衝撃を下に逃がそうとしたが、足元の氷が一切の摩擦(抵抗)を生まず、彼は盾を構えたままズザーーーッと十メートル近く後方へ滑っていってしまったのだ。
「盾の旦那ァッ!?」
「クソッ、踏ん張りが効かねえ! この床(環境)、重装甲の俺たちには相性が最悪だぞ!」
ガストンが滑って生まれた前衛の「穴」を、氷狼たちが見逃すはずがない。
群れの後続が、滑る床をスケートのように巧みに利用しながら、一気に後衛のルカとユリウスへ向かって加速する。
「ガルド!」
「おうっ!! 抜かせるかよ!!」
後衛守護のガルドが大盾を構えるが、彼もまた踏ん張りが効かずに数メートル後退を余儀なくされる。
(……まずい! 前衛の『ブロック』と『破壊』という要件が、環境デバフによって完全に機能不全に陥っている!)
ユリウスがログを解析し、焦燥に顔を歪める。魔法で氷を溶かそうにも、雷属性のユリウスと水属性のルカでは、この底知れぬ氷の床を溶かし切ることは不可能だ。
このままでは、陣形をズルズルと押し込まれてシステムが崩壊する。
だが、その極限の状況下で、PMであるミクの頭脳は極めて泥臭く、強引な応急処置を弾き出していた。
「ヴァレリア! ガストン! 床の摩擦(仕様)が合わないなら、物理で『パッチ』を当てるわよ!!」
「はあ!? どうすんだよミク!」
滑りながら体勢を立て直したガストンが叫ぶ。
「ヴァレリア! 魔物じゃなくて『足元の氷』に向かって斧を叩きつけなさい! 表面を砕いて、無理やりスパイクの代わりにするのよ!」
「マジかい! ……分かったよ、やってやる!!」
ヴァレリアはミクの意図を瞬時に理解し、戦斧を高く掲げた。氷狼ではなく、自分の足元に広がる鏡のような氷盤に向かって、強烈な一撃を叩き下ろす。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!
規格外の物理質量が氷の床に直撃する。
しかし、深層の環境デバフは甘くはなかった。どれだけヴァレリアの筋力が凄まじくとも、数百年かけて形成されたであろう迷宮の氷層は底知れず、地の岩盤が露出することはなかった。
だが、戦斧の直撃を受けた表面の氷盤は無数の亀裂を走らせて細かく砕け散り、鋭く尖った『粗い砕氷(シャーベット状の瓦礫)』へと変貌した。
「ガストン、そこよ! 砕けた氷の凹凸(確保されたセクタ)にブーツを噛み込ませなさい!」
「なるほど、不格好な整地ってわけか!」
ガストンが、砕けた氷の欠片の中にブーツを乱暴に突っ込み、両足を固定する。
完全な足場ではない。踏み込むたびに細かな氷が崩れ、体勢は常にグラつく。
だが、ツルツルに凍った鏡面に比べれば、砕けた氷の破片がブーツの底に物理的に噛み込み、僅かながら確かな『摩擦』を生み出していた。
氷狼が再び凄まじい速度で突進してくる。
ガチィィィィンッ!!!
「ぐおおおおッ!!」
氷狼の突進を受け止めたガストン。大盾に凄まじい衝撃が走り、ズザッ……と数十センチだけ後退する。
だが、そこから先はブーツに食い込んだ砕氷がストッパーとなり、ギリギリのところで完全に踏み止まった。
「上等だ! 多少グラつくが、これなら耐えきれるぜ!」
「足場があるなら、アタシの出番だねッ!」
不安定な砕氷の上で慎重にバランスを取りながら、ヴァレリアが大盾の陰から横薙ぎの戦斧を放つ。フルスイングとはいかないが、空中に弾かれた氷狼たちを粉砕するには十分な威力だった。
「……見事な例外処理だ。ミク」
ユリウスが安堵の息を吐きながら、雷撃で撃ち漏らしを的確に処理していく。
「ふふっ。仕様に合わない環境なら、その都度、物理(力技)で無理やり書き換えちゃえばいいのよ」
ミクが双剣の血振りをしながら笑うが、その顔には微かな疲労が滲んでいた。
「ハハハッ! そりゃいい! アタシが一歩進むごとに床を砕いて、不格好な足場を作りながら進むってことだね!」
ヴァレリアが息を切らしながら戦斧を肩に担ぐ。
「……ヴァレリア、スタミナ(燃費)の消費が通常時の数倍に跳ね上がるぞ。保つのか?」
ユリウスが冷静に指摘する。
ただ歩くのとは違う。戦闘のたびに、そして前進するたびに、まずは「足元の氷を砕く」という無駄な処理を挟まなければならないのだ。
「へっ! 気にすんな、アタシのエンジンは頑丈だからね! ……アリアちゃんがいない分の苦労くらい、アタシの筋肉でいくらでも肩代わりしてやるさ!」
ヴァレリアが力強く笑い、ガストンも大盾を構え直して頷く。
完璧な解決策ではない。泥臭く、強引で、著しく効率の悪い進軍。
だが、アリアという環境適応の要を失った今の彼らにとって、この不格好な歩みこそが、システムを止めずに前へ進み続けるための唯一の「最適解」だった。
極寒の迷宮に、戦斧が氷を砕く重い音が響き渡る。
『三律の連環』は、決して歩みを止めることなく、一歩また一歩と、執念の足場を刻みながら深層の奥へと進んでいった。
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