第33話:例外処理の定義(プロトコル)と、真の手札
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泥臭い乱戦の末に『ディープ・ストーカー』の群れを退けた後。
腐食の樹海の安全な岩陰で休息を取りながら、ミクは険しい顔で地図用の羊皮紙を見つめていた。
「どうしたミク。また敵の気配か?」
ガルドが水筒を置き、戦斧を手繰り寄せる。
「いいえ。……さっきの戦いの反省会よ」
ミクの言葉に、三人が顔を見合わせた。
「反省会? 誰も欠けずに、未知の動きをする魔物を倒せたじゃないか。小道具を使ったリカバリーも悪くなかったと記憶しているが」
ルカが不思議そうに首を傾げる。
「そこが問題なのよ」
ミクは羊皮紙に、前衛と後衛が分断されたさっきの陣形図を書き込んだ。
「さっきは『たまたま』煙幕が効いて、『たまたま』ワイヤーで引きずり落とした敵が一箇所に集まっただけ。もし同じようにヘイトを無視する敵の群れに遭遇したら、私たちはまたあんなパニック状態で、その場しのぎのアドリブ(運任せ)を強いられることになるわ」
ミクは羊皮紙をトントンと指で叩いた。
「アイテムをたくさん持っているだけじゃダメなの。……『ヘイトが効かない場合』『魔法が通じない場合』といったイレギュラーに直面した時、誰がどう動くのか。その『行動方針』を事前に決めておいて初めて、それは私たちの『手札』と呼べるものになるわ」
ミクの明確な指摘に、ルカの表情がハッと変わった。
「……なるほど。発生条件と対応処理が定義されていないエラーは、いずれ致命的なバグを引き起こす。システム構築の基本中の基本だな。……見落としていた」
「私もです。さっきは敵が回り込んできた時、頭が真っ白になっちゃって……」
アリアが申し訳なそうに俯く。
「だから、今ここで決めるわよ。私たちの『例外処理(IFーTHEN)』のルールを」
ミクは仲間たちの顔を真っ直ぐに見据えた。
「パターンA。『敵にヘイトが効かず、後衛が直接狙われた場合』。……この時、前衛は無理に敵を追いかけない。ガルドは即座にルカとアリアの元へ後退して『亀の陣形』を組む。後衛の二人は逃げ回らずに、足元を凍らせたり泥沼化させたりして、自分たちの周囲に『防衛ライン(遅延トラップ)』を敷くこと」
「なるほど。俺が後衛を守る壁になりつつ、敵の機動力を削ぐわけだな」
「ええ。そして敵がその防衛ラインで手間取っている隙に、遊撃になった私が背後から一匹ずつ狩るわ」
ミクはさらに羊皮紙に書き込む。
「パターンB。『合体魔法が使えない、あるいは魔法反射・吸収を持つ敵の場合』。……この時、ルカとアリアは『ダメージを出すこと』を一切放棄して。視界を奪う、足場を崩す、水流で拘束するなど、物理的な『デバフ(妨害)』に魔力を全振りするの」
「……私とアリアが『状態異常要員』に回るわけか」
「そう。そして私と、戦斧を持ったガルドの二人が、メインアタッカーとして敵を物理で解体する」
行動方針の明確化。
それは、パニックを防ぐための最強の盾だ。
「これなら、不測の事態が起きても『アドリブ』じゃなく『戦術の切り替え』としてスムーズに対応できるわ」
「素晴らしい論理だ。各々がどう動くべきか、フローチャートが頭に浮かんだよ」
ルカが満足げに頷き、アリアも「それなら、私にも落ち着いてできそうです!」と顔を上げた。
「よし、ルールは共有されたわね。……そろそろ出発するわよ。次の敵で、この新しいプロトコルの動作テストを行うわ」
四人が再び樹海を進み始めてから、二十分後。
湿った空気の中から、再びあの不快な摩擦音が聞こえてきた。
『ギャガッ!』
先ほどと同じ、ディープ・ストーカーの群れ。数は八匹に増えている。
深層の魔物の『本能』なのか、それとも種としての『狡猾さ』か。彼らは初めから、目の前の強固な前衛を相手にせず、奥にいるローブ姿の魔法使い(ルカたち)の方が脆いと理解していた。
ミクが剣を抜いた瞬間、八匹のストーカーは一切ミクたちを相手にせず、完全に散開して樹上と茂みから後衛へと殺到した。
先ほどと同じ、前衛を無視した強襲。
しかし、四人に焦りは一切なかった。
「……例外処理、パターンAに移行!」
ミクの鋭い声。
「応ッ!」
ガルドは敵を追いかけず、即座に大盾を構えたまま反転し、猛烈なダッシュでルカとアリアの前に立ち塞がった。
「アリア、防衛ラインを構築するぞ」
「はいっ! 『熱泥の沼』!」
「『氷結の茨』」
ルカとアリアは逃げ惑うことなく、その場に留まった。そして、ガルドの大盾を中心に、半径十メートルの地面を沸騰する泥沼と、鋭い氷の棘が生い茂る「絶対防衛陣地」へと一瞬にして書き換えたのだ。
『ギャ、ガガッ!?』
後衛に飛びかかろうとしたストーカーたちは、足元の環境の激変に驚き、泥に足を取られ、氷の棘に阻まれて大きく機動力を削がれた。
強引に突破しようとした個体は、ガルドの黒鉄の大盾によって容赦なく弾き返される。
完全に、敵の足が止まった。
「――チェックメイトよ」
敵が「後衛を狙う」ことに固執し、防衛ラインで足踏みをしたその一瞬。
ミクは完全にフリーの遊撃手として、彼らの背後(死角)を完全に取っていた。
「シィィッ!」
流れるような双剣の舞。
足場を奪われ、ガルドたちに気を取られていたストーカーたちに、ミクの神速の刃を防ぐ術はなかった。
一匹、また一匹と、的確に急所を切り裂かれ、光の粒子となって消えていく。
パニックに陥った残りのストーカーがミクに向き直ろうとした時には、すでにルカの水縛とアリアの炎が、彼らの逃げ道を完全に塞いでいた。
戦闘開始から、わずか数十秒。
誰一人としてパニックに陥ることもなく、無駄なアドリブ(小道具)を使うこともなく、八匹の魔物は完全に殲滅された。
「……ふぅ。対象の全消滅を確認」
ミクは剣についた泥を払い、鞘に収めた。
「ははっ! 最高だな! 何をしていいか分かってるってのは、こんなに動きやすいもんか!」
ガルドが大盾を叩いて豪快に笑う。
「見事な例外処理だ。敵がイレギュラーな動きをしても、我々のシステムは微動だにしなかった」
ルカも杖を収め、その表情には揺るぎない自信が満ちていた。
アリアもホッと胸を撫で下ろし、嬉しそうにミクを見つめる。
事前準備というハードウェアの拡張だけでなく、行動方針というソフトウェアの拡張。
その両方が揃って初めて、パーティーは真の「冗長性」を獲得したのだ。
「これなら、どんな状況にも対応できるわね」
ミクは迷宮の奥底を見据え、力強く頷いた。
最強の合体魔法という『切り札』を持ち、それが使えない状況での『手札』も完全に整備された。
『三律の連環』のシステムは、いよいよ一切の隙を持たない、真の完成形へと至ったのだった。
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