第66話:『腐毒の沼地』のインフラ整備(土木作業)と、制限された実行環境
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氷の階層を抜け、さらに深くへと続く階段を下りきった『三律の連環』の五人。
しかし、彼らを次に待ち受けていたのは、鼻を突くような強烈な異臭と、視界の果てまで広がる紫色の泥濘だった。
「……第63層、『腐毒の沼地』ね。嫌な臭い」
ミクが鼻を覆いながら顔をしかめる。
足元にはブクブクと不気味な泡を立てる紫色の沼が広がり、所々に立ち枯れた巨大な古代樹が、墓標のように突き刺さっているだけの陰惨な階層だ。
「ルカさん、この泥の成分は?」
最後尾のユリウスが問いかけると、ルカが杖の先で沼の泥を僅かにすくい取り、顔を険しくした。
「極めて酸性度が高く、致死性の猛毒を含んでいる。ブーツ程度なら数分で溶かされるだろう。……浄化魔法で足元だけを無害化しながら進むことは可能だが、この広大な階層を抜け切るまで私の魔力が保つ保証はない」
アリアの炎があれば、沼の水分ごと猛毒を蒸発させて進む道を強引に切り開くこともできただろう。しかし、水属性であるルカの魔法では「中和」という終わりのないリソース消費を強いられてしまう。
「……なら、方針(仕様)は決まりね」
ミクが双剣の柄をポンと叩き、前衛のパワー担当二人を振り返った。
「ソフトウェア(魔法)での解決が難しいなら、ハードウェア(物理インフラ)で解決するわよ。ヴァレリア、ガストン!」
「おっ、また床をブッ壊すのかい!?」
「今度はなんだ、ミク。泥を全部掻き出すなんて無茶は言わねえだろうな」
腕まくりをする二人に、ミクは周囲に生えている『巨大な枯れ木』を指差した。
「木を切り倒して、沼に沈めて『橋』を作るのよ。……完全な手作業(土木工事)になるわ。お願いできる?」
その指示に、ヴァレリアとガストンは顔を見合わせ、ニヤリと獰猛に笑った。
「ハハハッ! アタシらの筋力を試そうってのかい! 上等じゃないか!」
「へっ、氷を砕きながら進むよりは建設的でいいぜ!」
ヴァレリアが巨大な戦斧を振るい、石のように硬い古代樹の根本を次々と一刀両断していく。そして切り倒された数トンはあろうかという丸太を、ガストンとヴァレリアの二人がかりで持ち上げ、紫の沼へと豪快に投げ込んだ。
ズドガァァァァァンッ!!
巨大な水飛沫と共に丸太が沼に浮かび、即席の『浮き橋』が完成する。
彼らはこの力技を繰り返し、広大な沼地の上に一本の物理的な道を構築しながら前進を開始した。
しかし、沼の魔物たちがその侵入を黙って見過ごすはずがない。
『ゲロロロロロロロロッ!!』
紫の沼の中から、周囲の泥を保護色にした巨大な蛙の魔物――『ポイズン・トード』の群れが、丸太の上の五人めがけて一斉に跳躍してきた。
「敵襲! 左舷から5体!」
ユリウスの警告が飛ぶ。
「任せな! まとめ叩き斬って――」
ヴァレリアが戦斧を大きく横に振りかぶろうとした瞬間、ミクの鋭い声が飛んだ。
「ダメよヴァレリア! 『横薙ぎ(大旋風)』は禁止(アクセス拒否)!」
「えっ!?」
「足場を見て! そんな大振りをしたら、橋(丸太)ごと叩き割るか、遠心力であなたが沼に落ちるわ!」
ミクの的確な指摘(エラー検知)に、ヴァレリアはハッとして動きを止めた。
ここは強固な岩盤の上ではない。丸太一本分しかない極めて『制限された実行環境』なのだ。いつもの広範囲攻撃(大旋風)の仕様は、この環境下では致命的なバグを引き起こす。
「チィッ! ならば縦割り(シングルタスク)だッ!」
ヴァレリアは瞬時にモーションを切り替え、跳躍してきた巨大蛙の脳天めがけて戦斧を真っ直ぐに振り下ろした。
グシャァァァンッ! と嫌な音を立てて蛙が真っ二つに叩き割られる。しかし、一撃の威力を一点に集中させた分、横から迫る残りの四体には全く対応できない。
「隙ありだ、女ァッ!!」
「ガストン! 前のカバーを!」
「おうっ!!」
ガストンが丸太の上を滑るように前進し、ヴァレリアの側面を大盾で完全に塞ぐ。
足場が狭いため、大盾の防御面積はさらに相対的に大きくなり、蛙たちの突進を完全にシャットアウトした。
「後ろからも3体来るぞ!」
「任せろ! 俺の盾で、背後のルートは完全に塞ぐ!」
後衛のガルドが大盾を構え、丸太の後方を物理的な壁となって防ぎ切る。
「……見事な適応力だ。だが、ヴァレリアの広範囲殲滅が封じられた以上、処理速度は落ちるぞ」
ユリウスが杖を構える。前と後ろを盾で塞ぎ、一本橋の上で耐え忍ぶ陣形。
広範囲を焼き払うアリアがいれば一瞬で片付く群れだが、今は一体ずつ確実に仕留めていくしかない。
「焦る必要はないわ、ユリウス!」
ミクがガストンの盾の陰から双剣を投げ放ち、蛙の目を的確に射抜く。
「足場が狭いってことは、敵の攻撃ルート(ポート)も限定されるってことよ! ガストンとガルドの盾さえ抜かれなければ、私たちは絶対に落ちない!」
「……違いない。ならば、私は私のタスクを淡々とこなすまでだ」
ユリウスは静かに頷くと、杖の先に極小に圧縮した雷の矢を生成した。
足場を壊さず、味方を巻き込まず、確実に敵の急所だけを貫く精密射撃。
「『貫く紫電』」
パァンッ! パァンッ! と、乾いた破裂音が沼地に響き渡る。
ユリウスの放った雷撃が、ガストンの盾を防壁にして群がる巨大蛙たちの眉間を、次々と正確に撃ち抜いていった。
「おっしゃあ! アタシも縦割りなら負けちゃいないよッ!」
ヴァレリアが戦斧を振り下ろし、着実に一体ずつ敵を粉砕していく。
アリアの圧倒的な面制圧力を失い、環境デバフによって自身の強みすらも制限された状況。
だが彼らは、誰一人として文句を言うことも、無謀な行動でシステムを崩壊させることもない。今あるリソースと限られた実行環境の中で、最も堅実でロジカルな「最適解」を導き出し、ただひたすらにタスクを処理していく。
「……ふぅ。これで第一波は全滅ね」
ミクがワイヤーで双剣を手元に引き戻し、額の汗を拭った。
「へっ、泥臭いドカタ作業と、チマチマした戦闘の繰り返しだ! だが、不思議と悪くねえな!」
ガストンが大盾の泥を払いながらニヤリと笑う。
「ああ。私たちは着実に、あの炎の娘の元へ近づいている。……さあ、次の丸太を敷くぞ」
ユリウスの言葉に、全員が力強く頷いた。
魔族の用意した悪意ある仕様を、圧倒的な物理の労働力と、徹底したリスク管理でへし折っていく『三律の連環』。
彼らは紫の沼地の上に自らの手で強引に道を構築しながら、着実に深層の底へと進んでいった。
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